2013/01/21

149E 護国寺から小石川の石仏

2013年の新春となりました。前年の更新から1ヶ月もたってしまいました。
普段は人通りの多い東京ですが、新春にゆっくりした石仏拝観を期待してでかけてみました。ガイドブックは日本石仏協会編「江戸・東京石仏ウォーキング」です。
149E-1 大塚公園の庚申塔
春日通りに面した入り口から入り、回り込むように坂を下れば赤い幟で「大塚子育地蔵尊」が眼につきます。こちらに、9基ほどの石仏が通路に沿って祀られています。
左側4基は大黒天や石塔残欠などで、続いて4基が庚申塔です。右端は子育地蔵。
4基の内容は下の解説板でご覧ください。
紀年不明の大日如来は、仏頭を螺髪のままで後補。ガイドブックは阿弥陀如来で紹介。
149E-2 吹上稲荷の由緒正しい稲荷像
豊島岡墓地の東端に位置する吹上稲荷は、元和八年(1622)日光山から勧請され吹上御殿や護国寺月光殿などを経てこの地に鎮守されたとか。
社殿の垂れ幕は丸に三つ葉葵紋(徳川葵)
 東京現存最古の狐と紹介されているのは、幟に隠れたおとなしそうな狐です。
宝暦十二年(1762)
 由緒の正しさは下記の解説板をご覧ください。
149E-3 護国寺の石仏群
本日の本命の護国寺はたくさんの見所がありますが、私は4箇所ほどに分けて見ました。とりあえず見取り図の案内板をご覧ください。
右下の惣門から進んでみます

不忍通りに面した護国寺惣門は寺社門ではなく、五万石以上の格式ある大名屋敷門とかで立派アーー。正面の仁王門は元禄十年より時代が下がるとか。護国寺の正式名称は神齢山悉地院護国寺(しんれいざん しっちいん ごこくじ)で真言宗豊山派の別格本山です。
江戸中期元禄時代で現存する貴重な大名屋敷門、音羽ゆりかご会の看板もあります

こちらは護国寺正面参道の仁王門、背面には広目天増長天
 ①参道脇の富士塚と手水盤
 参道が石段・不老門に続く手前左右に水屋があります。第五代将軍綱吉の生母桂昌院が寄進した唐銅蓮葉形手水水盤が一対、水屋に納められています。
元禄十年(1697)頃の鋳造で自噴式であったとか

 右手の水屋近くに、宝暦六年(1756)庚申道標があります。
「庚申供養塔」と「左 江戸道」と見えています
上の写真で、右奥に石鳥居が見えているのは富士塚です。参道入り口に富士道標や石橋、登山道には丁目石もあってにぎやかです。
頂上には富士浅間神社の無愛想な小石祠があります
②大師堂周りの石仏群
不老門を入って進むと右に分かれる参道があって、針供養碑や筆塚のある参道を抜けると大師堂(旧薬師堂)に導かれます。御府内八十八箇所中、八十七番の札所で往時は盛隆を誇ったのでしょう。脇に「一言地蔵」のお堂もあって線香が絶えません。この周りの斜面に石仏が配置されています。
墓碑が多くて選別が難しいですね

魚籃観音(ぎょらんかんのん)はWikipediaで参照ください。
 庚申塔は4基を確認しました。手前から延宝八年(1680)ウン(梵字)三猿付庚申塔、延享三年(1746)文字庚申塔、正徳六年(1716)三猿付諸願成就奉供養庚申塔、元禄二年(1689)合掌三猿付二?鶏青面金剛塔となります。お寺にお断りして斜面から写真を撮らせてもらいました。


延宝八年梵字庚申塔
正徳六年奉供養庚申塔
元禄二年のショケラ持青面金剛、側面に鶏が付いていますよ
 ③薬師堂周りの石仏・庚申塔
本堂西に 特徴ある花頭窓を持つ元禄四年建立の薬師堂があります。その西、墓所に通じる道の脇に珍しい音羽講中庚申塔があります。
天明五年(1785)76人で建立し、須弥壇形式の台座を三猿が支えます
 薬師堂の前にも珍しい石碑があります。
昭和27年「像供養」とあります。東京象牙美術工芸組合の建立
 又、石像物ではありませんが密教灌頂の儀式に使われる立派な閼伽井が設置されています。
④石灯籠のオンパレード
参道から鐘楼へ向かう手前・露座の大仏様の後ろに、石灯籠がまとめて20基建立されています。茶人で護国寺総代を務めた高橋箒庵(そうあん。三井銀行・三越などの経営に携った実業人・茶人)が大正11年11月に南都寺院の美形灯篭から20基を選んで模造寄進したものだそうです。
左の五色幔幕建物は鐘楼で、梵鐘は五代綱吉の生母桂昌院が天和二年に寄進
変わった形の蓮花寺形、左は当麻形でしょうか
石灯籠は、社寺信仰の灯具から照明・鑑賞の一部としてわかれ室町末期から茶庭の展開にあわせて発達した石造物といえます。すなわち趣味の領域に入るので変化や地方色で変化がさまざまで、筆者の領域を超えています。日下部朝一郎著「石佛入門」に「・・・鎌倉期のものは・・気品がある。室町時代は・・ほとんどが鎌倉期の模刻と変形・・関東では・・名品は見当たらず・・」というわけですね。
149E-4 茗荷谷の林泉寺しばられ地蔵
春日通りを茗荷谷まで東進します。地下鉄茗荷谷駅の南100mのところに林泉寺があります。石段の先に無縁仏の小さな石佛が並べられています。
石段の右に雨除屋根の下に縛られ地蔵様が祀られています。
縄をかけて願をかけ、かなった時に縄を解く慣わしです。ガイドブックの頃と違いやけに 整然としています。ちょっと寂しそうですね。
149E-5  深光寺(じんこうじ)のキリシタン灯篭
林泉寺を出て50m南下、坂道を戻るように上った先が浄土宗深光寺です。滝沢馬琴の墓で有名です。
本堂正面脇、恵比寿神の右に灯篭があります
キリシタン灯篭の条件がほとんど揃ったものとガイドブックに記載
キリシタン灯篭は、①十字架形から上部両袖を切り落とした形状②竿上部円型にアルファベット様の文字③竿部にマリア像・キリスト像様の人型を彫り④竿を直接土中に埋め込むなどの形態を持つようです。仮託礼拝物として信仰された経緯にありますが、織部灯篭も茶席作庭から普及した経緯もあって「どっちかなあよく分からん」というのが筆者の本音です。
本堂左には、滝沢馬琴墓石・享和三年(1803)丸彫地蔵・寛永二十年(1643)延命地蔵・寛政元年(1789)六面石幢などが祀られていて面白いですね。
聖徳太子御供養?・厄除観世音菩薩の六面石幢

左が寛永の延命地蔵・右が享和の延命地蔵
149E-6 藤寺伝明寺の庚申塔
深光寺を出て南東に向かい、東京メトロ丸の内線の高架をくぐった先に藤で有名な伝明寺があります。
寛文十年(1670)三猿更新塔と寛文元年(1661)延命地蔵
脇にある藤坂の解説板(富士が見えたのはいつ頃まで?)

149E-7 北野神社(牛天神)の道祖神庚申塔
伝通院前の信号から安藤坂(別名網干坂)を下れば、 教育センター前の信号になります。手前左折した突き当たりに牛天神の看板と急な石段が見えます。上りきったところの石鳥居をくぐれば、社務所脇に出ます。
石段の先にこの光景。正面の屋根は北野神社の拝殿、写真左は太田神社(貧乏神)
太田神社の祭神は天鈿女命と天猿田彦、伝説で黒闇天女(貧乏神)が福の神へ。
 上の写真、中央の笹松飾りの陰に、道祖神(庚申塔)が見えています。
紀年不明の唐破風笠付三猿塔。正面「道祖神」表記で三猿の磐座の下に親子の三鶏
 源頼朝を起源とする撫で牛伝説、よくある話ですが拝殿前に立派な神牛が2頭蹲踞しています。(写真はGoogle Mapの表示マークでご覧ください)
149E-8 伝通院の現状と、福聚院のとうがらし地蔵
伝通院を目指しますが、手前右手に日本指圧専門学校があります。
学校の正面に、年配者はご存知の「指圧のこころは母心」の銅像
伝通院はいまやすっかり境内整備され、ガイドブックの石佛の存在が確認できません。
山門前に「不許葷酒入門内」の戒壇石が建てられています。処静院跡の石柱と解説があって、要は「処静院」が幕末浪士隊(新撰組の源流)結成の地ということらしいのですがそう言われてもちょっとなんだかなあ。
 時間があれば、伝通院の墓地が面白そうです。
家康の生母於大の方・千姫・佐藤春夫・橋本明治・柴田連錬三郎・神父供養碑?まで
 伝通院正面左に福壽幼稚園があります。その隣が福聚院大黒天です。
 幼稚園運動場の塀際に、とうがらしの首飾りをした咳止め地蔵尊(とうがらし地蔵)と大黒天が並んで祀られています。
地蔵は明治中頃の建立、大黒天は非石造?
 149E-9 慈眼院と沢蔵司稲荷
伝通院を出て西進200mで浄土宗慈眼院(じげんいん)です。
沢蔵司(たくぞうす)と名乗る修行僧が学寮長の夢枕に立ち、「われは太田道灌公が江戸城内に勧請した稲荷大明神なるが・・・一社を建立して祀るべし」とのたもうた経緯によって出来たそうです。
文京区解説板は民話を盛り込んで面白くて有益(と筆者は思います)
 上の写真の右に手水舎があります。その後ろに 天和三年(1683)聖観音庚申塔があります。
奉供養庚申につづく字(言ベンに云と用)は講の草書体らしいです
本堂前を右に降りる鳥居の参道石段があります。その石段を降りた先が霊窟と呼ばれる稲荷本尊の磐座(いわくら)でしょうか。磐が剥き出し小さな鳥居が供えられています。
降りた先にお堂の屋根が見えます。剥き出しの磐に屋根がかかっています。
 降りた先の参道を右にとり上っていくと、立派な大黒様に出会えます。
紀年不明ですが、彫りもよくていい仕事しています
正面参道石段の壁に、日向延岡藩人からの寄進石額?
 149E-10 善光寺の石佛
慈眼寺の隣が信濃善光寺の分院である小石川善光寺です。ガイドブックに文化二年の六地蔵がリストアップされていますが、目鼻を欠き劣化が進んでいて痛々しいですね。朱塗りの山門に月参堂の石柱が映えています。
月参講碑などが目に付く程度で石塔類はあまりありません
149E-11 源覚寺の塩地蔵
善光寺の南東200mに「こんにゃくえんま前」の信号交差点があります。寛永元年(1624)開山の源覚寺は、信心深い老婆に右目を与えお礼にこんにゃくを供えられ続けた閻魔さまで有名です。眼病治癒の「こんにゃく閻魔」は右目が黄色く濁っているとか。
本堂前の狛犬は唐獅子ですね
開山以来の塩地蔵、のご利益で倍返しのためか首から上がありません
 こちらは七福神の毘沙門天、元禄三年寄進の銅鐘がサイパン島南洋寺に贈られ太平洋戦争後カリフォルニアから戻ってきた「汎太平洋の鐘」などが見所です。



より大きな地図で 149E 護国寺から小石川の石仏 を表示