166E-1.ウルムチからトルファンへ
上海から約5時間のフライトです。人口190万人民族の十字路と呼ばれる西域の中心都市、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに到着です。
林則徐アヘン禁止を謳って左遷された新疆で善政をひいて慕われたとは知りませんでした。
出土遺物が陳列されていますが「日本語解説」が無いものも多く、筆者にはよく分りません。
市街地の商店です。屋根の上に注目です。緑の看板の上にあるのはベッドと寝具です。火州と呼ばれるほど暑いトルファンは、6月の日中平均気温30℃・年間降水量20~30ミリの乾燥気候で蚊や虫もいなくて屋外で風に吹かれて眠れます。その奥に見える格子模様の建物は、葡萄の乾燥小屋です。 下の写真はトルファンホテル前のアーケードです。葡萄棚で覆われています。冬になると全ての葡萄の幹を側溝に埋めて冬越します。春に取り出してまた棚つくりだそうです。訪問時にも葡萄がたわわに実っていました。
166E-2 火焔山ふもとの見所
①ベゼクリク千仏洞
西遊記で「玄奘三蔵」のインドへの旅をさえぎる燃え盛る火焔山。見たとおりの赤茶けた小山が横たわっています。このふもとに「装飾された家」ベゼクリク千仏洞があります。
ガイドブックの写真そのものですが、カメラアングルとしてはここで撮るしかありません。1Kmに亘り83の石窟がありますが、殆どの壁画遺跡は外国の探検隊の持ち出しや異教徒による破壊で残っていません。僅かに約40の彩色壁画残っています。
ベゼクリク千仏洞は、赤いテント売店の先を下りた崖沿いに上記回廊が通じています。正面の山は火焔山の一角です。写真の左には山上台地へ上る桟道が見えています。お金を出して上っている人が見えるかもしれません。尚、崖下はカレーズといわれる地下水道を通して緑化されています。赤テントの売店で砂に埋めた卵を1個3元(60円)で売っていました。 ②交河故城
シルクロードの構成遺産として世界遺産登録された版築で築かれた都市遺跡。ヤルナイゼ川の中津にあり東西300m南北1650mの広さで幅2mほどの石畳の上を巡ります。遺跡内はほとんどこのような景観でチョット退屈。
③高昌故城
高尚国の王都。トルファンの東南40kmにあって、高さ11mの壁が周囲5Kmに亘り四方を囲みます。建設当時は12の門があり、市場・寺院・住民区などがあって外城・内城・宮城に分かれていたとか。住民3万人僧侶3千人の住まいでした。こちらは電動カートで城内を周回する事ができて楽チンです。

上の写真で、城壁を支える壁は後からの補修です。紀元7世紀前半、唐三蔵玄奘がインドへの途次、時の高昌王に乞われ3ヶ月滞在した場所ですが、帰国の時に訪れた時にはもう滅んでいたという悲しい歴史のあるお城です。
④カレーズ(地下水道)博物館
カレースは中国三大工事の一つに数えられ、2000年の歴史を持つ地下水道(掘抜き井戸)です。天山山脈のふもとから水を集め市域に供給しています。おかげでこの地方は特産品、葡萄・スイカ・杏など果物の宝庫です。「新疆全体では1784本、5272Kmの暗渠、トルファン地方には404本のカレーズがある」と博物館の解説に載っています。
166E-3 敦煌石窟へ
トルファンから敦厚へは夜行列車で参ります。乗車するトルファン駅へは市街から約2時間の道程。荒涼とした郊外地に突如車止めに囲まれたウルムチ駅が現れます。ウイグル族のテロを警戒して中国政府は厳戒態勢を敷いていました。深夜の乗車であることもあって駅構内は閑散としています。改札口の傍に、やる気の無い店員のいる売店がありました。
寝台列車はほぼ日本と同じで、ニ段ベッドが向き合う1室4人のコンパートメントでした。明朝は、敦煌郊外の景色が見えるかなと期待が高まります。以下次号。
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