2018/02/03

168  船橋市境を巡る旅 その壹

筆者の住んでいる船橋市は人口62万人の中堅都市である。西に、市川・鎌ヶ谷、北に白井・八千代、西に習志野に囲まれその市境は50㎞以上にも及ぶ。100円で手に入るガイドマップふなばしと時間があれば市境の旅に出発できる。何が見えるのか?観ながら、歩きながらの小さな旅の報告です。

1.スタート地点


1.自宅に近い白井市との境からスタートです。この道を北上します。左が白井市、右が船橋市高野台です。家並みを挟んでこの道に平行して木下街道(きおろし)が走っています。
地味な裏通りからスタートです。右側船橋市、左側が白井市。
 明治12年頃の迅速図を見ても、この道路は八木ケ谷村と印旛郡根村との境界が描かれている。江戸時代でも境界として確定されていたことが分かる。
およそ800mほど進むとしたの写真のような変則5差路に出る。左に見える軽自動車が進んできた道が上の道路の出口となる変則5差路の市境です。
変則5差路、右に見える道路が鎌ヶ谷大仏駅からの木下街道です。
この交差点から南へ下ります。北総白井病院の前を通りすぎますが、市境はこの病院の駐車場を横切って走っています。おおよそ600mほど下っていくと、角に馬頭観音の石碑がたつT字路があります。市境にできるだけ近いところを歩くべく、この角を北に曲がり新興住宅地の通りを歩きます。
T字路角に、昭和の文字庚申塔がたっています
道なりにカーブしていくと、林の中の未舗装の道にひひきこまれます。林の中にも小さな石碑馬頭観音文字塔がおかれています。この未舗装の終点で市境に突き当たります。フェンス越しにゴルフ練習場が見えます。金網が船橋と白井の市境と思われます。
突き当りがフォレストゴルフ練習場です
しかしこの道は行き止まりとなって目の前に見える二重川沿いの道路に接続していません。已む無く行き止まりの道を西側斜面沿いのあぜ道を進みます。適当なところであぜ道伝いで川沿いの道に出ることにします。いよいよ、本格的な市境の旅が始まります。
2.写真の二重川という川にでます。この川は鎌ヶ谷大仏駅近くの井草源流から北東へ上り、北総線小室駅の北側を通る神崎川に合流します。そして印旛沼へそそぐ約20kmほどの一級河川です。南に東京湾があるのに北東に流れるのでちょっと不思議な気がします。
川に出たところから西方にやきがや(八木ケ谷)橋が見えます。
地元では親しまれているところです。冬は富士山展望の好スポットでもあり、元旦には初日の出スポットにもなる所です。
西方の送電線鉄塔の間から冠雪の富士山が見える
この橋のたもとに下の写真のような掲示と記念物が展示されています。昭和10年代利根川の治水対策として「昭和放水路」が計画され、その流路になったのがこの二重川です。延長30㎞・川幅約200m超の大規模な計画でした。その痕跡の内務省測量標を展示しています。一部着手されながら戦後自然消滅のように忘れられた河川プロジェクトです。ネット検索ではあまり見かけませんが、近年刊本『昭和放水路をたどる』崙書房で詳しい経路や経過が発表されています。
内務省測量標に10.8(Km)と河口からの距離がしるされています
3.先行きの分からぬままの旅ですが、見通しが良くなるように下記の写真を入れておきます。緑細線が市境界線です。
緑実線が市境界線、左上から青実線で歩み右下の二重川へ
4.ここから川沿いに10㎞ほど、本日のメイン行程に入ります。川沿い散歩道に出たところ、先ほどのゴルフ練習場にかかる橋は平成14年6月竣工の橋戸橋です。この橋の西800mにかかる高野橋と元旦スポットのやきがや橋この間の川筋は絶好の自然観察スポットです。
コサギ・ゴイサギ・マガモ・カイツブリ・カワウ・カワセミなどが見られる貴重な散歩道となっています。ニシキゴイやカメ、それにイタチも生息しています。
カワセミは3羽ほど、運が良いと散歩に付き合って並走もあり
この橋戸橋から先約1kmにかかる橋が富が沢橋です。二重川をはさんで北が白井、南が船橋となっています。北の白井市富が沢集落は、江戸時代は復村でした。川沿いを歩いてくる途中でコンクリート造の宗照山光明寺が見えてきます。本堂の左奥と本堂裏がひな壇造成されていて、庚申塔・子安塔・墓碑(歴代住職など)が祀られています。
中央は邪鬼を踏んだショケラ持六肘の青面金剛です、右に十九夜塔など
白井市の石仏調査で10年前に訪れたお寺です。概要はブログに掲載済で、江戸後期であったような気がしますが、今は悲しいかな記憶にありません。
川沿いにもどり、ここからのどかな道をさらに1.2kmほど進むと「とみがや橋」が掛かっています。左岸(北側)へ橋をわたり、突き当りのT字路を左に進むと曲がり角が薬師堂(集会所)となっています。こちらに、石仏と力石5個がきれいに並べられています。力石は、十七〆(貫)・十九・二十二・三十・四十と刻まれています。1貫≒3.75Kgですが、村の若者の格好のレクリエイションだったのでしょうか。
十九夜塔や地蔵塔、ほかに坂東・西国・秩父巡礼を刻んだ巡拝記念塔もあります
薬師堂の北方に鳥見神社もありますが割愛して先を急ぎます。二重川に戻り、前方1.2Kmほど先に鉄橋3本が見えてきます。成田スカイアクセス北総線と国道464号上下線がかかっています。
ちょうど、スカイアクセス線電車が走っています。高運賃で悪名高い路線です。
単調な道をずんずん進みます。右手船橋市側で「船橋やすらぎの杜」墓地分譲が行われています。テーブル・ベンチに手洗いもあって一服するのに都合いいところです。
こから白井市から流れ込む神崎川の合流地点まで約1.5Kmです。この間に人が渡れるのは「ながとろ(長殿)橋」、「長殿堰管理橋」、「こふく橋」が架かっています。あとは国道16号線の架橋が頭上を横切ります。その先が難所です。しかし、千葉ニュータウンにむかう県道149号線が行く手を阻みます。工事中の県道は堤防道を遮ります。横断するには、ガードを乗り越えて進みます。
右側が船橋市、左側堤防が白井市、いきなり堤防道を遮断する横暴さ
そしてついに出会った神崎川合流点はY字形となっていて、架橋はありません。
中央が白井市復の八幡神社付近から流れ出る1級河川・神崎川、左が二重川
これまでの道筋と後半の道筋にそった市境を航空写真で見ると下赤線のようになります。
合流点Y字型は、赤線で尖がったピークのあたり、赤線の行程は約18Kmになりました
4.今日の最北部、神崎川合流点から南西に下る道筋に入りました。堤防沿いは広く歩きよい道です。北総線・成田スカイアクセス線がよぎるところまでは、二重川橋・小室橋・鎌倉橋と三つの橋を横切ります。
鎌倉橋のたもとに戦災死没水難横死の慰霊塔婆、平成27年8月神保組寺院千部講中
更に進むと、北総鉄道と国道464号線にであいます。こちらも、河川敷におりて道なき道を藪こぎして通り抜けます。
そして八千代市睦から北流する鈴見川と神崎川の合流点にやってきました。
下の流れが鈴見川で神崎川に合流します、ここが市境です
ここから鈴見川沿いに南下します。川は用水路のように整備されちょと不気味。

右側が船橋、左側が八千代市
川沿いに進むと八千代市営霊園が左手に見えてきます。その先で市境は鈴見川を離れ、左側斜面の山すそを巡り、国道16号線を隧道で通り抜けます。
上の道路が国道16号線、左上部の路上表示で八千代市と見えます
潜り抜けた先は、台地が入り組んだ地形となって市境は道路沿いと離れていきます。ゴルフ場の敷地を横切り、斜面を下り畑の中を区切っていきます。この区域は今の名前は鈴身町で、昔の村名は行々林村(おどろばやし)といいます。
鈴見神社脇の集会所に22基の石造物です。明和九年(1772)の二十三夜塔や平成23年子安塔など
赤子の横抱きが多い中、乳を含ませるタイプで私好みかな
市境は林の中のため忠実に市境を歩くことになりませんが、道路を進めば墓地がみえてきます。その際に、2段で25基の庚申塔が並んでいます。新しいものは、平成3年・13年・23年で、先ほどの子安塔と同時期の建立です。
手前の新しい庚申塔が、左から平成23年・13年・3年の建立です
文久元年(1861)庚申塔下部三猿のおどけた表情がgoodです
天明四年(1784)青面金剛文字塔下部は、一鶏一猿の珍しい形です
墓地前の道路は、船橋と八千代市の市境となっています。少し先で市境は右に折れ、畑地や雑木林の中を横切っていきます。道路と離れ市境に近づくのは難しく、本日はここまでとなります。バス道路に出る道に八千代メモリアルパークがあります。そのそばで珍しい石仏を見つけました。
元禄13年(1700)島田の妙泉寺住職が稲荷明神の祈念碑を造立しています
一番近いバス停は、島田入り口です。ここから、八千代緑が丘・北習志野・津田沼へ接続します。以上、歩程18㎞、約6時間の旅でした。