2012/04/26

134 北総石仏 柏の石仏 小青田

つくばエクスプレス線に柏たなか駅という駅があります。利根川を渡る手前の野原に出現したのですが、この駅を含むのが小青田地区となります。新線の開通で小青田地区の開発整理が進んでいます。
134-1 姫宮神社
小青田の集落の北、常磐高速道の高架を望む一画に間垣も新しい神社があります。4575㎡の緑の森に鎮座しています。 そして新線開発の影響で平成16年には、字小船新田・山神社、字立山・白旗神社羽黒神社、字駒形・道祖神社を合祀し静かに佇んでいます。これらの経緯は、立派な石碑に記されています。
朱塗りの木造四脚門です
参道左に4基の庚申塔が並んでいます。区画整理で集められたのでしょう。左から文化六年文字青面金剛塔、文化三年同塔、文政三年同塔、宝暦三年六臂合掌青面金剛塔が並びます。
左から2基目の台石三猿は甚平を羽織っています
 又拝殿左には、合祀された明治元年白旗神社・明治4年羽黒神社・明治9年山神社などの石祠が昭和年代の文字馬頭観音石祠とともに並べられています。その先には明治10年・昭和8年出羽三山碑などが稲荷社石祠などとともにひっそりと祀られています。
白旗社・羽黒社や奥に文字馬頭観音など。左端は合祀経緯碑。

中央は大正年代の稲荷社石祠
 見た目は新しく、中身は地味な姫宮神社でした。祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)です。由緒は分かりませんが、Wikipediaで黄泉国の主宰神と出ています。往時の寒村で何のご利益をもたらしたのでしょう、気になるところです。
134-2 円通寺
小青田の集落は区画整理で開けています。集落の住宅の一角に墓地を控えた、お寺らしからぬ建物が円通寺です。
左手に墓地が広がります
山門はありませんが、六地蔵が迎えてくれます。六地蔵の傍に並んで建っているのは、キリーク・サ・サクの阿弥陀三尊種子と浮き彫り阿弥陀如来坐像をもつ、十五日念仏供養(日待)塔です。予想しないところで珍しい石仏に出会うとちょっと嬉しいですね。
貞享五年の十五日念仏供養塔
力石は五十五メ余の表示
 六地蔵の一画に上のような力石が若者中で奉納されていました。そしてもうひとつ、珍しい石仏は無縁仏に交じって祀られていました。
寛延二年馬頭冠の馬頭観音
側面に異体字の「寒」念仏と記載
 碑面が荒れていて見難いですが、寛延二年(1749)「奉供養寒念仏」馬頭観音塔です。日本石仏事典第二版114頁に「寒中三十日間寒夜諸所を巡る行法と、村堂に講中が集まって和讃念仏を唱える行法あり。近世江戸中期以降、各地にひろまり造塔された。埼玉県比企郡で庚申塔・馬頭観音塔にも寒念仏文言あり、交流がなされた云々」とあります。
馬頭観音塔でこの文言を見るのは初見ですね。
134-3 円通寺横の庚申塔
円通寺の横にある大師堂傍に、整地のコンクリートで出来た台上に4基の石仏が祀られています。
宝永五年(1708)六臂合掌青面金剛塔、明治31年普門品拾万巻供養塔、天保三年文字馬頭観音塔、明治8年不動明王塔(二童子付)と天保九年新四国霊場道標です。立派過ぎてちょっと違和感を感じてしまいました。



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2012/04/04

133 北総石仏 柏の石仏 大室Ⅱ

またもや、柏の大室地区を巡ります。前々回の仲坪公民館から村道を西進します。三叉路になると、左に大室香取神社参道が現れます。
133-1 大室香取神社の石仏
鳥居前の敷地境界に石仏が居並んで迎えてくれます。15基の石造物が勢ぞろいですが、残念ながらかなり荒れています。左2基が大黒様で、それに庚申塔が13基並びます。

香取神社入口広場に整列です
左:文政七年甲子供養塔 右:天保四年甲子待塔
陰陽五行説では甲は陽の木性・子も陽の水生で、甲子は干支の一番で吉日とか。子を鼠に結び付け、鼠を大黒天の使者とみなし甲子祭(大黒天祭)が行われるようになったそうです。「甲子待(かっしまち)と言って、子の刻(23時ごろ)まで起きて大豆・黒豆・二股大根を供え、大黒天を祀った」とWikipediaに載っています。埼玉県など北関東の農村でよく見かけます。
気になる像塔を載せておきましょう。
元文三年:頭部の三面に猿を刻んだ庚申供養塔

紀年無:青面金剛が邪気に座っています
 鳥居をくぐれば、左は戦後昭和28~44年の4基の伊勢講碑が並んでいます。さらに参道右手にも5基の庚申塔が並んでいます。
青面金剛像塔は宝暦十二年の紀年銘ですが磨耗甚大
参道は更に長く続いています。
八幡宮・大杉神社石祠や相馬霊場巡拝碑などあちこちに建っています。昭和43年の九州観光碑を見た時は、往時の高度成長・農協ツアーの様子が目に浮かぶ想いでしたね。
境内奥に昭和の房総三社・伊勢講・相模観音巡拝碑など
 上の写真左から2基目は、頭部に如意輪観音を浮き彫りにした明治19年十九夜塔です。
最後にこの神社で忘れてならないのは、寛文十一年(1671)胎蔵界大日如来の百堂念仏塔です。雨除けは掛かっていますが、皆に参られるような陽の当たるところに祀ってあげたいと思いました。
右側は「奉造立百堂念仏二世安楽」銘
鳥居のある参道入口に戻り、100mほど東進すると変則三叉路の先に塙坪公民館があります。
133-2 塙坪公民館
塙坪公民館の右手奥、木立の中に石仏が祀られています

市史の表示から推測すると、こちらは八反坊と呼ばれた坊があったようです。 簡易な公民館の敷地東隣境界に石仏が並んでいます。
いずれも地蔵ですが、左2基目は墓碑
左端は天保三年の子抱(子安)地蔵、墓碑、宝暦四年(1754)六地蔵、文化八年(1811)地蔵大菩薩(と台石刻字あり、首は後補)、元禄七年(1694)延命地蔵となっています。
吉祥院の主導により塙坪の地蔵講中で建立

手毬を抱いた赤児?




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