130-1 大日庵の石仏
県道7号線の柏市立病院交差点から北西へ500mで、県道に北面した大日庵があります。私は余所者で無知だったですが、北総では○○庵と称して実際は墓地「≒墓地中の粗末な小屋など」を指している事が多いようです。
県道に面した入口。右手門柱の裏に石仏が並びます |
左から寛政六年(1794)文字青面金剛塔・正徳五年(1715)ショケラ持青面金剛塔・大正10年・8年・13年・天保十一年(1840)各文字馬頭観世音塔・延享三年(1746)宝馬を頂いた馬頭観世音像塔が並んでいます。あっけらかんとした印象の所で、並んだ石仏達も周囲の変わり様に驚いているようです。
延享三年馬頭観世音塔 |
ガイドブック(柏市史)に記載がない石仏です。このあたりでは余り見かけませんが、日蓮宗のお寺では番神堂なるお堂によく祀られる石仏です。県道7号線沿いのTUTAYA北柏店の斜め向かいの駐車場の隅で見つけました。お堂の中に大正五年の三十番神、後方のブロック壇に昭和の水神宮など石祠が4基祀られています。
個人所有の駐車場敷地隅にあります。お断りして御参りするのがベターでしょう。 |
長崎県島原市護国寺の三十番神本社へ参拝記念と記されています |
日本の神様読み解き事典(柏書房)に「1ヶ月30日の間、毎日番がわりに国家人民などを守護すると信じられる三十柱の善神・・、種類は多く天地擁護の三十番神から如法経守護の三十番神まで10種類の三十番神があって・・・」と載っています。Wikipediaでも三十番神を見ておきましょう。
後方の石祠は 昭和9年最上稲荷・昭和32年文字馬頭観音・昭和32年水神宮・土公?神となっています。
130-3 長泉寺の石仏
先ほどのTUTAYAから100mほど西進すると、広く長い参道と駐車場のある長泉寺です。入口の大きな表示(真言宗長泉寺ぼけ封じ)が目印です。
両側の門柱の続いて、庚申塔などの石仏が並んでいます |
左:青面金剛塔、中:百観音巡拝塔、右:光明真言塔 |
左:梵字庚申塔、中:出羽三山供養塔、右:ショケラ持青面金剛塔 |
ショケラと二邪鬼が可愛いですね |
右に見えるぼけ封じの赤い幟の傍にブロンズの観音像が立っています。よく見ると、観音の足許にすがりつくのはジジ・ババではあーりませんか?
観音様に縋りつく爺・婆は可愛い? |
中央が寛保三年延命地蔵 |
長泉寺から30m西進すると香取神社です。県道入口から100mも続く長い参道を進めば、木製の両部鳥居があって、その先に緑色の屋根がある拝殿が建っています。
長い石敷きの参道です |
低照度の為、被写体を調整していますが合成写真ではありません |
石仏群は参道途中の左にある寛政六年(1794)石鳥居に続く参道奥に広がっています。下の写真では、石鳥居の脇に宝暦八年(1758)香取大神宮奉納常夜灯と力石が置かれています。力石は「花四十五メ」と刻まれていて、本当に重そうです。
鳥居を進んだ右に三峰神社などお堂が並んでいます |
お堂に続く石祠群 |
逆光強く正面からは撮影出来ず、やむなく右前方からの撮影です |
香取神社には奉納された算額(未見)があって貴重な絵馬との表示がありました。
130-5 大洞院
柏市立花野井小学校の南に位置します。市史によれば、江戸時代は既出の我孫子市都部(いちぶ)正泉寺の末寺であったとか。お寺HPでは室町後期の開山で花野井木戸から宝暦元年にこの地に移転したと記載されています。大洞院の大銀杏は樹齢450年と古く、市教委の表示やネットブログの書き込みが目に付きます。
左が樹齢450年の大銀杏です |
その脇に頭部に如意輪観音を浮き彫りにした、文政二年(1819)十九夜塔が立っています。写真左に見えるのは明和五年(1768)六地蔵です。境内の石仏(墓碑を除く)は特記なしですね。
只、壁画が明るく描かれていてこういうお寺もアリだなあと思いました。
地獄か極楽か、楽しそうです |
花野井の石仏は以上ですが、こちらに足を伸ばされるならこの歴史公園をお勧めします。広々した芝生の広がる先に黒塗りの旧吉田家住宅が見えます。茅葺の本宅は昔の大庄屋みたいです。
左の入口が通常の土間へ続き、右の玄関はオフィシャル専用 |
石仏らしきものは駐車場南西隅に安政五年(1858)石函宮石祠があります。「(吉田家敷地で)古墳らしきものを整地中に石棺が出てきたのでこれを祀ったものと伝えられているようだ」と市史に記述があります。
以前は小堂に祀られていたようです |
より大きな地図で 130 北総石仏 柏の石仏 花野井 を表示
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