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2013/09/20

155 房総の石仏200選 流山・松戸編

流山は野田に隣接し舟運もあって昔からみりん醸造で有名とか、近藤勇の新撰組が幕末に終焉を迎えた本拠地とかで歴史に名が残った土地柄です。房総の石仏No.100台は続房総の石仏No.下2桁に読み替えてください。
155-1 長崎路傍の三十番神(房総の石仏No.171=続房総の石仏No.71)
中央の大きな甲子塔の左、右から4基目が三十番神塔

三十番神は日蓮宗系の本地垂迹説(神仏習合)守護神とガイドブックに解説があります。日蓮宗僧侶日像が京都布教をにらんで編み出した方便というのがリアルです。
天保六年
右上に熱田大明神・諏訪大明神と続きます
155-2 光明院の大日如来(房総の石仏No.11)
金剛界大日如来は石仏鑑賞に欠かせない主役です。特に出羽三山湯殿山信仰が房総に流布し始めた江戸初期から、大日如来は登場回数は増えてきます。この像が珍しいのは「奉造立庚申供養并念仏供養・・」と刻字あり、庚申供養と念仏講中の合作で祀られています。
寛文六年(1666)覆い屋がつきました
光明寺墓地の南方片隅で六地蔵残欠などに交じり佇立されています。
155-3 赤城神社の浪切不動(房総の石仏No.45)
前記の大日如来像の場所から墓地を出るとすぐ、赤城神社の斜面に階段があります。 その階段脇に庚申塔などが並んでいます。背の高い石塔が「波切不動」様です。
文化十五年(1818)船中繁盛とあります
流山河岸の水運関係者に信仰厚いのが御不動様です。「空海が帰朝に際し不動明王を念じ、明王はその剣先をもって波を切り裂き無事帰着することができたことに由来し波切不動信仰が広まった」とガイドブックに解説があります。
赤城神社は大しめ縄神事で有名な所のようです。
奥に赤城神社の参道が続きます

155-4 松戸・鵜森神社の二手庚申塔((房総の石仏No.62)
同一作者の手になるローカルな合掌型二手青面金剛塔です。庚申懇話会「石仏研究ハンドブック」の中で石川氏が石仏研究事例「二手青面の系譜」として言及されている石仏ですね。
元禄十六年(1703)憤怒相でなく頭巾・杣着・二手が特徴
 同種の石仏は計15基とのガイドブック記載ですが、その半数は見ているようです。(データ未整理のため)
正徳四年(1714)塚崎・無量院の二手青面金剛
同じ作者というのがよくわかりますが、後の青面金剛は把手型と分類されていました。でも、やはり二手・頭巾・杣着ですね。
155-5 松戸・紙敷 広龍寺の帝釈天
武蔵野線と北総鉄道が交わる東松戸駅の西方200mのところに広龍寺があります。参道右に8基、庚申塔などが並んでいます。
中ほどにポールガイドのついた帝釈天の庚申塔が祀られています。
嘉永五年(1852)幕末の混沌とした時代に建立されています
「病即消滅 不老不死」と刻まれ帝釈天の立つ段下には二童子、台石に三猿を刻む豪華な日蓮宗系の庚申塔です。特に、帝釈天像を刻む石佛は貴重です。



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2010/06/05

78北総石仏 柏・旧沼南町の石仏(塚崎)

旧沼南町もこの塚崎と大津ヶ丘・大井を残すだけになりましたが、結構大物ぞろいで整理が大変ですね。話は逸れますが、最近ソニーのGPS付デジカメを使い始めました。ソニーで提供しているPMBというブラウザーで読み込むと、グーグルmapに対応した撮影場所で方向付の写真表示をしてくれます。道端や農地・山間の石仏探索には強力な道具となります。探索場所の整理でお困りの方にお勧めです。

78-1神明社の石鳥居と石祠群
塚崎地区の鎮守が神明社です。地区を南北に走る県道8号船取線の東側に広がる緑の小山が神明社です。県道から宝暦三年の急な石段を上ると明治八年建立拝殿がすぐ近くに見え、沼南の名刹との由緒に違和感をかんじるのですが・・・。途中平成天皇ご即位10年記念の参道改修で現代的な燈籠12基も並んでいます。ところが境内に踏み入ると奥深い広がりにサプライズです。享保十八年(1733)再建の三社殿は拝殿の奥に透き塀に囲まれて全容を拝むことが出来ません。御正殿を中心に左右に八幡社と春日社を配しているそうです。詳しい解説板をじっくりお読みください。解説に出てくる石鳥居奉納者・藤原正珍=ふじわらまさよしと読みます。石鳥居の丁寧な解説板もお読みください。神明鳥居の左柱にある刻字は大きくて解説文「宝暦七年(1757)・・・舊領」までは画像拡大でも確認することが出来ますね。この神明鳥居は柱にやや転び(ころび=柱上部で八字形に内側傾斜)があって変形外宮鳥居だとガイドには細かいことが載っています。石鳥居写真の後方に玉垣が見えています。天保五年(1834)54村約950人の寄進であるそうです。写真のような感じで縁石にぐるっと記されています。右側の境内には明治35年建立の神楽殿が建ち傍らに十二座神楽の解説があります。
とにかく由緒あるんですよと昔の教育委員会のお仕事が良く分かります。神楽の古さを傍証するのが左側の境内にある寛文九年(1669)手水石で碑面の文言が「・・・庚申待成就・・・」などと解説板に詳しく載っています。庚申待成就の文言に惹かれますね。右側境内を進んでいくと子神社に詣でます。塚崎新田にあった子神社は明治41年頃当時の「浅間神社・琴平神社・白幡神社・厳島神社・面足神社」に合祀した経過があるようです。写真では子神社の左側は10のお堂が並び中に種々の石祠祀られています。明和七年(1770)大六天・宝暦六年(1756)白幡神社・年不明牛頭天王・金比羅宮などなどですが、三社殿に隠れて寂しい感じがします。他にも大正四年後即位記念碑・宝暦七年大六天等が所々に祀られています。
一方、左側境内は子安社・大杦社(おおすぎ)・天明三年(1783)痘疹守護神石祠・猿田彦社などが点在しています。種々の石祠を見ていると、塚崎の住民が仏教に取り込まれる以前から、この土地は村人の願いを受け入れる神々がここに集まった八百万相談所であるような感じがします。

78-2寿量院の十九夜塔と庚申塔
神明社から県道8号を左に逸れて約1km北西に真言宗豊山派のお寺無量山長福寺寿量院があります。まっすぐ伸びた参道は先ほどの神明社に向かって一直線に伸びています。江戸時代までは神明山寿量院と号し住職が神明社の別当を兼ねていたといわれ深い関係があるようです。長い参道の入り口左に昭和52年鶏魂供養之塔がH肉店のよって建てられています。飾りに置かれたチャボのような鶏が元気よく尾を上げています。参道進むと急な石段がありますが、その上り口手前に十九夜如意輪塔・庚申塔などの石仏が並んでいます。石段右手前から延宝六年(1712)・正徳二年(1712)の十九夜如意輪観音、正徳四年(1714)二手金剛庚申塔と続きます。この二手金剛は石仏研究ハンドブックで石川博司氏が「二手青面の系譜」で図60で掲載されているものです。文化三年(1806)湯殿山主尊の出羽三山塔、角柱の文化六年(1809)青面金剛文字塔の5基が並んでいます。
参道に向き合う3基は左から宝永六年(1709)如意輪観音の念仏塔です。真中は明和二年(1765)十九夜講と刻まれた如意輪観音塔です。右の十九夜塔は文化四年(1807)角柱型で如意輪観音を頭部に浮き彫りしたものです。石段左は寛文五年(1665)板碑型三猿付の庚申塔で沼南では初期の古いものだそうです。久々に十九夜塔の集団に出会えたのでいろんなお顔を載せて置きましょう。
延宝六年
正徳二年
正徳四年二手庚申
宝永六年
明和二年
文化四年
寛文五年
年不明

石段を上る途中に慶応三年(1867)成田山講中の不動明王が立っていて、上りきればコンクリート造りの斬新な本堂があります。左手にはし明治・昭和の出羽三山塔などが建っています。奥に進むと年不明の馬頭観音のような青面金剛塔や昭和32年の三猿塔(多分庚申塔)なども点在しています。大師塔や観音巡礼塔が点在しています。市指定天然記念物・玄圃梨(げんぽなし)の大木もあるので見ておきましょう。78-3宗賢寺の髭題目
寿量院の北方500mにある日蓮宗のお寺です。失礼ながら、日蓮宗では石仏は不作でして目に付くのはお題目塔ばかりです。延享元年(1744)の髭題目が立派なのでアップしておきましょう。ついでにお題目をWikipediaで確認しておきましょう。

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2010/04/30

74北総石仏 柏・旧沼南町の石仏(高柳Ⅱ)

74-1三角洲の庚申塔
地番は高柳1396-1と表示されるようですが、みなみ高柳幼稚園前の道を西進した三叉路の中洲に庚申 塔が祀られています。高柳地区高友会の赤い幟が目印になりますね。こちらには4基の青面金剛塔と傍らに道祖神が祀られています。右から元禄十年(1697)・宝永四年(1707)・享保七年(1722)・昭和61年の現代版庚申塔です。右端の元禄塔は横田甲一氏が東葛飾地方の「二手青面金剛塔」を発表されたリスト中の把手型・元禄十年・沼南町高柳三叉路と表示された1基です。頭巾姿の特徴ある石仏です。庚申塔の後ろは碑文を明示する標札が立っていてご先祖様の名前を確認し易くなっていて地元に根付いた信仰(民俗)を感じさせます。傍らの宝暦六年(1756)道祖神は「道路神」と刻まれていて変わっています。

74-2第一分団貯水槽脇の勢至菩薩
この三角州の向かい道路際が貯水槽です。覆い屋の中におられるのが元禄八年(1695)合掌の勢至菩薩立像です。頭部に種子サクを頂「奉造立大勢至菩薩一宇所願成弁之収攸」と刻まれています。「観無量寿経」の説くところでは宝冠に宝瓶を刻み合掌姿、「金剛恐怖集会観自在菩薩明王経」では蓮華をとる二臂像が示され、「陀羅尼集経」では持物なしの二臂像であると日本石仏事典に載っています。写真の像は「観無量寿経」の儀軌に基づくものでしょうか。寄り添った文化元年((1804)廿三夜供養塔は極小型のわらじ形彫り込みで質素なものです。

74-3サイクルショップ・RAMBLE信号脇の庚申塔(高柳1422番地先)
三角洲の分岐を右に100m行くとサイクルショップ・RAMBLEのある信号交差点です。この角に紅い幟の立つ庚申塔が祀られています。グーグル・ストリートビューでも見れますよ。こちらには左から元禄四年(1691)六臂ショケラ持三面青面金剛塔、元禄十年(1697)二手合掌青面金剛塔、宝永三年(1706)延命地蔵塔が並んでいます。
左の元禄四年塔の三面は珍しく、足許の三猿も弱っちい猿ですね。真中の元禄十年塔は先に述べた横田甲一氏の東葛飾地区の二手青面金剛塔の初発塔で藤庚申として挙げられて いるものです。特徴的ですね。
74-4高柳区民会館の六部塔
信号を西へ150mで墓地に隣接した区民会館があります。道路沿いの一角に大師堂といくつかの石仏が置かれています。こちらに有名な六十六部の行脚姿を彫り込んだ回国塔が祀られています。「大乗妙典を六十六部書写し全国の霊場を回国して納経供養した記念の納経塔である云々」と日本石仏図典・回国塔P56に記載あるのがこちらの正徳四年(1714)六部塔です。笈を負う像塔は珍しいですよ。他にも丸彫り地蔵は寛政十二年(1800)・文化十三年(1816)馬頭観音像などが並んでいます。

74-5原堂墓地そば交差点近くの大日塔(高柳1661)
位置表示が難しいのですが、先ほどの区民会館の交差点を過ぎた右側(A家の地番高柳1661)に立派な覆い屋があります。4基の石仏が道路に向かって並んでいます。左から明治14年山神塔です。文字の表示はありませんが、まさかりを持った山の神立像は初見です。隣は文政十一年(1828)山神宮です。1mを超す大きな像は延宝三年(1675)智拳印を結んだ金剛界大日像です。調べて判ったのですが、頭部の種子はバーンクでなくて胎蔵界大日のアーンクを刻んでいます。石工の手違いがあったようです。右端は年不明の可愛らしい神明霊神碑です。神明=天照大神、豊受大神を主祭神とする社を意味します。うろ覚えですが、修験道で行者が入定すると霊神碑を建てるとかなにかそんな解説を読んだ気がします。

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