2010/02/07

64北総 柏・旧沼南町の石仏Ⅹ(鷲野谷)

泉・若白毛地区の北隣が鷲野谷(わしのや)地区となっています。県道282号柏・印西線で泉地区の西端のT字路交差信号から500mでエネオスの給油所がある交差点に庚申塔が並んでいます。テキスト(沼南町史金石文Ⅱ)では幸田原の地名表示です。

64-1鷲野谷・幸田原の庚申塔群
17基の庚申塔と1基の道標です。左端の小さな角柱道標は磨耗して判然としませんが、辛うじて正面は東■■成田道と読み取れます。右側面に「北 鷲野谷道」などと刻まれています。下写真で道標右隣は異体字の文政三年(1820)庚申塔です。全体は4基の青面金剛像塔、3基の文字青面金剛塔、10基の文字庚申塔が並んでいます。正徳四年(1714)から安政五年(1858)と古いものはありませんが居並ぶ姿は壮観です。文政(1820年代)4基・天保(1830・40年代)3基と最盛期がうかがえます。中央の青面金剛像塔から右7基が正徳・享保・寛延・宝暦・明和・天明期18世紀造立で、左10基が19世紀造立と分かれていますが10基とも文字庚申塔となっています。形状も板碑型はありませんが、舟形光背、板駒形、駒形ありですし、文字も楷書・行書・篆書など変化が見られじっくりと見るのも面白いものです。西日で見辛いですが、青面金剛像塔など気になるものを下に載せておきます。
享保十六年(1731)ショケラ持
享保十一年(1726)合掌二鶏付
明和二年(1765)六臂合掌型
正徳四年(1714)六臂合掌型
文政三年(1820)聞猿・岩?猿
嘉永五年(1852)半纏羽織
正徳四年(1714)猿面不気味
安政五年(1858)踊り聞か猿
64-2幸田原辻の庚申塔
上の庚申塔群のある辻の向かいに塚状の盛土に1基の文字庚申塔があります。文政十二年(1829)の文字庚申塔です。なかなか絵になる庚申塔ですね。

64-3香取神社の出羽三山塔
泉の手賀西小学校脇の三夜堂から坂を下り鷲野谷地区へ向かうと、600m程で山崎種苗店があります。その脇に赤い手摺の急な石段があって、鷲野谷の鎮守・香取神社がその先に遷座しています。昔、岩井村の境にあって元文五年(1740)にこちらに移りました。石段を上れば端正な天明八年(1880)明神型の石鳥居があってまっすぐな参道の先に拝殿が見えます。拝殿の奥に覆屋に守れた天保九年(1838)再建の立派な本殿があります。その彫刻の素晴らしいことに驚きます。
本殿前の狛犬は嘉永七年(1854)、灯篭は天保十三年(1842)で再建後間もおかず本殿を見守ってきたようです。参道右に立派な出羽三山塔が並んでいます。昭和13年出羽三山・百観音塔、大正八年・平成8年・平成9年の出羽三山塔もありますね。ちなみに平成8年塔を見ると昭和32年8名から始まって昭和34年7名・昭和36年8名・昭和48年15名・昭和51年22名・昭和52年18名・昭和61年16名・平成4年14名で講員が参拝を済ませ記念碑を建立したことが分かります。小さいながらも境内を丹念に見ると天保三年(1832)浅間大菩薩と刻まれた富士講関係石塔があったり、安政四年(1857)「石尊大権現」塔・明治45年再建「大杉大明神・天満宮・鷲大明神」塔・明治2年榛名山三峰山両社宮塔・文政八年(1825)金比羅大権現石祠などなど山岳信仰碑を中心に民間信仰塔がオンパレードですね。浅間大菩薩塔は「鳩の三志=富士講第八祖の武州鳩谷・小谷庄兵衛」が唱道した不二道孝心講の建立ではないかとテキストで言及しています。食行身録の富士講の継承ですね。

64-4鷲野谷バス停前の庚申塔
香取神社から西進400mで鷲野谷バス停があります。そのY字路に柵に囲まれて文字庚申塔が2基置かれています。左が明治5年右が明治13年の三猿付文字庚申塔です。拡声器の円柱がある傍に文字馬頭観音塔も3基置かれています。左は明治39年塔、中は馬頭浮き彫りの文化六年(1809)塔、右は明治14年の馬頭観音塔で「西 流山 とりで 道」「東 なり田 南 鎌ケ谷 道」の表示の入った道標も兼ねている馬頭観音塔です。明治に入っても、こちらは手賀沼南岸の交通の要所だったのでしょう。敷地内に「辨栄聖者御生誕聖地鷲野谷」の石柱が立っています。明治から大正にかけて全国を布教活動した浄土宗の高僧です。仏教の根本思想をもって光明主義をとなえ、晩年に藤沢市の無量光寺に開設した光明学園は現在の光明学園相模原高等学校へ続いております。後で訪れる医王寺薬師堂前に顕彰碑があります。(沼南風土記から要約引用)

64-5染谷家墓地の一字一石題目塔
鷲野谷バス停から50m坂道を登っていく右側に石段があります。少し登った木立の中が墓地になっていて、上の写真で正面の明治29年髭題目の奥の高みにずんぐりした角柱型(香篋形と分類するようですが)石塔があります。正面に「南無妙法蓮華経」側面に「一石一字法華経塚  妙経を一石一字書写の徳 父母も衆生も皆共成仏・・」と記載があります。法華経を一字ずつ小石に書写し供養したものでしょう。

64-6星神社の石塔
鷲野谷バス停を北東へ村中を進めば参道となって星神社に導かれます。享保年間に建てられた本殿が銅製の八幡型鳥居の奥に見えています。祭神が妙見大明神の北斗七星であるところから「妙見様」とも言われ、泉の妙見社とともに2月22・23日に鳥ビシャが行われますと表示された標柱が立っています。境内右手に4基の石祠石塔が祀られています。左から大正14年稲荷大明神塔・文政十一年(1828)三玉大明神/疱瘡神石祠・明治27年山神祠・慶応四年(1868)太子塔となっています。太子塔は職人中の造立です。碑面が読みきれないですが左上部に「思」■「尊」右上部「天置帆」■「尊」と刻まれているようです。
思兼神と思われ、Wikipediaで学習しておきましょう。天置帆屓尊と資料の碑面に記載がありますがちょっとわからないですね。次の医王寺はボリュームがあるので次回としましょう。

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