2012/01/21

129北総石仏 柏の石仏 宿連寺

旧宿連寺村は布施村・根戸村とともに相馬郡に属し、柏市の北東部に位置します。幕末期には幕府知行所もあった小さいながらも由緒のある在所です。県道7号我孫子関宿線の市立柏病院交差点の南側に位置しています。
129-1 普門院の不動明王
柏病院の信号から南方100mの住宅の中に、無住の真言宗普門院があります。整地された敷地の片隅に赤い小さなトタン屋根の雨除けが立っています。
その中に深彫りの不動明王が祀られています。宝暦十二年(1762)銘をもつ火炎向背を背負った石仏です。

隣に首のない数珠持ち石仏もおられます。左後ろには天蓋にキリーク?を刻んだ板碑の残碑も建てられています。不思議に簡素なお寺でありました。
129-2  普門院墓地の六地蔵
普門院を出て南に下る道路沿いに共同墓地があります。こちらには入口に明和八年(1771)の六地蔵がおられます。墓碑も並んでいますが、左端の石仏が気になります。
左端は奉納六十六部と刻まれた元?文二年の石仏です
 129-3  墓地下の石仏
墓地を出て坂道を下って右折した崖下のような所に、9基ばかりの石仏がおられます。
 右から延宝二年(1674)念仏講供養の地蔵です。隣が延宝六年(1678)庚申供養の阿弥陀如来です。
手先欠損していますが立派な庚申供養銘の如来像です。
次が紀年不明ながらしっかりした三面馬頭観音塔です。
正面の像容が欠落して惜しい
あとは天保八年(1837)・嘉永五年(1852)・天保四年(1833)・安政七年(1860)文字馬頭観世音塔が並びます。
はじめの写真左の雨除けの下には、2基の道祖神が折られます。手前の明和の道祖神は破損しています。奥にある道祖神は昭和24年に再刻した明和六年銘をもつ道祖神なので、手前の道祖神を再刻したものかもしれません。
129-4 宿連寺湧水
先ほどの崖下から50m西進すると、宿連寺簡易郵便局の先が湧水地でささやかな池があります。
宿連寺湧水の表示、亀の甲羅干しが見えています
亀ものんびり泳いでいるような不思議なところです。
129-5 須賀神社
宿連寺前の道を200m東進すると須賀神社があります。
昭和3年の石鳥居の奥に拝殿が見えます
 境内の須賀神社新築記念碑に「天正年間(16世紀末)に素戔嗚命を御神体として鎮座・・天保五年に約一千五百名に及ぶ永代講員の安全祈願が執行・・大正三年に元富勢村村社として・・」と由緒書きを述べています。
鳥居をくぐったすぐの右手に 墓石のような角柱型の文字青面金剛塔が2基並んでいます。
左:文化元年(1804)、右:寛政九年(1797)
 正面の参道を進み拝殿左に回りこむと9基の石仏石祠が迎えてくれます。
左6基が諸神石祠、右3基が三猿庚申塔
左から明治11年雷神・文化三年?山王石祠残欠・寛政五年(1793)秋葉山塔・天保四年(1833)山神・宝暦八年(1758)天満宮・紀年不明浅間山塔が6基の石祠です。
三猿を下部に刻む庚申塔
 続いて天和三年(1683)・元禄十六年(1703)・元禄五年(1692)のいずれも古いタイプの庚申塔である三猿庚申塔となっています。
更に進むと木立の中に赤い小さな雨除けが見えます。中に明治14年浅間大神が鎮座していました。又、神社裏手にあたるところに小さなお堂にがあります。この中にも2基の石仏です。
左に安永五年待道大権現・右に明治10年二十三夜塔
待道大権現は疱瘡の神様であり、二十三夜塔は三夜さまとも言われ女性連の月待講で信仰されています。須賀神社は村の民間信仰の集会所の様相を呈しています。

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2012/01/10

128 北総石仏 柏の石仏 布施Ⅲ

布施地区は思ったよりも石仏の集積が多くて整理に手間取ってしまいました。先をいそぎましょう。
128-1 土谷の圓性寺
布施弁天東海寺から南東1kmのところに飛龍山圓性寺があります。流山の西円寺の末寺といわれています。境内東方に土谷津町会ふるさと会館が建っています。
 境内左手には相馬霊場85番札所でもある大師堂が建っています。
その左に石仏がまとまって祀られています。
左に石仏群で右は宝暦二年(1752)宝篋印塔

順に見ていきましょう。
前列左から文政十三年(1830)青面金剛文字塔、享保四年(1719)二童子付六臂数珠持青面金剛塔、文化十三年(1816)青面金剛塔、明治19年弘法大師一千五十年遠忌塔です。後列には左から正徳五年(1715)「・・光明真言持斎供養・・」地蔵塔、文化三年青面金剛文字塔、文化元年(1804)自然石型青面金剛文字塔、文久三年(1863)文字庚申塔が並んでいます。
首無し地蔵ですが斎供養は久々です

自然石型の庚申塔は信州で見て以降ですこれも久々
3列目は宝暦五年(1755)・昭和元年文字庚申塔・元禄八年(1696)三猿庚申塔・宝暦四年(1754)庚申塔が並びます。大きな自然石型石碑は普門品十万巻供養碑、享保四年(1719)天蓋付きの護讃(ガイドに記載?)地蔵も並んでいます。
天蓋の付いた地蔵
次は本堂の左手を進むと、1.5mほどの盛り土のところに妙見社の小祠が祀られています。前回に見た古谷の妙見社と同じく、元文二年(1737)の「布施村除地改書出帳」に記載があるところから、結構古くから信仰されているものです。
妙見菩薩は千葉氏相馬氏の守護神です
 石段左手前みえるのは馬頭観音の整列です。天明二年(1782)から昭和34年までの文字馬頭塔が並んでいます。二馬頭の並列だったり馬印を頭部に頂いたりしますが、いずれも文字塔ばかりです。

妙見堂の中を拝見すると、毘沙門天のような石仏が祀られていました。天保三年(1832)八肱の坐像です。左右の手に槍や杓棒のような持物・合掌手・蓮持ち手・宝珠持ちの計八手です。柏市史に清水観音塔と記し聖観音の像容と記載があります。蓮持だけどホントかなあ。
先ほどの85番大師堂の裏にも 、大師坐像など6基ばかりの石仏が並んでいるので載せておきましょう。
後列右から三日月不動尊で二番目が鳥猟供養塔

前列右端は明治24年延命地蔵・後列に明治24年二十三夜塔と並んで明治11年~29年鳥猟繁栄供養塔が祀られています。その隣は明治29年三日月不動尊が建立されています。各地にも三日月にちなんで三日月不動尊があるようですが、当地では委細不明のようですね。
128-2 土谷の日枝神社
圓性寺の北100mのところが日枝神社です。草原の敷地に木祠が点在しています。こちらには社が七つもあるので土谷津の七社様とも呼ばれているとか。
左から香取神社・日枝神社・今村大杉大明神・天満宮
 林の隅に大正2年馬刀神石像が置かれています。馬頭観音の意味でしょうか?
 
日本石仏事典第二版の241Pに「馬力神は蒼前神(馬の守護神)の別称か馬頭観音の異称か分からないが・・茨城県では県北に馬力神が明治以降になって多く・・」との記載があります。力も刀も石仏ではよく混同が起きるので馬力神と同じでしょうが、ちょっと見かけないですね。
祠の広場の脇の竹林を進むと、仲良く文化?年間「内神」と陽形の「石上大明神」がペアで祀られていました。もっと脚光を浴びてもいいのにと思うのは、教育のこと考えないオジサンの発想でしょうかねえ?
内神は事典類に記載なく、ウチガミならば屋敷神と日本石仏図典392P
128-3 土谷津共同墓地(旧加納坊?)
圓性寺の南西200mの畑地の中に124-6で見た南龍寺の新しい阿弥陀堂があります。阿弥陀堂に隣接した共同墓地に六地蔵と十九夜塔が祀られています。
像容が荒れていて読めませんが、六地蔵は安永五年(1776)で十九夜塔は寛政七年(1795)と思われます。
128-4 土谷津外蘭塔場(鴻ノ巣共同墓地)
阿弥陀堂前の道路を真っ直ぐ50m南下すると、右手段差上に共同墓地が現れます。土谷津外蘭塔場の石柱が建っています。この道路沿いに馬頭観音が整列されています。明治大正昭和平成に掛けての文字馬頭観音塔が並んでいます。
左の大きくて新しいのが平成九年の馬頭観音塔です
 右奥のほうの馬頭さんは2頭仕立ての馬印が面白いですね。
牝馬(ひんば)?牡馬(ぼば)?
 128-5 布施第四公園の石仏
蘭塔場から南東200mの分かりにくいところにこの布施第四公園があります。
左の木陰に石仏が整列しています
 入口を入ったところ左側に5基の石仏が並んでいます。
左端は台石に三猿を刻んでいますが、上に乗っている石柱は不明ですね。あとは庚申塔が4基と分かります。左から文政十三年(1830)青面金剛文字塔・文化十四年(1817)異体字青面金剛塔・正徳五年(1715)六臂合掌青面金剛塔・年不明青面金剛文字塔が並んでいます。いずれも古谷入口から移設されたもの。広場の片隅にぽつねんと立っている姿は庚申塔と思えず寂しそうに見えますね。
布施はこれまでとしますが、七里の渡し跡にある水神・稲荷石祠は未見。機会あれば採集しておきます。
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