2014/01/20

159 房総の石仏二百仏 市川市編上

はや平成26年を迎えてしまいました。反省しつつぼちぼち(墓地墓地)と綴っておきましょう。
159-1 稲越霊園の題目塔 (続房総の石仏No35)
千葉県市川市稲越町にある県立国分高校の東100m、梨畑に隣接して稲越霊園があります。正面入り口を入ると3基の石塔が迎えてくれます。髭(ひげ)題目塔を真ん中に左右に合掌形釈迦如来塔が並んでいます。
左が房総の石仏・日本石仏辞典に収載された石仏です

左が天和三年(1683)題目講中の造立の題目塔です。天蓋に妙法と刻まれています。真ん中は寛政六年(1794)の髭題目塔です。題目は法華経の表題である「妙法蓮華経」ないしそれに帰依する「南無妙法連華経」をいい(岩波仏教辞典)「文字の一部の字画が長く伸び、ヒゲ題目の別称もある。ヒゲは光明を放出し威光を表すともいう」(日本石仏辞典)
ところで髭は口ひげ、髯はほおひげ、鬚はあごひげを表すようで、鬚題目・髯題目は誤字ということになるのでしょうか。
霊園前の道路沿いに、12基の馬頭観音などを祀った一角があります。梨畑に隣接して大切にされているようでした。右から2基目は明治37年・日露軍馬観世音と記されていました。
右から4基目はこの中で一番古い文政五年(1822)宝馬ある馬頭観音塔
159-2 安国寺の釈迦如来像(房総の石仏百選No.1)
日蓮宗安国寺にある庚申塔の釈迦如来像です。曽谷の領主・曽谷教信が日蓮に帰依し立正安国論に因んで文応元年(1260)に開いたのが長谷山安国寺です。延享元年(1744)江戸の儒学者と書家が書聖王義之の像を建て「晋右王公廟」の額を掛けた宮が設けられていたとか。(市川市教育委員会の解説版)
明暦二年(1656)県下日蓮宗地区で早い建立
三猿もなく見た目は庚申塔とわかりませんが、写真に撮れなかった背面に「奉曽谷郷庚申待石佛造立処・・」と読めました。
159-3 市川柏井・子安神社の(層塔)庚申塔・・(続房総の石仏百選No.45)
市指定重要有形文化財の五層の庚申塔です。「宝珠・請花・露盤からなる相輪、笠、軸、基礎、基壇で・・・軒裏に垂木・・・多宝塔の亀腹を思わせる特異構造・・千葉県下ではこの1基だが・・」(続房総の石仏百選の解説)
元禄三年(1690)相輪部は別石の可能性

簡素な境内の隅に囲われていました。
159-4 市川国分寺の清瀧権現(房総の石仏百選No.77)
往古の市川国分寺は下総国分寺とも呼ばれます。(Wikipediaご参照) 朱塗りの門がきれいです。
南大門(仁王門)は明治24年消失を昭和53年再建
朱塗表示建物は上に講堂基壇、左が七重塔基壇、右が金堂跡で現在の本堂立地

 参道をはさんだ中庭に清滝権現(Wikipedia)が祀られています。
寛文二年(1662)二頭の龍が絡み五輪塔を頂く図柄。
 空海御遺告で「インド神話八大龍王の1神の神話善女龍王」、空海が神泉苑行った雨乞修法に出現した神様です。
ガイドブック(房総の石仏)では信仰の形態や銘文から、建立地や建立の趣旨の種々の可能性を指摘されています。こちらには、寛文八年の阿弥陀如来や元禄九年十九夜塔(反手如意輪)もおられます。
159-5 地蔵山墓地の天灯鬼・竜灯鬼 (房総の石仏百選No.71)
京成線市川真間駅のすぐ南、自然幼稚園の脇を通り抜けると砂地の続く墓地に入ります。
正面に大きな地蔵塔をみて、参道右の無縁墓碑の中に 天灯鬼・竜灯鬼がおられます。ガイドにもあるように、興福寺の木造天灯鬼・竜灯鬼は超有名ですが石造で目にできるのは貴重です。
左は頭部に灯篭(欠損)の載せた竜灯鬼、右は肩に灯篭を載せていた天灯鬼


より大きな地図で 159 房総の石仏二百選 市川市編上 を表示