2013/02/20

151E 茨城・石岡市の六十六部廻国塔

寒さと多忙にかまけて、ブログ更新をさぼっています。反省と勘を取り戻すべく隣県石岡市と近隣の石佛見学をちょこっとアップします。
151E-1 かすみがうら市の石造阿弥陀仏(阿弥陀院跡)
石岡の廻国塔近隣にある、茨城県指定彫刻(文化財?)を見に寄り道してみます。
下の写真台地の端に入口があり、傍にこの解説版が建っています
常磐道千代田石岡ICの4km北西に「セゴビアゴルフクラブインチヨダ」ゴルフ場があります。石造阿弥陀仏の白い表示柱がゴルフ場入口を示しています。広い舗装路をクラブハウスめがけて登っていきます。途中で石造阿弥陀佛を示す表示が右矢印で脇道を指していますが、騙されずにクラブハウスを目指しましょう。クラブハウスに行く手前100mの右坂道沿いに、従業員駐車場があります。この坂道を登り切った開けた台地端に見学路入口があります。(地元の人に聞いた甲斐がありました)
坂道を上った台地に入口の矢印表示があります
台地端の入り口から山道を50m下るとうっそうとした樹林の中に阿弥陀院跡の平地に出ます。
鉄柵内に阿弥陀石佛、後ろに十九夜塔・西国巡礼塔など
元享四年(1324)金箔跡を残す1mの阿弥陀石佛です
背後に十九夜塔・老若婦人子易塔など石佛・石碑が6基ほど並んでいます。
元禄九年(1696)十九夜念仏塔
安永八年(1779)「老若婦人子易講中」とあります
馬頭観音と思われますが紀年不明
ゴルフ場の入口まで戻り、西へ300mで石塔の表示がある墓地でます。
151E-2 かすみがうら市粟田の石塔(六面石幢)
安土桃山時代の六面地蔵石幢との解説版が立っています。完形で貴重なもの、市指定文化財です。
宝珠請花が立派、笠も肉厚、幢の地蔵は薄れています
詳しくは解説版をどうぞ。
墓地前の道路は粟田集落の南縁を巡っています。粟田集落の西隣が染谷の集落です。
151E-3 石岡市染谷の大乗妙典日本廻国供養碑(Google map表示)
Googlemapにも、染谷集落の中に「廻国塔供養碑」の表示が出ています。石岡市指定文化財でもありますが、「日本地図線刻入り」というのが貴重です。墓地内の解説板をご覧ください。
墓地内のお堂の右際に石碑・墓塔が14・5基並んでいます。その中ほどの正方形状の石碑が地図入り廻国塔です。
地図入り廻国塔です。右は元禄十一年の大乗妙典一千部?塔
石碑右上部分、キリークや奉納大乗妙典や国地図が刻まれています
上部にキリーク(阿弥陀如来)、奉納大乗妙典、六十六部と読めます。右下に元禄七年(1694)、下部に左書きで「須賀田庄右門敬白」と刻まれています。日本国土は六十六か国で描いているのでしょうか大変珍しいものです。
今回はこれにて打ち止め!
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2013/02/03

150 房総の石佛 道祖神(付録:酒々井の双体道祖神)

「房総の石仏百選」「続房総の石仏百選」の二百仏を巡っています。県内の道祖神はほとんどが石祠や駒形の文字塔ですが、ごく稀に像形をしたものが存在します。信州・上州で有名な双体道祖神も、千葉県内では酒々井町辺りに限られてしか存在しません。
今回は県内の像形道祖神を一挙公開してみました。付録として酒々井町全9基の双体道祖神めぐりも付記しました。(房石研・石仏データに依拠)

150-1 夷隅・清水寺の道祖神(房総の石仏 No.79)
清水寺は坂東33観音中32番の札所霊場です。本尊十一面観音は千葉県の 指定有形文化財です。そっと拝んでみましょう。
宝冠に化佛を載せていますね
境内には、坂東33観音の写し本尊の観音堂や閻魔像、赤穂義士四十七士の勢揃い像まで並んでいます。
左に閻魔像の閻魔堂、中央が西国坂東秩父百体観音写本尊堂、右堂内に赤穂義士木像
 山門には風神雷神・四天王のうち二天(広目天?・持国天?)もおられて結構にぎやかな観音霊場であります。
さて、肝心の道祖神ですが参道坂道の途中にある<道祖神>と書かれたお堂の中におられます。房総石造文化財研究会のH副会長が解説されたように宝髷のような髪型・右手が杓状物、左手が宝珠持ちの珍しい石佛です。
筆者も道祖神本体像は初見ですね。

150-2 富山町の双体道祖神(房総の石仏No.81)
池貝家敷地内に祀られている双体道祖神です。南房総市の指定文化財の表示が同家入り口に掲示されています。お断りして拝観させて頂きます。
台石に道祖神の刻字、御幣持ち猿田彦(天狗)と鈴持ち天鈿女命(おかめ)
びっくりものの道祖神です。これだから石佛拝観はやめられません。

150-3 酒々井町の双体道祖神(房総の石仏No.80ほか)
信州上州の双体道祖神は、肩組手にぎり形・合掌形・酒器持ち形が広く知られていますが、酒々井周辺の双体道祖神は男女が寄り添うような形態で杖状のものを持つのが一般的です。石仏データから9基が抽出されたので回ってみましょう。
①尾上の双体道祖神
住吉神社の前にあるお堂内に祀られている門倉家の氏神です。
宝暦五年(1755)。日暮れてしまい照度不足のため、画像補正をしています。
②上岩橋・菊賀神社の双体道祖神
菊理媛命は古事記に登場する女神です。白山神社のご本尊のようですね。
参道上り口脇の斜面に、小さな道祖神石祠と共に祀られています。
杖もちのようですね。紀年不明。
神社の拝殿裏に立派な胎蔵界大日如来が祀られていました。
寛文十一年(1671)
③下岩橋田中三叉路の双体道祖神
雨避けの下で石碑残欠と共に祀られています。お花も飾られて大切にされているようですね。
この樹の裏に、正徳五年(1715)の六肘合掌青面金剛と明治28年自然石形二十三夜塔が祀られていました。

④ 柏木七社神社の双体道祖神2基
柏木神社の脇をとおる道路沿い入り口に並んで祀られています。
上の写真は享和二年(1802)の道祖神で、もう1基は昭和8年の建立です。
神社境内には、寛政三年の社日塔が祀られています。
⑤中川・水神社の双体道祖神
住宅と水路と畑地で囲まれた分かりにくい神社です。
神社の社の傍に、分不相応なくらい立派なお堂に祀られていました。
⑥京成深堀踏切際の双体道祖神(房総の石仏No.80)
酒々井の双体道祖神を代表する像塔としてよく紹介されます。
下の写真のように、庚申塔や子安塔・二十三夜塔などと共に鳥居の奥にあるお堂に双体道祖神が祀られています。
写真は左から昭和44年石祠・明治24年廿三夜塔が並び、隣はお堂内の様子です。安永五年と宝暦二年の子安塔、元治元年の庚申塔が祀られています。手前の地蔵は紀年不明です。
⑦元佐倉吉祥寺近傍の双体道祖神
吉祥寺の北東300mの三叉路路傍に石佛がまとめて祀ってあります。
左の雨避けに双体道祖神、右は庚申塔など
左から明和四年馬頭観音・寛保元年延命地蔵・元文四年延命地蔵・享保十二年合掌青面金剛・安政三年廿三夜塔
門松のあるお正月画像ですね
 ⑧本佐倉城跡の双体道祖神
地名表記が難しく、地図にもマッピングし辛い場所にあります。紀年不明ですが、像容が優れている道祖神で人気があるようです。
本佐倉城跡は国指定史跡で整備中ですが、リンク地図の「東光寺ビョウ」「マムシに注意」の道標から約100m進んだ山中の雑木に注連縄が張られその奥に祀られています。


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