2014/12/20

162 タイ・アンコール遺跡の石仏Ⅱ


前回はタイの石仏でとまってしまいました。今回は一気にアンコール遺跡群を駆け巡ってしまいましょう。バンコクの北にあるドンムアン空港から約1時間半でカンボジア第二の都市シェムリアップ(SiemReap)に到着します。カンボジアは人口100万人、ビザが必要な国家です。元フランス領であったためか、西洋の観光客が多く目に付きます。
162-1 アンコールトム遺跡
シェムリアップの北にアンコールトムがあります。観光客がまず第一に訪れる人気遺跡です。が、観光客の多さにやや閉口しますね。9世紀~15世紀まで続いたアンコール王朝でもっとも隆盛を誇ったジャヤヴァルマン7世が12世紀末に造った城砦都市です。西南北の門と死者の門・勝利の門がありますが観光客は南大門から入ります。
一方通行の狭き門、四面仏顔の塔、朝の観光客の多さには神も仏も閉口されている?
ここでヒンドゥ教の天地創造神話(乳海攪拌)が橋の両側を飾っています。ヴィシュヌ神の化身の亀に大マンダラ山を載せ、大蛇をからめてその尾を神々が、その頭を阿修羅が引き合って海を攪拌することで不老不死の薬を作り出そうという話です。南大門の向かって左に大蛇の尾をもつ神々が、右側には阿修羅が欄干となって並んでいます。
このように神々が大蛇の尾をもって引き合っています。

神々の反対側、橋の右側では阿修羅の整列です
アンコールトムの中心にバイヨン本殿があります。その回廊を飾る49の観世音菩薩の顔を掘り込んだ四面仏塔が圧倒的な異空間を感じさせます。
観光客の背丈と比べると圧倒的なデカさです、しかも全部観世音菩薩のお顔ばかり
また、バイヨンの第一回廊には当時の世相を掘り込んだレリーフが続きます。日本語ガイドさんの解説に聞き入ります。
中央左はチャンパ軍(ベトナム中南部の敵国)との水上戦闘場面が続きます
当時の日常生活も活写されています、よくガイドに紹介される出産シーン
回廊の柱には、アプサラと呼ばれる踊る天女も

 バイヨンをでて広い城内に、閲兵に使用されたという象のテラスがあります。
わかりやすいですね
三島由紀夫の戯曲「ライ王のテラス」は見そびれました。頼病の王のレプリカがあるそうですが、近年お調査でヤマ神(閻魔大王)と判明したとか。
162-2 タ・プロム遺跡
前述のジャヤバルマン7世が母親の為に建てた仏教寺院で、後にヒンドゥ教に改修されました。あちこちに装飾仏像が削られた跡がありますが、それよりも自然破壊、ガジュマル等樹木の侵食がすさまじいですね。とても、1万人余の人々が住んだ跡とは思えません。
往時は立派な回廊が続いていたのでしょうが。その上に樹木?

木根の大きさ・破壊力がよくわかりますが、観光客の多さはもっとすごい
162-3 アンコール・ワット遺跡
スールヤヴァルマン二世が12世紀前半に建てたヒンドゥ教の大伽藍。王朝滅亡後は上座仏教が持ち込まれ現在は仏教寺院として行き続けています。他の遺跡は東が正門が多いのですが、アンコールワットは西門が正門のため、午後の訪問がお勧めです。
水面に移りこんだ姿が美しいガイドお勧めのピンナップスポット
寺院の塔ひとつとっても圧倒的な石の装飾
建物内部の2階回廊です。石の存在感がゆるぎない信仰を支えているかのようです
回廊・通路です。両脇はテヴァター(女神)というヒンドゥ彫刻です
こちらは壁に。しかし触られて黒光りしているのは?
女神ばかりでなく男神もおられますが、これはナーガ(蛇神)に守られた仏陀
こちらは間違いなくお釈迦様です
回廊に施された圧倒的なヒンドゥ彫刻にほれぼれします
この遺跡の面白さのひとつに回廊の浮き彫りレリーフが上げられます。日本流に言えば神社仏閣などの板壁に二十四孝などが彫刻されているようなものです。それが壁一面に約200mほど四面続いているのを見れば、その圧倒的な存在にびっくりします。西面にインドの古典叙事詩「マハーバーラタ」とヒンドゥ教の聖典「ラーマーヤナ」の場面が続きます。
西面にヒンドゥ教聖典「ラーマーヤナ」、猿の軍隊と魔王軍の戦いの場面

猿軍の大将ハヌマーンの肩に乗ったラーマ王子が矢を射るシーン

魔王は10の頭と20本の腕をもつといい、戦車の上で十一面観音の化仏のごとき顔と千手観音の如き腕が見えます


東面は「乳海攪拌」や「ヴィシュヌ神と阿修羅の戦闘場面」南北面にも神々の戦いなどが描かれています。見ていて飽きません。
162-4 バコーン遺跡
881年インドラバルマン一世によって建てられた国家寺院。ラテライトと砂岩でできているためこの年代の古さから石造遺物の風化が激しいです。
石造物は1100年以上ももちこたえこの姿をのこしている
ラテライトにきざまれたた天女たち

テラスの四方には石象が配置されていますが、いずれも鼻が欠けておしい
162-5 プレアコー遺跡
880年インドラバルマン一世によって建立された6つのタワーを持つ小さな古代ヒンドゥ寺院です。
後列の仏塔です、小さいとはいえこの質量
嵌め殺しの扉です。砂岩で精巧に作られています。上部装飾も立派に補修されています。

門衛まで控えていますね。
162-6 ベンメリア遺跡
アンコールワットの東40kmにある巨大ヒンドゥ寺院。12世紀半ばにつくられ周囲に環濠をめぐらせてアンコールワット遺跡に似たようなつくりといわれている。地雷撤去や道路整備が進み、また遺跡の整備もおこなわれたことで随分めぐり易くなったと現地ガイドの説明。
しかしジャングルの中にあってフランス統治時代に空中飛行から見出された経緯のとおり、ガジュマルや密林植生の破壊がすすんでいます。
アンコール遺跡群中随一のナーガ(蛇神)と現地ガイドの弁

正面参道の先には崩れた南門

反対側の中から南参道を見ています
桟道から屋根付回廊に施された装飾壁画や窓の桟柱がよく見えます

高低差の回廊が巡らされ歩きよくなっています

「乳海攪拌」のレリーフが桟道脇で直見できます
蓮池上に蓮もちの女神?頭上には天女たち

回廊の中は書庫であったようですが、今でも通用しそうな雰囲気です
162-7 ロレイ遺跡
シュリムアップの南東13kmにある遺跡です。893年ヤショバルマン一世が建てたヒンドゥ寺院です。元は環濠のように池にかこまれた寺院だったようですが、今は周辺が干拓されて面影はありません、英文ガイド本「ANCIENT ANGKOR」には見学時間15分と鴨居の装飾などが見所とそっけなく載っています。レンガつくりの聖堂が4基ある小規模な遺跡です。
植生が生えた塔はますます荒廃を感じさせます
ガイド本どおり鴨居の装飾は見事です

壁に嵌めこまれた天女も見事です
隣接した仏教寺院
須弥壇上の釈迦と弟子たち、本堂内の全面はカラフルな釈迦の壁画で埋め尽くされています
以上で、おしまい。

2014/12/06

161 タイ・アンコール遺跡の石仏

9ヶ月ぶりの掲載です。二百仏シリーズの記載は続行の予定ですが、
時間ができた割りに寄り道が多くてなかなか続きません。ご容赦。
今回はいきなりですが、カンボジア・アンコール遺跡訪問の備忘録です。
なぜアンコール遺跡かといえば、夏に観光旅行で5日間ほど滞在訪問する経緯となり、日本と違う石造遺跡写真をちょっとご紹介。バンコク経由でカンボジアへ向かったので、タイの石造物も少しだけ。
尚、お休みの間にPCやネット環境が変化しており見苦しくなった点あればご容赦ください。

1.タイ・バンコク(市内)の石仏
訪問は8月上旬雨季の時期でした。タイは仏教国です。日本の銀座通りともいえるラーマⅠ世通りのホリディイン・ホテル近辺で、グランドハイアット・エラワンホテルの交差点角にエラワン宮があります。早朝から驚くほどの人々が礼拝に訪れます。
ヒンズー教のブラフマー神が祀られていますが、私はてっきり仏教の釈迦如来と思っておりました。
実は仏教では梵天さんとして知られている仏様ですね。
ビル街の一角ですが庶民が早朝からお参りです
バンコクで有名な王宮周辺も、観光スポットですね。1.9kmの城壁にかこまれた王宮内に31の主要な建物(宮殿・エメラルド仏寺院・経堂・霊廟etc)が屹立しています。
王宮内の金ピカの建築はガイドブックに任せるとして、敷地の片隅には変な石造物が見かけられます。王宮の南にあるワットポー寺院(大寝釈迦佛)敷地にも変わった石造物がそこかしこです。
エメラルド寺院(ワット・プラケオ)敷地内で中国神?

暁の寺の入り口を守っていた番兵

タイ仏教の神様ヤック、建物を支えていますが足の形が面白いヤック(日本では夜叉)

ヴィシュヌ神が乗る聖なる鳥ガルーダのようです。日本では仏教守護の迦楼羅天

ワットアルン(暁の寺)にあった洋式番兵

うーん、狛犬かな?確か三田地区のお寺で見かけた狛犬そっくり

この石柱はリンガ(陽根)を表わしています
また、チャオプラヤ河をはさんだ暁の寺(ワットアルン)にもリンガはありますね。

上に記載したうち彫刻された中国風味の石造物は、清朝から輸入された石造置物ですね。中タイ交易の際に中国からの帰り舟は空荷の為、その重しとしてタイにもたらされた物ということです。
2.アユタヤの石仏  
バンコク市内から北へ約1時間半のバス旅です。その途中、チャオプラヤ川の中州にアユタヤ王朝のバン・パイン夏離宮があります。離宮の名のとおり美しい庭園と建物があります。

美しい庭園の造作はいかにもタイ国らしい象の群れですが石仏はありません


ビルマ軍に破壊されたワット・ロカヤスタの寝釈迦です。痩せ具合やその寝姿はいかにも入寂のように思えますが、晴天白日下ではその風情が・・・・・です。惜しい。
野ざらしですが1767年頃のビルマ侵略を経験した28mの仏様です(ワット・ロカヤスタ遺跡)
アユタヤの王宮跡は歴史公園になっているのですね。
ワット・プラ・スィー・サンペット(王室守護寺院遺跡)仏塔が林立しています
園内にはいたるところに石塔や石仏が散在します。しかし、完全な形で残るものは皆無に近いでしょう。
状態の良い釈迦如来でしょうか、日本でいう降魔印のような手印です。
本当は首や手足の欠けた石仏がほとんどです。
無常ではありますが、風土の故かその感慨もえらく乾いた無常と感じられます
公園の禁止事項が、タイ語・英語・日本語で「石仏に自分首をおいて撮影するな・・・」などなど図解でわかりやすく表示されています。このあたりも最近は中国語・韓国語があふれていますが。
ここに中国語表示がないのは片手落ちかな。
広い境内にレンガ積みの遺構がひろがります。破壊された石仏のいろいろなパーツが散らばっています。何世紀かの間に下の写真のような仏頭がのこりました。観光ガイドブックにはおなじみの写真ですが、実際に見てみると「・・・・そうなんだあ」と言いつつその前でポーズ写真をとるのは不謹慎でしょうか?
ワット・プラ・マハータート遺跡でもっとも有名な仏頭です
環境変化で傾いた遺構も多く見かけます。
傾いていますが、地盤沈下が原因のようです(ワット・マハータート遺跡で)
日本の石仏とタイ・アユタヤの石仏を見て感じることは、人と仏との距離感でしょうか?日本は石仏を自分に近しいものと意識して祀り、タイでは仏はあるべき姿を崩さず人を救済する存在として凜としてそびえる。独りよがりの考えですが、この旅でそんな感想をいだきました。