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2011/07/10

112 北総石仏 柏の石仏 藤心地区

私事ですがパソコンが2度目の故障に陥って、手も足も出ない状態が続いていました。その便利さに慣れていると、パソコンから開放された生活がシンプルな晴耕雨読のスタイルに思えてきます。広く浅い情報生活が、深く?限られた情報生活(むしろ情報遮断生活)に変化しています。それはそれで快適ではありますが、知的好奇心は満たされずブログ更新も忘れてしまう現実にちょっとびっくりです。
今回から、旧柏市域を回ります。柏市の旧沼南町域は第52回から第81回にかけて巡っているので、続編といえるでしょうか?これから回る元禄・天保年間の柏市域30村名を掲載しておきます。テキストは「柏市史近世編・柏の金石文Ⅰ・Ⅱ」「柏のむかし」「房総石造文化財研究会石仏データリスト」などを利用しています。
112-1 藤心・慈本寺の百羅漢
上の地図で右下の旧沼南町に隣接するのだ藤心(ふじごころ)です。 曹洞宗藤心山延命院と号し文明十二年(1480)の開山。山門を入った正面本堂(下の写真)に圧倒されます。
写真左には現代の聖観音を祀った石壇が見えています。よく見ると右に天灯鬼、左に竜灯鬼が立っています。又、手前に立つ延命地蔵は右が享保十二年(1727)建立、左の延命地蔵は祈念不明ですがあたらしいもののようです。
ところで石仏で天灯鬼・竜灯鬼は珍しくなかなかお目にかかれません。康弁等が作成した興福寺の天灯鬼・竜灯鬼立像(木造)は有名ですが、房総の石仏百選にも収載されているのでご参考に乗せておきましょう。

市川市地蔵山墓地・左の竜灯鬼は頭上灯篭を欠失 
本堂に戻って正面石段の両脇をみると羅漢さんの集まりです。石段左右に50体ずつ思い思いのポーズで寛いでおられます。お寺には休憩用のベンチもあるので息抜きに羅漢さんと向き合ってごすのも悪くありません。
他には享和二年(1802)湯殿山三所大権現を刻んだ出羽三山石塔が見られる位でしたね。

112-2 慈本寺参道近くの道祖神
参道を出るT字路近くに小さな鳥居が見えます。鳥居の奥には下写真のような2基の雨除けのある石塔が祀ってあります。左は安永六年(1777)の道祖神、右は不明石祠ですがテキストによると道祖神の分類となっています。
左の道祖神にはわらじが奉納されています
112-3宗寿寺参道分岐の成田道標
 慈本寺を出て300m西進します。藤心ふるさと会館前の村道にでるT字路の角に石祠や不動道標が祀られています。
上の写真で正面の斜面に咲く水仙のそばにある小さな石柱は 大日如来碑の道標です。側面に「みなみ やハたみち きた 江戸道」の表示です。右正面の高台の雨除けの中にも、天保十三年(1842)不動明王の成田道標が見えます。台石正面には「左 江戸道 右 やわたみち」と出ています。台石の右側面には太い指差し絵で「此方 成田道」になっています。
この成田道標の更に奥にも雨除けの中に、不明な角柱と明治30年子安観音が祀られています。子安観音の向かって左足許には子供が縋りつく構図ですね。

112-4 宗寿寺の千庚申塔と青面金剛塔
成田道標のあるT字路を北上します。 100m足らずで宗寿寺です。
山門前左に2基の庚申塔が置かれています。
左は嘉永元年(1848)千庚申供養塔です。日輪・月輪とウーンを頭部にいただいた立派なものです。千庚申塔はあと2基を市内で見ることができるようですが、私にとっては貴重で初見ではないかとおもいます。よく見ると台石に可愛い三猿もついています。言わサル君は手に何を持っているのでしょうか?

隣にある青面金剛塔は正徳三年(1713)二邪鬼付で豪華なものです。曝頭(しゃれこうべの)首飾りをし、二童子ならぬ二邪鬼がそばに立っています。持ち物は右手に五鈷杵(ごこしょ)左手に金剛鈴という珍しい密教法具を持っているようです。日頃は合掌か剣人型でショケラ持ちばかりを見ているので非常に珍しく感じます。ヤッホー。

山門を入るとすぐ右手に宝暦十一年(1761)六地蔵が立っています。隣にならぶのは、十九夜塔如意輪観音です。
右から享和元年(1861)・元禄八年(1695)・正徳元年(1711)の造立となっていますが、石が荒れていてちょっと残念。境内には万治元年(1658)板駒型「開眼供養庚申待石塔」や文政十三年(1830)湯殿山主尊「三所大権現供養」塔といった珍しい石仏も残されています。
112-5八幡神社
宗寿寺を出て右に50mでT字路に突き当たりますが、そこが八幡神社です。

祭神は応神天皇、境内社は大杉神社・浅間神社・疱瘡神社と神社明細帳に記載あり、若宮八幡・菅原神社・粟島神社・駒形神社を合祀していると市史に記載があります。鳥居の左側には明和元年(1764)駒形石祠・明和二年(1765)粟島明神ば置かれています。拝殿右奥は下の写真のように文政三年(1820)山神石祠・平成5年天神宮・浅間大神があって石祠がぽこぽことおかれていたりします。
 ひとまず藤心を終了といたします。


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2010/09/17

86E 目黒の石仏Ⅰ

日本石仏協会編ごま書房刊「江戸・東京石仏ウォーキング」にNo.11目黒不動界隈の石仏巡りが載っています。酷暑の1日、3リットルの水分を補給しながら見て回ったので備忘録を載せておきましよう。都区部と言え、ガイドブックの略図では分かり難いのでgoogle map がお役に立つかも知れません。区名や駅名が目黒不動から採られたと解説されていますが、そのJR目黒駅から出発します。
86E-1大円寺五百羅漢石仏群
目黒駅西口から雅叙園へ向かう行人坂を200m程下れば大円寺です。その手前に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」宝永元年の説明板とお堂があります。
解説板に載っている西運さんは八百屋お七に惚れられたお坊さんですが、その縁は下の解説板に詳しく書かれています。

大円寺の石仏群は入ってすぐの右手斜面にひな壇状に置かれています。
境内には文字庚申塔3基が塀際に並べてあります。左手前の寛文七年塔の三猿は雌雄のシンボル付だそうですが、どうでしょうか?
現代版七福神や元禄十六年(1703)行人坂敷石供養碑などもありました。
86E-2田道庚申塔群
大円寺の坂道を下り目黒川を渡って川沿いに700mほど北上します。勤労福祉会館を過ぎて橋の手前に出ます。三叉路に欠けた文字庚申塔が祀られているのを見て左折します。
田道自治会館の側にある覆屋の下に6基の庚申塔と延宝元年(1673)念仏供養地蔵塔が祀られています。青面金剛は左から正徳三年・元禄五年・同八年・延宝八年・元禄八年・延宝五年となっています。
86E-3十七ケ坂庚申塔
先程の田道庚申塔群から山手通に出て横切ります。渡った所から左に2本目の辻、11階建おおとりスカイホームと駐車場の間を道なりに300m進むと十七ケ坂右側に柵に囲まれた庚申塔に出会えます。(ここを探すまでに30分のロスタイム)
都内でも古い寛永三年(1626)寶篋印塔型庚申塔があります。塔身中央に「庚申供養過去」右列に「未来現在」左列に「三世佛」と読めますねえ。他にも明暦三年(1657)文字庚申塔など解説板をご覧ください。
86E-4馬喰坂の庚申塔
十七ケ坂庚申塔を出て更に進むこと150mで四つ角左が、馬喰坂の4基の庚申塔です。墓地の一角の高みにあるのでちょっと見づらいですね。解説板も載せておきましょう。
蛇足ですが、この馬喰坂の庚申塔の辻を横切って50m進むと不思議な金属や石像の彫刻が置かれた広場があります。長泉院付属現代彫刻美術館の入り口です。興味有る方にはいいでしょう。
86E-5大鳥神社の庚申塔
山手通に戻ります。五反田方向へ南下します。大鳥神社の交差点の角にあるので分かりやすいです。拝殿左側で石仏の整列です。
左端に置かれた力石も石仏分類に入っているのが楽しいですね。庚申塔は右から元禄元年笠付合掌青面金剛、宝永元年合掌青面金剛、燈籠竿部残欠、元禄元年ショケラ持青面金剛、神楽塚、この中で一番古い延宝三年(1675)三猿庚申塔、蜀山人の書で目黒鳥石と刻んだ奉納力石(テキストから引用)となっています。
86E-6大聖院の切支丹燈籠
お隣が大聖院です。門を入った右奥に3基の切支丹燈籠です。一時期は流行ったのでしょうが、信仰内容が確認できていない流行物も多いようです。

個人的には境内左手塀際に並んだ石仏群のほうが面白いと思います。宝永三年名号塔は正面上部に地蔵座像と「目黒ちん守・・」と記し左に六字名号を刻んでいます。昭和12年の母子地蔵は夫の東京市電勤務中に母子5人が焼死した供養塔であるとガイドに載っています。木陰で見難いですが、宝永三年・百観音供養塔の側面6観音をしっかり見ておけばちょっと得した気分になれますね。
86E-7蟠竜寺の弁財天
更に山手通沿いに200mほど進むと蟠竜寺の参道となります。ガイドに載っている元禄十一年丸彫り地蔵、寛政七年結界石、安政四年岩屋弁天標柱、安永四年荷葉座名号塔(蓮の葉を象った台座を荷葉座[かしようざ]といい,主として天部像などに用いられる・・・平凡社世界大百科事典)を見ながら本堂に向かいます。本堂右の低い岩屋に八臂の弁財天がおられます。金光明最勝王経・經軌に「常に八臂を以て自らを荘厳にし、各弓、箭(や)、刀、矟(ほこ)、斧、長杵、鐵輪、並びに羂索を持つ」となっていますが果してどうでしょうか?左脇侍は巳(へび)ですね。
お化粧した余りを自身の顔に塗れば美人になるというおしろい地蔵はちっと不気味ですね。お花もなくてかわいそうな気もします。
墓地にある天保八年(1837)徳本塔は徳本行者が亡くなってから20年も経ってのものなので、イマイチの気がします。
今回はこれまでにしましょう。


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