ラベル 仁王、弁財天 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 仁王、弁財天 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010/09/17

86E 目黒の石仏Ⅰ

日本石仏協会編ごま書房刊「江戸・東京石仏ウォーキング」にNo.11目黒不動界隈の石仏巡りが載っています。酷暑の1日、3リットルの水分を補給しながら見て回ったので備忘録を載せておきましよう。都区部と言え、ガイドブックの略図では分かり難いのでgoogle map がお役に立つかも知れません。区名や駅名が目黒不動から採られたと解説されていますが、そのJR目黒駅から出発します。
86E-1大円寺五百羅漢石仏群
目黒駅西口から雅叙園へ向かう行人坂を200m程下れば大円寺です。その手前に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」宝永元年の説明板とお堂があります。
解説板に載っている西運さんは八百屋お七に惚れられたお坊さんですが、その縁は下の解説板に詳しく書かれています。

大円寺の石仏群は入ってすぐの右手斜面にひな壇状に置かれています。
境内には文字庚申塔3基が塀際に並べてあります。左手前の寛文七年塔の三猿は雌雄のシンボル付だそうですが、どうでしょうか?
現代版七福神や元禄十六年(1703)行人坂敷石供養碑などもありました。
86E-2田道庚申塔群
大円寺の坂道を下り目黒川を渡って川沿いに700mほど北上します。勤労福祉会館を過ぎて橋の手前に出ます。三叉路に欠けた文字庚申塔が祀られているのを見て左折します。
田道自治会館の側にある覆屋の下に6基の庚申塔と延宝元年(1673)念仏供養地蔵塔が祀られています。青面金剛は左から正徳三年・元禄五年・同八年・延宝八年・元禄八年・延宝五年となっています。
86E-3十七ケ坂庚申塔
先程の田道庚申塔群から山手通に出て横切ります。渡った所から左に2本目の辻、11階建おおとりスカイホームと駐車場の間を道なりに300m進むと十七ケ坂右側に柵に囲まれた庚申塔に出会えます。(ここを探すまでに30分のロスタイム)
都内でも古い寛永三年(1626)寶篋印塔型庚申塔があります。塔身中央に「庚申供養過去」右列に「未来現在」左列に「三世佛」と読めますねえ。他にも明暦三年(1657)文字庚申塔など解説板をご覧ください。
86E-4馬喰坂の庚申塔
十七ケ坂庚申塔を出て更に進むこと150mで四つ角左が、馬喰坂の4基の庚申塔です。墓地の一角の高みにあるのでちょっと見づらいですね。解説板も載せておきましょう。
蛇足ですが、この馬喰坂の庚申塔の辻を横切って50m進むと不思議な金属や石像の彫刻が置かれた広場があります。長泉院付属現代彫刻美術館の入り口です。興味有る方にはいいでしょう。
86E-5大鳥神社の庚申塔
山手通に戻ります。五反田方向へ南下します。大鳥神社の交差点の角にあるので分かりやすいです。拝殿左側で石仏の整列です。
左端に置かれた力石も石仏分類に入っているのが楽しいですね。庚申塔は右から元禄元年笠付合掌青面金剛、宝永元年合掌青面金剛、燈籠竿部残欠、元禄元年ショケラ持青面金剛、神楽塚、この中で一番古い延宝三年(1675)三猿庚申塔、蜀山人の書で目黒鳥石と刻んだ奉納力石(テキストから引用)となっています。
86E-6大聖院の切支丹燈籠
お隣が大聖院です。門を入った右奥に3基の切支丹燈籠です。一時期は流行ったのでしょうが、信仰内容が確認できていない流行物も多いようです。

個人的には境内左手塀際に並んだ石仏群のほうが面白いと思います。宝永三年名号塔は正面上部に地蔵座像と「目黒ちん守・・」と記し左に六字名号を刻んでいます。昭和12年の母子地蔵は夫の東京市電勤務中に母子5人が焼死した供養塔であるとガイドに載っています。木陰で見難いですが、宝永三年・百観音供養塔の側面6観音をしっかり見ておけばちょっと得した気分になれますね。
86E-7蟠竜寺の弁財天
更に山手通沿いに200mほど進むと蟠竜寺の参道となります。ガイドに載っている元禄十一年丸彫り地蔵、寛政七年結界石、安政四年岩屋弁天標柱、安永四年荷葉座名号塔(蓮の葉を象った台座を荷葉座[かしようざ]といい,主として天部像などに用いられる・・・平凡社世界大百科事典)を見ながら本堂に向かいます。本堂右の低い岩屋に八臂の弁財天がおられます。金光明最勝王経・經軌に「常に八臂を以て自らを荘厳にし、各弓、箭(や)、刀、矟(ほこ)、斧、長杵、鐵輪、並びに羂索を持つ」となっていますが果してどうでしょうか?左脇侍は巳(へび)ですね。
お化粧した余りを自身の顔に塗れば美人になるというおしろい地蔵はちっと不気味ですね。お花もなくてかわいそうな気もします。
墓地にある天保八年(1837)徳本塔は徳本行者が亡くなってから20年も経ってのものなので、イマイチの気がします。
今回はこれまでにしましょう。


より大きな地図で 86E 目黒の石仏Ⅰ を表示

2009/01/10

19E.江戸の石仏 鬼子母神から西早稲田Ⅱ

前回は金乗院を経て根生院の釈迦如来までやって来ました。金乗院前まで戻り宿坂道を150m程南下すれば南蔵院が左手にあります。ガイドは昭和51年「石仏の旅 東日本編」です。2003年「江戸・東京・石仏ウォーキング」も参考テキストです。 
19E-1.南蔵院の来迎阿弥陀
門前に「名作怪談乳房榎ゆかりの地」と大きな表示板があります。三遊亭圓朝が創作した怪談落語らしいですが、日本三大怪談=四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠に比べるとメジャーでないので私は聞いたことがありません。境内に入れば赤い涎掛けの石仏達と本堂が見通せます。又、その手前右手に8基の石仏が一列に並んで迎えてくれています。左から年代不明の不動明王、延命地藏、元禄?紀年銘と元禄十二年(1699)の三猿文字庚申塔、貞享三年(1688)笠付合掌青面金剛塔、延宝八年(1680)笠付「庚申塔婆」塔、明治43年・大正4年文字馬頭観音塔であります。不動明王と庚申塔婆塔を載せておきます。この寺で見逃せないのは本堂左横におわします三体の来迎印阿弥陀立像です。左から寛永十四年(1637)・寛永十七年(1640)・寛永七年(1630)の正面紀年銘が読めるらしいですが今は柵の中に入れず読めません。でも、昔の人はこの立派な阿弥陀様をみて極楽浄土を確信したんだろうなと想像してしまいました。他にも特徴ある石造物を見ておきましょう。下の写真は手前に八手弁財天(下に拡大画像)、弘法大師千年御忌供養塔、明治27年宝塔(円筒形)と並んでいます。宝塔は形が異国情緒たっぷりな気がします。弁才天は一般には琵琶持ち二臂像が知られているようですが、「金光明最勝王経」で弓・箭・刀・沙・矟・斧・長杵・鉄輪・羂索を持つ八臂像が説かれているので、この八臂像は多分忠実に作られたものでしょう。(日本石仏事典) 「房総の石仏百選」弁財天と改めて比べてみると、矢張りお江戸石仏との違いに愕然とします。この並びにある万治元年(1658)の宝篋印塔は、初心者が見ても見ごたえのある立派なものでした。名力士の墓地も隣接しているようですが、私には余り関心がないことと注意書きもあることですし墓地の観仏は遠慮しました。
19E-2.山吹の里の如意輪観音 
 南蔵院を出てさらに南下し新目白通り面影橋に出る手前がアルプス電気の正門です。この角に「山吹の里」の説明板と弥陀三尊の種子を刻んだ貞享三年(1686)光背形如意輪観音が見られます。此処が太田道灌の故事で有名な場所であることや、この石仏は墓標を改刻した物と想定されている話は石仏ガイド本でおなじみです。面影橋を渡って100mも行かずに左手に日蓮宗亮朝院(りょうちょういん、亮は明るいという意味)があります。 
19E-3.亮朝院の仁王 
 赤い山門の前に「南無妙法蓮華経十万部」と立派な石柱が目印です。しかし、山門を通して見えるお堂には「七面大明神」と表示があるのでちょっとビックリします。実は亮朝院本堂は左手に隣接した敷地にあります。門をくぐると参道の両側手前に古風な感じの狛犬と一段高く仁王像が境内を圧倒しています。庶民が手で触れて信仰できるようにした大変珍しい石仏と説明版にありました。背中の紀年銘を読みそびれたのですが仁王は宝永二年(1705)狛犬は延享元年(1744)とガイド本に記載されていました。又、北総石仏ではおなじみですが庚申塔の日蓮宗版である享保十年(1725)「奉勧請南無帝釈天王」塔が本堂前右手奥にあります。隣接の亮朝院本堂から鐘楼つくりの山門を出て新目白通りへ戻ります。右折で新目白通りを早稲田に向かって西方に向かいます。 
  19E-4.甘泉園公園 
 途中に新宿区立甘泉園公園があります。広さ14,000㎡の回遊式庭園(別名 大名庭園)で中央に池がありその湧き水は茶の湯にあって公園名の由来となりました。徳川御三卿清水家→相馬公爵→早稲田大学→東京都→新宿区と所有者は変わってきましたが今も典雅な景観を保っています。冬には見事な雪吊りが見られます。東屋もあって観仏の休憩に最適です。 公園の高台を登るように抜ければ水神社参道に出ます。次の観音寺へは早稲田大学の正門を目指してください。 
19E-5.観音寺の恵比寿・大黒・弁財天 
 早稲田大学の大熊講堂と大学正門の間の道をキャンパス沿いに左に回りこむように100mも行けば正面に近代建築の観音寺が見えてきます。観音寺参道は三叉路の楔形となっており右手に石仏が並んでいます。一番手前は丸彫りの福俵に立つ大黒天と岩座に右膝立てて大鯛を横抱きした恵比寿が共に仲良く並んでいます。年代不明です。その並びに六体の石仏が並びます。(写真にはありませんが右端の木の隣も墓標仏があります)左端は寛文七年(1667)聖観音庚申塔で異体字の庚申と「伍諸」=後生が珍しいとガイドにあります。隣は貞享四年(1687)弁財天です。南蔵院で見た弁財天と比べると頭上の鳥居がないことと宝冠に蛇が刻まれていることが違っています。次に寛文四年(1664)地蔵菩薩庚申塔です。これも異体字庚申の文言と「三年一座」文言が資料的に面白いと思います。隣の聖観音菩薩は紀年不明です。残り2基は墓標なので割愛です。以上で西早稲田までたどり着きました。大学紛争時に来たことがある大熊講堂がこんなに立派だとは、異国に来たような感慨を味わいました。今回の遠足はこれで一区切りとしましょう。このコース最後は西部新宿線を中井~鷺宮まで足を伸ばします。