思いつくままに関連した石仏を掲載することもあるのでご容赦。
142-1 御嶽三尊(房総の石仏No.88)
丸彫りは珍しく、木曽御嶽山野田市木間が瀬の白山神社に祀られています。訪問時は震災後8ヶ月程経った頃です。
拝殿左の広場で無残な姿を拝観することになりました。現在はどうでしょうか?
台上に残る三笠山刀利天、背を向けているのが座王権現、右下に(八海山)大頭羅神王 |
木曽御嶽信仰では蔵王でなくて座王権現と表記(するらしい) |
(八海山)大頭羅神王=だいづらしんのう |
したがって中国武将・護法神風に右手剣・左手薬壺持ちに作られています。
台上の三笠山刀利天は右手槍・左手羂索持ちであったようです |
白山神社の境内は灯篭は落ち、拝殿の羽目板も痛々しい姿でありました。
本殿の脇に小さな随神が控えていますが、両神とも被災し痛ましい姿が残ります。
右・随神は向かって顔部右半身が剥落し、左随神も同様の損傷です |
右端は文化八年大乗妙典廻国塔・隣は明和六年青面金剛塔、他に慶応の三玉大明神や宝暦十一年庚申塔 |
明和六年青面金剛塔は、右手剣持ですが左手は持物無く下部は桃持ち一猿二鶏の珍しい像塔です |
下部は桃持ち一猿二鶏の珍しい像塔です |
御嶽大神関係の記載は「神殿大観」HPを参照引用させていただきました。
142-2 野田市中里三社権現の大杉明神塔 (続房総の石仏 No.152)と御嶽三尊
木曽御嶽信仰は北総では盛行し、百選石仏のある近くの三社権現でも御嶽三尊が拝めます。
拝殿左広場に二十三夜塔・子待供養塔などもあります |
茨城県稲敷市阿波の大杉神社の大杉大明神が、「アンバ様」として利根川流域に疱瘡退治に享保十年ごろから巡行が始まったとガイドに記されています。
拝殿左に富士塚がありその斜面に、文政六年(1823)の大杉明神塔があります。
周りが杉の葉で、左右に大天狗・小天狗の刻字 |
三笠山刀利天 |
大頭羅神王 |
2010年3月4日付で67E-2御嶽神社の造化三神を公開しました。こちらは国生三神を祀っていますとガイドどおりの記載をしました。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かみむすひのかみ)と称していますが、はたしてそうか?
主尊御嶽座王権現=天之御中主神? |
右手(折れた)剣持、左手薬壺持は大頭羅神王の持ち物です |
右手(折れた?)槍、左手羂索持ちは三笠山刀利天の持ち物です |
高御産巣日神・神産巣日神が薬壺・羂索持ちは無理な気がします。訂正しますね。
より大きな地図で 142 房総の二百仏 野田市御嶽三尊(No.88) を表示
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