55E-1浄光寺の門前庚申塔
参道を30mほどで門前の石畳駐車場です。11基の庚申塔がずらっと並んでいます。読めないものもありますが右から11基を載せておきましょう。文政元年塔の左側面に「庚申供養塔十二基者自寛永至正徳・・」記載あり、この文政塔を含めて二基失われたことが分かるようです。特に寛永塔が失われて惜しいとのテキスト記載があります。
承応二年(1653) | 元禄十年(1697) |
天和元年(1681) | 年不明(読めず) |
文政元年(1818) | 承応二年(1653) |
承応三年(1654) | 正徳四年(1714) |
延宝八年(1680) | (年読めず) |
(年読めず) | 側面の十二基記載 |
この庚申塔の後ろに向山天神さんがおられます。ちょっとお参りしてから山門へ向かいましょう。
山門を入ると左手に日光山最古の梵鐘(長禄三年=1459奉納)と庭に織部灯篭?が置かれています。Wikipediaの記述が不正確ですが織部式灯篭の項を参照ください。
他にも珍しい十九夜講中造立の石灯籠が奉納されています。墓地への入り口には憾満親地蔵御首なる地蔵の大きな首が祀られていたりします。こちらのお寺には「菅笠日限地蔵」や墓地奥にある「導き地蔵」もあって石仏で賑やかなお寺です。
55E-2含満児童公園駐車場の庚申塔
浄光寺を下りて大谷川の橋をわたり含満児童公園までは約400m。含満の茶屋がある駐車場の緑地帯に5基の庚申塔と安永四年(1775)のお地蔵さんが立っています。庚申塔の左2基は寛政元年・寛政十二年の自然石文字塔で他所と変わりのないものです。続いて左から宝暦三年(1753)・元禄五年(1692)・貞享四年?はいずれも奉造立青面金剛尊二世安楽所のような典型的文言と下に二猿がついています。
55E-3滋雲寺の石仏
承応三年(1654)の創建になる滋雲寺は境内が大谷川沿いにあります。本堂から川沿いを見下ろす参道に石仏が並んでいます。七十数体の地蔵が並んでいますが、数えるたびに数が違うとか?大昔20年以上も前にこちらに寄った記憶がありますが、今見るとそれほど大きくないお地蔵さんに当時は大変感銘したことを懐かしく思い出しました。
55E-4磐裂神社の庚申塔
浄光寺参道入り口まで戻ります。参道を東へ150mほで進むとT字路となりその角が石垣を巡らした磐裂(いわさく)神社です。聞きなれない名前ですが、Wikipediaでは磐裂神の項で関連記載があります。又、栃木県図書館レファレンスで関連記載が載っています。寛保元年(1741)の明神鳥居をくぐれば緑のカーペットを敷いたようなこじんまりした境内です。社の前に解説板があるので読んでおきましょう。境内の写真の左手がT字路の道路側ですが、道路に沿って内側・外側に石仏が不ぞろいに立ち並びます。一番多いのはやはり庚申塔で14基です。内訳は日光では珍しい青面金剛像塔1基・二猿付青面金剛塔3基・文字青面金剛塔2基・文字庚申塔8基となります。
青面金剛像 | 延宝八年(1680) |
紀年不読・下方二猿 | 紀年不読・上方二猿 |
より大きな地図で 55E日光の石仏 庚申塔を中心にⅡ を表示
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