2013/09/30

156 房総の石仏200選 鎌ヶ谷・白井編

鎌ヶ谷市は千葉県北西部にある人口10万人強の町です。県下有数の梨の産地ですが、近年は北総鉄道と東武野田線・新京成線が交差する利便性のよい住宅地として発展しています。江戸時代は小金牧に含まれ、蒲(かば)茅(かや)の自生地として蒲茅(かばかや)から地名に転じたという説もあるようです。隣接の白井市と並び農村風景がのどかにひろがっています。
156-1 鎌ヶ谷市粟野八幡神社の歯吹如来(房総の石仏No.7)
東武野田線の粟野の踏切近くに八幡神社があります。
その石鳥居の手前の広場に庚申塔群が2列に整列しています。様々な青面金剛や文字塔が並んでいます。
年代や像容も様々な庚申塔群
その中に歯吹如来が祀られています。正面右に上総国千田村の刻字があり、称念寺から勧請した仏様です。下に称念寺の所在を表示、google mapdeでお寺の写真でもご覧ください。

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航行の船上に立つ来迎像で、口から無数光で十万世界を照らすとか
「把富貴」に通じもともと縁起のよい仏様ですが、「称念寺の歯吹如来は海中から出現した由来のあるご利益あらたかなる仏様」だとガイドブックに記載があります。日本石仏図典にも、記載のある如来様です。
156-2 白井市富塚・鳥見神社の歓喜天(房総の石仏No.56)
神社参道左側に庚申塔が整列してます
参道の庚申塔の並びの先に、歓喜天は立派な雨除けの囲いに護られています。
秘仏にしてもよいくらいの石仏を、惜し気もなく見られます
 非常に珍しい石仏です。象頭人身、双体では女神が男神の足を踏むとか、大自在天の子・韋駄天の兄弟とか・・・石仏図典にも記載があります。

頭部に大聖歓喜
2009年2月13日No24-2で鳥見神社を紹介済みです。庚申塔群とお社の壁面の豪華彫刻もおたのしみください。



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2013/09/20

155 房総の石仏200選 流山・松戸編

流山は野田に隣接し舟運もあって昔からみりん醸造で有名とか、近藤勇の新撰組が幕末に終焉を迎えた本拠地とかで歴史に名が残った土地柄です。房総の石仏No.100台は続房総の石仏No.下2桁に読み替えてください。
155-1 長崎路傍の三十番神(房総の石仏No.171=続房総の石仏No.71)
中央の大きな甲子塔の左、右から4基目が三十番神塔

三十番神は日蓮宗系の本地垂迹説(神仏習合)守護神とガイドブックに解説があります。日蓮宗僧侶日像が京都布教をにらんで編み出した方便というのがリアルです。
天保六年
右上に熱田大明神・諏訪大明神と続きます
155-2 光明院の大日如来(房総の石仏No.11)
金剛界大日如来は石仏鑑賞に欠かせない主役です。特に出羽三山湯殿山信仰が房総に流布し始めた江戸初期から、大日如来は登場回数は増えてきます。この像が珍しいのは「奉造立庚申供養并念仏供養・・」と刻字あり、庚申供養と念仏講中の合作で祀られています。
寛文六年(1666)覆い屋がつきました
光明寺墓地の南方片隅で六地蔵残欠などに交じり佇立されています。
155-3 赤城神社の浪切不動(房総の石仏No.45)
前記の大日如来像の場所から墓地を出るとすぐ、赤城神社の斜面に階段があります。 その階段脇に庚申塔などが並んでいます。背の高い石塔が「波切不動」様です。
文化十五年(1818)船中繁盛とあります
流山河岸の水運関係者に信仰厚いのが御不動様です。「空海が帰朝に際し不動明王を念じ、明王はその剣先をもって波を切り裂き無事帰着することができたことに由来し波切不動信仰が広まった」とガイドブックに解説があります。
赤城神社は大しめ縄神事で有名な所のようです。
奥に赤城神社の参道が続きます

155-4 松戸・鵜森神社の二手庚申塔((房総の石仏No.62)
同一作者の手になるローカルな合掌型二手青面金剛塔です。庚申懇話会「石仏研究ハンドブック」の中で石川氏が石仏研究事例「二手青面の系譜」として言及されている石仏ですね。
元禄十六年(1703)憤怒相でなく頭巾・杣着・二手が特徴
 同種の石仏は計15基とのガイドブック記載ですが、その半数は見ているようです。(データ未整理のため)
正徳四年(1714)塚崎・無量院の二手青面金剛
同じ作者というのがよくわかりますが、後の青面金剛は把手型と分類されていました。でも、やはり二手・頭巾・杣着ですね。
155-5 松戸・紙敷 広龍寺の帝釈天
武蔵野線と北総鉄道が交わる東松戸駅の西方200mのところに広龍寺があります。参道右に8基、庚申塔などが並んでいます。
中ほどにポールガイドのついた帝釈天の庚申塔が祀られています。
嘉永五年(1852)幕末の混沌とした時代に建立されています
「病即消滅 不老不死」と刻まれ帝釈天の立つ段下には二童子、台石に三猿を刻む豪華な日蓮宗系の庚申塔です。特に、帝釈天像を刻む石佛は貴重です。



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2013/09/15

154 房総の石仏200選 柏・我孫子編

200石仏を巡っていてすぐに収載できない場合もあります。元の場所から移設(破砕?)されて見つからないものや、収蔵場所に保管管理された場合(Ex.本堂内で管理、祭事以外祠内で施錠管理など)です。それらは、200石仏の終盤で一括記載いたしましょう。
154-1 柏松ヶ崎・香取神社の弁財天(房総の石仏百選No.54)
国道16号線と国道6号線水戸街道の交差点は、呼塚(よばつか)でいつも渋滞気味です。名馬生食(いけずき)に因んだ地名は、呼塚河岸・呼塚新田の地名で現代まで遺されました。交差点北方約1kmの高台に香取神社があります。この境内に延宝五年(1677)と元禄十六年(1703)の弁財天がおられます。
ガイドに千葉県最古の延宝四年弁財天
 このブログではNo.124-1(2011.11.13)で紹介済み。境内の他の石仏も併せてご覧ください。
154-2 高柳路傍の徳本名号塔(続房総の石仏百選No.33)
覆い屋に4基の石塔、右から2基目が文化十五年徳本塔
こちらは、2010.4.23付No.73-1 徳本念仏塔と馬頭観音
で記載済みなので詳しくはそちらをご覧ください。
背面から見ると陰刻で逆さ文字

正面、丸に十の花押が見えます
裏面印刻は、石刷りの拓本として持ち帰り掛け軸利用のためと思われます。(民衆は簡易に墨塗り出来るように仕立てたのでしょう)
154-3 高柳公民館の廻国塔(房総の石仏百選No.97 廻国行者)
六部が笈摺か仏塔を収めた厨子を担いで遊行する石塔です。全国的にも貴重な像塔でしょう。20104.30付No.74-4 高柳区民会館の六部塔で紹介しました。

日本石仏図典にも収載されていて見学、おススメです。
 154-4 我孫子・東源寺の白山権現(房総の石仏百選No.74)
我孫子市も既出です。2011.3.31付No.103-3 東源寺の石仏 の終段に載せています。日本石仏図典にも収載されています。
文政六年「白山妙理大薩埵」の刻字
 東源寺さんにはほかにもたくさんの石仏が祀られています。
154-5 我孫子・八幡神社の子安地蔵(房総の石仏百選No.37)
2011.3.24 No.102-2 八幡神社で子安地蔵を掲載しています。
高台にある薄暗い参道に他にもたくさんの石仏が並んでいます。
明和八年(1771)
「子安信仰で子安観音(注・如意輪観音など)は多いのですが、地蔵の造立は少ない」とガイドに記載があります。現代では銅製地蔵を子安地蔵に仕立てたお寺が氾濫していて、時代の移り変わりがうかがえます。
154-6 青山無量院の虚空蔵菩薩(房総の石仏百選No.28)
八幡神社に隣り合って無量院があります。以前はよく吠える飼い犬が歓迎?してくれたのですが、今回は引退したのでしょうか静かな境内でした。
本堂左手奥に歴代住職の墓所があります。寺務所に声を掛けて拝観させていただきました。墓所の片隅に虚空蔵菩薩が祀られています。
宝永二年(1705)
 たしか空海が求聞持法(ぐもんじほう・虚空蔵菩薩を念じて記憶力を得る法)を習得し、のちに真言密教を開宗に至った経緯を読んだ覚えがあります。真言宗では重要な菩薩ですが、石製像塔で拝観できるのは貴重です。
ガイドブック(房総の石仏)では、故榎本先輩の印旛郡栄町布鎌地区の女人虚空蔵講と13基の虚空蔵石塔の存在に言及ありますが、特異な存在と思います。
無量院は 2011年3月24日付青山無量院の日記念仏塔で記載しています。大木に取り込まれた元禄の如意輪観音様など見応えのある石仏が多いお寺です。

左は元禄十年金剛界大日如来、右は元禄六年如意輪観音

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