2012/03/10

132E 国東半島の石仏 地獄極楽(安心院=あじむ)

久々の県外石仏見学です。用事があって大分県国東半島へ寄ってきました。宇佐市の安心院と書いて"あじむ"と読む所で、思いがけない石仏ワールド"地獄極楽"を見学しました。忘れぬうちにレポートをしておきましょう。
"地獄極楽"はネット上キッチュな視点で紹介されている場合がありますが、"俗悪"という意味でならちょっと違うと思いますね。江戸時代の民俗・信仰上の遺産=立派な石造文化財だと思います。

132E-1 桂昌寺跡地獄極楽
大分県宇佐市安心院町の中心から、国道500号線を6km程南下します。表示を見て左折すれば、手洗のある広い駐車場にたどり着きます。表示のある石段を登れば、参道は桂昌寺跡に建つ質素なお堂に導かれます。
お堂内の仏壇に木彫りの胎蔵界大日如来が祀られています
写真右の芭蕉樹の奥に石仏が見えていますが、そちらは地獄極楽の来迎極楽出口です。又、お堂の上方に広がる斜面上の木陰に石仏が見えています。天上界極楽浄土の石造大日如来様ですね。見学前に、文政三年(1820)に天台僧午道法印が大衆教導のために創設したとの解説板を見ておきましょう。
確か、桂昌院は大分市?に引っ越したとか
 もう一つの解説板で、地獄窟35mから極楽窟25mの案内図を確認して出発しましょう。
上の 写真に見える矢印から入ると、まず閻魔大王のお裁きを受けることになります。
左から牛頭羅刹・閻魔大王・馬頭羅刹・五道冥官・人頭幢
 地獄法廷のフルキャストでしょうか、既出で見た例では司命・司録の書記官がいましたが今回は見当たりません。代わりに、牛頭・馬頭羅刹がそろっています。 Wikipediaで確認しておきましょう。
又、右端の人頭憧?幢(にんずどう)と表示のある二つの人頭は「見る目」「嗅ぐ鼻」を持っていて亡者を裁く際に善悪を感知します。人頭杖・檀拏幢(だんだとう)とも言われます。五道(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)冥官は、何かややこしそうにネット検索されるのでパスしておきましょう。
この法廷のあとに十王の審理が続きます。Wikipediaで十王の項中十王の審理を確認しておきましょう。道中、十王様にお参りできるのが嬉しいですね。
順不同ですが写真を以下に掲載しておきます。
泰山王?
途中に血の池地獄があって、赤鬼・青鬼さんの仕事場がこちらのようです。
その先に地蔵菩薩がおられる賽の河原が控えています。そこを過ぎると、三途の川の奪衣婆が待っています。
 以上で地獄巡りが終わりました。続いて進んでいけば菩提坂となり、不動明王から始まる極楽窟が始まります。暗くて映りがイマイチですが、三途の川から極楽への石仏も一挙掲載です。



 

 
 
 
 
ようやく極楽出口です。 壁面に下の写真のように弥陀三尊が納められています。
左から勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩・音声菩薩
 上の写真の右端を回り込めば音声菩薩が祀られて、針の耳入口となります。
鎖を伝って約5mの穴を登りきると、絶景が広がる極楽浄土に昇天出来たことになります。
眼下に桂昌院跡堂宇、斜面には阿弥陀如来が点在する浄土からの眺め
極楽浄土の極みには、胎蔵界大日如来様がこの絶景を俯瞰されておりました。
お参りを済ませば、手摺に沿って下山しお堂裏の極楽出口に降りたちます。
降りた正面が壁面に弥陀三尊を頂いた、極楽窟出口です
降り立ってお堂に戻れば、孝子右京碑や 句碑翁塚「船となり帆となる風のはせを(=芭蕉)かな」などの石造物と解説板がこの地の文化風土を物語っています。
132E-2 楢本磨崖仏
桂昌寺跡地獄極楽から一旦国道50号線に出て、安心院方向へ戻ります。国道掲示の案内板に従がい右折し山道をすすみます。更に掲示板を頼りにすすめば、直線道路の斜面に県指定重要文化財の楢本磨崖仏遺跡が鉄柵に囲まれているのが分かります。(路上駐車となります)
人頭の上に薬師三尊が見え、右端は不動明王が半肉彫り
 室町期・応永三十五年(1428)の墨書銘ある磨崖仏です。鉄柵のかかる下段に十二神将が掘られています。写真では分かり辛いですが、ご参考までに載せておきます。
 解説板を読んで、国東の石造文化財の豊かさに想いを巡らせながら今回はこれまでとしましょう。
 遠足終わり。




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