2010/02/23

66E 江戸石仏 練馬石神井地区の石仏

北総からちょっと離れて遠足がてら江戸の石仏見学です。石仏地図手帖東京編をガイドに華のお江戸石仏ですね、珍しい十王や十三仏、変わった石仏を見てきましょう。スタートは西部池袋線高野台駅から始まります。
66-1長命寺の十王と十三仏
高野台駅を降りて笹目通りを渡れば順天堂大学付属練馬病院です。その北隣が東高野山長命寺です。はっきり言って長命寺は石仏のワンダーランドです。巡り終えると分かりますが、解説板にあるとおり有数の庶民信仰霊場であったことがうかがえます。まず順天堂病院に面した南大門から入ります。守衛は仁王さんでなくて四天王が就職しています。表門右に増長天は南方の守護神です。表門左は西方を守る広目天が固めています。門を入って振り返れば増長天の裏側に東方を守る持國天、広目天の裏は北方守護神多聞天となっています。仁王門よりも格の高い二天門を通り越して四天門となっています。
南大門をくぐると広い境内の参道右に等身大の新しい石仏十三仏がそろって迎えてくれます。足許にお名前がついているので分かりやすいですね。皆様、襟元に紅いネッカチーフを巻いています。十三仏と後から出てくる十王についてはWikipediaで確認しておきましょう。
境内の西方に「東かうや山於く能いん入口」の石柱が立っています。この先参道がL字型になって御影堂(大師堂)へ続いています。参道脇に石仏が不ぞろいに並んでいますが、私にとって厄介なのは墓塔が交じっているので要注意です。まず参道入り口すぐに左手に七夜待供養塔が立っています。観音供養十一面観音二十日・準胝観音廿一日・馬頭観音廿二日・千手観音十七日・正観音十八日・如意輪観音十九日と刻まれています。七観音は天台系ならば不空羂索観音を入れますが裏面を見落としたので確認できていません。高野山である以上、多分六観音でしょう。初見ですね!後は天保三年(1832)四国西国等巡拝塔や墓塔が入り混じります。L字の曲がり角に5基の文字馬頭観音です。右は文化八年(1811)で後は明治大正の新しい文字馬頭観音です。そういえば板碑型に五輪塔を浮き彫らせた変わった慶応三年(1867)墓塔もありました。庶民の気持ちが入ったささやかな供養なのでしょう。
参道の反対側右手にも天保四年(1833)日本廻國塔・大雄山道了大菩薩・妙見大菩薩石祠など種々の石造物が点在しています。参道は小さな石の太鼓橋を渡ります。渡った所に享和元年(1801)石橋供養塔が立っていてなるほどなあと感心してしまいました。参道両側に3体ずつ六地蔵が座しておられます。量感ある承応三年(1654)のお地蔵さんです。宝性地蔵さんを載せておきましょう。参道西にも石仏が点在していますが、元禄八年(1695)青面金剛塔はお顔が剥落しています。さらに進むと御影堂の手前に姿見ノ井戸の址があります。井戸を囲む石囲いに彫り出された名前を読むのも楽しいものですね。井戸の前を進んで行くと御影堂(大師堂)の横には五重塔が四隅に立っています。其の間に石仏が並んでいいます。御影堂の右脇の石仏とあわせ七観音と言われていますが、分かるものだけでも載せておきましょう。
十一面観音
如意輪観音
聖観音
弥勒菩薩
地蔵菩薩
馬頭観音
千手千眼観音
勢至菩薩?
御影堂(大師堂)の裏側には十王が車座状に並んでいます。今までの採集したものの10倍くらい貫禄ある十王様です。

そして車座状の十王に隣接した広場にこれも車座状で十三仏も勢ぞろいです。
釈迦如来普賢菩薩
弥勒菩薩観音菩薩
阿弥陀菩薩大日如来
虚空蔵菩薩阿閦如来
勢至菩薩薬師如来
地蔵菩薩文殊菩薩

不動明王
御影堂を一巡りして本堂へ向かう途中にも変わった石仏?に出会います。



左は日曜講中、右は十二日講の造立です。商売繁盛を願った講中でしょうか、現代の営業マンの出張姿と講中の旅姿がダブってしまいそれほどお気楽な雰囲気には思えません。本堂前の広場に大地蔵が取り残されてぽつんと立っています。まだまだ石仏はありますがきりがないのでこれで切り上げましょう。

66-2観蔵院の門前石仏
笹目通りにでて南下すること800mで観蔵院入り口の信号交差点です。右折して道なりに200mで左に観蔵院入り口です。あらかじめ解説板を読んでおきましょう。門前には享保十二年(1727)の地蔵真中にして六地蔵が並んでいます。写真左に宝永元年(1704)笠石付庚申塔と文政の三界萬霊塔が並び、右のほうは馬頭観音が並んでいます。さらに左方へ上の写真のような宝永二年(1705)三猿庚申塔や文字馬頭観音塔も並んでいます。
山門をくぐって墓地へ行く参道左に筆子塔2基が覆屋に祀られています。解説板に区内最古の史跡と載っています。碑面下部の「筆子中」の文字を確認しておきましょう。
本堂裏手の墓地に角柱型庚申塔が2基見られます。紀年銘は読めませんが左の庚申塔は深い彫りが特徴で、右の庚申塔は「キャカラバア」を刻んでいてともに珍しいものです。尚、観蔵院は曼荼羅寺とも言われ曼荼羅美術館が併設されていてこちらのほうで有名です。
ガイドでは次に十善戒寺の亀趺上石仏が紹介されいますが、保育園が併営されているため現在は拝観謝絶となっていました。

66-3天祖神社の二十三夜塔
下石神井小学校のそばが天祖神社です。石鳥居をくぐって右手の奥の塀際にひっそりと石仏3基が佇んでいます。左から文化十三年(1816)二十三夜待供養塔・延宝二年(1674)笠付三猿二鶏付庚申塔・享保二年(1717)延命地蔵の順に並んでいます。真中の庚申塔は中央に梵字7字を刻んでいますが、読めそうでちょっと読めません。「イ(黒衣地蔵)・バン(大日)・■不明・タラーク(宝生)・キリーク(弥陀)・アク(不空成就)・ウーン(阿閦)」の金剛界五仏が入っているようですが分からんですねえ。解説板が立派なわりに境内はこれ以外にみるものがなくガランとしています。北総ではありふれた二十三夜信仰ですが、此の地では区内2基しかない内の1基と言われると貴重に感じますねえ。
後半は次回にいたしましょう。

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