2012/06/25

138E 銚子の石仏 下

前回の海上八幡宮から国道356号線を1.5km西進すると、余山簡易郵便局があります。国道から1本西側の村道角地で、郵便局の南方100mで三嶋神社があります。その隣が観音堂のある墓地になっています。
今回の掲載写真は一部サイズを誤って設定しています。ご容赦。

138E-1 三嶋神社隣接墓地内の庚申塔
参道右側に石仏が一列に並んでいます。 入口左側は水汲み場ですが、懐かしいくみ上げポンプが現役で活躍していました。
右側の境界沿いに30基余りの石造物です

現役の手漕ぎポンプです
ガイドに載っている文政十年(1827)の勢至菩薩二十三夜塔と安永九年愛染明王はこちらです。
左:安政六年(1777)得大勢至菩薩塔と中央:文政十年二十三夜塔


左:安永九年?愛染明王?と中央:紀年不明と右:明和七年の青面金剛
ガイド記載の元禄九年聖観音塔は下の十九夜塔であろうと思われます。
本堂前左手に覆い屋の下に子安観音等6基が祀られています。
左端は天保十三年(1842)、中央の大きのは安永八年(1779)
138E-2 地蔵院の庚申塔
国道356号線を更に1.5km西進すれば、永禄二年(1559)建立慶安二年(1649)開放寄進されたと由来ある延命山地蔵院です。
参道右に本堂の屋根が見えます
山門を入った右手に大師堂があります。その前に子安観音と左側面に庚申塔があります。
大師堂の正面脇(写真右手)は明治七年など新しい子安塔2基
左:天明四年 中央:延宝八年 右:安政七年の庚申塔です
中央の延宝八年(1680)塔は銚子で最古の庚申塔だそうです。
墓地内にガイド記載の五層の廟塔もありましたが、小さな目立たないものでした。
小さな廟塔で宝篋印塔が目印
 他には本堂脇の仮設車庫の奥に、文政・嘉永・明治頃の西国三十三所巡拝塔などが並んでいます。そして墓地内に覆い屋の付いた石仏を見つけました。足許に2匹の蛇を踏んでいるところを見ると辨財天かもしれません。
紀年銘なく墓標でもなさそうです
 138E-3 椎葉路傍の馬頭観音
椎柴小学校の近辺は県道73号線が整備され、ガイドブック地図と様子が変わっています。村中の道が十字路で交差するところに3基の馬頭観音が祀られています。中央に寛政二年馬乗り馬頭観音塔と両脇が文字馬頭観音塔で、しっかりと祀られていました。
両脇の文字馬頭は紀年不明
 138E-4 豊里大坂の馬頭観音
椎柴小学校の交差点からバス通りを4km弱北上すると、成田線下総豊里駅近くの笹本町交差点です。県道74号線へ左折西進すると程なく坂道となります。坂の中腹に8段ほどの石段があり、3基の馬頭観音が祀られています。
左:文字馬頭 中央:天保六年(1835) 右:文化六年(1806)の馬乗り馬頭観音
 138E-5  豊里大坂上の馬頭観音
坂上の台地をすすむと、右側キャベツ畑を背に3基の庚申塔が祀られています。
何れも紀年不明
左は青面金剛塔で他は文字庚申塔です。寒暑風雨に耐えて後どのくらいがんばれるのでしょう?

138E-6 六所神社の十五夜塔
笹本町交差点まで戻り、800m西進し弁天橋を渡って左折、川沿いをすすみ道なりに坂を上ったところが六所神社です。神社に隣接して消防団第九分団建物と諸持町農村協同館があり、この敷地内に石仏が集められています。
正面が農村協同館で、写真左の覆い屋内に2基子安塔が祀られいます
 石段を上った参道左手に下の写真のように3基の石仏が並んでいます。
左:宝暦二?六?年十九夜塔 中央:宝永元年十五夜塔 右:安政六年月讀命
  右の月讀尊は右肩に二十三夜、左肩に二十六夜を刻み両方の月待講を兼ています。中央の十五夜塔は宝永元年(1704)阿弥陀如来塔で下の写真のとおりですが、右後方に「銚子唯一の文化財云々」と能書きも石板で表示しています。
「続房総の石仏百選No.39」に選ばれています
写真で左端の十九夜塔は、立て膝も独特の作風に仕上げてあります。
宝暦六年十九夜塔でしょうか?
 この石仏の後方は庚申塔・出羽三山塔・光明真言塔などが寄り集まって並んでいます。
左:西国八十八所巡拝塔 中:光明真言塔 右:元禄三年青面金剛塔
入り口左に2基の子安観音塔が大切に守られていました
 138E-7 蓮蔵院観音堂の百堂念仏塔
六所神社の北東1km、宮原町集会所のあるところが 蓮蔵院です。
山門は苔むした藁葺きです。正面に観音堂が見えます。
 観音堂の裏に百堂念仏塔が4基並んでいます。
4基の百堂念仏塔、左から2基目が延宝七年「千堂悉地成就」刻字塔
「 続房総の石仏百選No.17」のよるとこの念仏信仰は村人が講を組んで百箇所のお堂を巡る信仰です。寛永六年(1629)を初出に茨城・千葉・埼玉に約180基見られる利根川水系独特の念仏塔であるとか。ヒートアップした千堂成就は上の写真左から2基目です。しかし、彫りも浅く碑面も荒れて読みきるのは難しいですね。右端の五輪塔などは墓碑です。この並び左側には墓塔や筆子塔が15基余り並んでいます。
又、観音堂の左手の覆屋下に6基の十九夜石仏が祀られています。
左から宝暦?年・明治8年・弘化三年・文政十二年・文化元年・宝暦九年
 境内は南に稲荷神社と隣り合っています。その境に十数基の石仏が並んで祀られています。
前列左から4基目は延宝元年延命地蔵、右端は胎蔵界大日如来
 上の写真、延宝元年延命地蔵塔は「・・百・・供養地蔵」らしく読めるので百堂念仏塔かもしれません。後列にも明和八年(1771)馬頭観音、昭和49年筆塚などもあって墓碑と見分けながら見ていくことが大変でしたね。
これにて銚子石仏を終えることにしましょう。

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2012/06/24

136 北総石仏 柏の石仏 船戸Ⅱ

船戸地区の残りをすこし拾っておきましょう。
136-1 船戸の金刀比羅宮
前回の薬師堂本坊から西へ300mで金刀比羅宮です。 潅木に囲まれた感じで寂れた雰囲気ですが、鳥居と灯篭は平成12年の建立です。

発祥などは解説がありませんが、舟運水運の神様なので利根川近在の縁があるのでしょう。狭義の石仏はありません。明治36年の大山阿夫利神社参拝碑と不明石祠が残っていました。
この神社の道路を隔てた向かいの三叉路敷地に、文政四年(1821)大黒天(甲子)塔がぽつんと佇んでいます。独身で寂しそうでした。

136-2 医王寺入口の庚申塔
金刀比羅宮からの道路が県道7号線に出る手前に、コンクリート基壇上に大きな庚申塔と十九夜塔が祀られています。県道7号線には「医王寺入口」の看板があるので、そのタイトルで表示しておきましょう。
天保七年(1836)文字庚申塔です。脇にあるのは寛政十二年(1800)十九夜念仏塔です。如意輪観音の浮き彫りを頭部に頂いています。両石塔とも往時は往来目印になった石塔達だろうと思うのです。
136-3 船戸2036前の庚申塔
医王寺の西方300mの県道7号沿いのところに庚申塔と富士登山記念碑が建っています。大きな木の下で分かり辛いのですが、ちょっと面白い庚申塔です。
左:昭和9年富士登山碑、右:天保六年 文字庚申塔
 正面台石に船戸堂面という小字の記載があります。右に「下 布施・成田みち」、左に「下 三ツ堀中里道」と浅く彫られて道標を兼ねています。文字庚申塔碑の右側面は天保六年(1835)の記載です。左側面は「御鹿狩之節此處江常州河内郡村々人足一千除人詰処?也」と記載があるようです。(柏の金石文Ⅰ)裏面に「明治二十一年改正作借地引移也」との記載もあるので、引越時に新調されたのでしょうか。
此の地は江戸時代に小金五牧のうちの高田台牧があったところです。 五牧の地図はこちらをご覧ください。幕府直轄の野馬牧場ですが、将軍の鹿狩りも4回実施されています。鹿狩りでは近在の村々から追勢子人足が徴用され、二三日かけて鹿を中野牧の将軍の御立場のある狩場へ追い込んでいきました。常州(茨城県)河内町(利根川左岸の集落)から人足が此の地まで駆り出されてきたというわけです。ものの本によると鹿狩り行事は必ずしも苦役というばかりでなく、農民のレクリエーションも兼ており、物売りや茶店などそれなりのイベントとして賑わっていたと書かれています。此の庚申塔はそんな時代を語っているのでしょう。但し、将軍の鹿狩り第三回は寛政七年(1795)で第四回は嘉永二年(1849)となっていて、此の碑の天保六年(1835)との整合性が気になるところです。尚、古本屋で松浦静山甲子夜話に鹿狩りの記録を見かけ、思わず買ってしまいました。

136-4 船戸山高野(やまごうや)の山神宮
柏市立高等学校の南に、朱塗りで木造四脚鳥居がある山神宮があります。ひなびた雰囲気の境内壁際に、石祠が並びます。
お社右の壁際に石祠が並びます
お社右側面に石祠が並びます。
右端は大正15年浅間神社碑です
上の写真は見辛いですが、左から明治29年雷神社・安永五年大杦大明神・寛政十年稲荷大明神・文化三年疱瘡神・嘉永六年二十三夜月讀尊・宝暦四年水神宮となっています。なんか寄せ集めの感じがしますが、往時は如何だったのでしょうか?
136-5 市立柏高校前の庚申塔(船戸山高野57-6前)
高校の西方の角地生垣に庚申塔が6基祀られています。
生垣に沿った歩道沿いに庚申塔が並びます
上の写真、左から文政二年文字青面金剛塔・享保二年六臂合掌青面金剛塔・延享三年六臂ショケラ持青面金剛・寛政二年文字青面金剛塔・文化七年文字青面金剛塔・天保七年水天宮が並びます。遊歩道に取り込んでゆったりと並べられていますが、惜しむらくは人通りが全く無いのが残念です。状態のいい、庚申塔を載せておきます。
延享三年正面金剛塔
文化七年・文字青面金剛塔の台石三猿も三猿三様の向きで佇んでいます。
136-6 船戸山高野の薬師堂
市立柏高校と北部市民プールの間に薬師堂があります。墓地を整備し集会場とプレハブのお堂が建っています。運河大師の札所にもなっているのか、道路沿いにお堂が並びます。
右端プレハブの薬師堂前には寛延三年(1750)西国移観音三十三箇所碑あり
プレハブの中に厨子が納められ、ガラス越しに参拝できる仕組みです。
プレハブ内に祀られるのは薬師如来?とお大師様

集会所入口道路角に石仏が集積されています。

前列左は明和九年(1772)六地蔵
左半分の石仏を見てみましょう。

手前左は明和九年(1772)六地蔵、後ろの文字庚申塔は天保十一年です。後列中央よりの像塔は寛保三年(1743)ショケラ持青面金剛塔です。前列丸彫り坐像は貞享二年(1685)釈迦如来像で善定印を結んでいます。
台石に如来念佛と刻印、市内最古の釈迦如来像
像容は荒れていますが市内最古の如来石仏です。後ろは寛政四年(1792)「庚申青面金剛」の文字塔です。右に眼を移せば像塔が5基。前列右端は天保十四年(1843)正観世音塔、続く2基は崩れ方が激しく像容不明です。

後列左は元禄七年(1694)十九夜如意輪塔、元禄十四年(1701)延命地蔵、宝永四年(1707)十九夜如意輪観音塔となっています。

左に回りこんだ道路沿いは、成田月参講参拝碑と紀年不明の不動明王像塔が並びます。
不動明王は足下に二童子
環境が整備されたせいか、石仏はいかにも寄せ集められたという感じがしてちょっと残念。
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2012/06/13

137E 銚子の石仏 上


日本石仏協会編「石仏地図手帖千葉編」は出版されてから20年経ちますが、筆者の石仏めぐりの良きガイドマップです。4年前にまわり残していた銚子の石仏を、久しぶりに巡ってきました。その完結編の意味で簡単に記しておきましょう。順番はガイドブックの順に揃えました。以下、資料引用は石仏地図手帖に拠ります。
千葉県房総半島の東のはずれが銚子市です。江戸時代17世紀後半から東北の産物の江戸への廻船基地として銚子は栄えました。又、紀州からの漁業と醤油製造技術の伝来が銚子の名産となりました。ヒゲタとヤマサは銚子の二大醤油ブランドです。 豊かな経済力と利根川舟運に支えられた信仰などが石造遺物に見られるようです。

137E-1 賢徳寺の善光寺三碑
関東の最東端である犬吠埼から西方1kmのところに天台宗賢徳寺があります。
山門入り右に善光寺三尊碑が祀られています。善光寺式阿弥陀三尊の形式を踏まえて両脇侍は梵篋印を結んでいるようです。詳しい形式はWikipediaでどうぞご覧ください。
 又、境内に子安観音の勢ぞろいもあって女人講の強さも感じられます。
別に階段斜面を利用して西国三十三所観音石仏も奉納されています。
正面は西国二十七番書写山円教寺写し観音です
 墓地に変わったお墓?を見つけました。
何でしょうか?高山右近太夫?大統領?将軍?
キリノ大統領はフィリピンの第6代大統領ですが、それが何か?

137E-2 都波岐(つばき)神社の庚申塔
賢徳寺の北方1kmのところ、溝状の道路が坂道になったところに 都波岐(つばき)神社があります。石垣につけられた急な石段を上れば狭い境内にびっしりの庚申塔です。
 その数250基といわれていますが、百庚申があるのでそれではきかないでしょう。元文五年(1740)の庚申年に塚が作られ、以後60年の庚申年毎に式年祭が行われ、昭和55年(1980)にも第5塚が築かれたそうです。
 社殿は立派な彫刻を施した板戸で、龍と闘う神様の浮き彫りが施されています。
都波岐(つばき)神社の祭神は猿田彦大神です。全国の総元締めは椿大神社で三重県鈴鹿市に鎮座します。他方、同じく鈴鹿市一ノ宮町に 都波岐神社があってこちらが式内社の本家を争っているようです。当社は伊勢国都波岐神社から勧請されてきたのでしょう。

137E-3 飯沼観音円福寺
銚子電鉄観音駅の北に飯沼観音があります。坂東三十三所第27番札所です。
正徳元年(1711)建立の青銅製阿弥陀如来坐像が立派です。
石仏は、円福寺の本堂側墓地に天和三年(1683)庚申塔や子安観音があるようですが、筆者の記録データには残っていません。誤って消去してしまったようです。残念。
代わりに、 円福寺にある県指定文化財・享徳十一年(1462)梵鐘の解説板を載せておきます。
137E-4 白幡神社の庚申塔
銚子市役所から500m東方に白幡神社があります。境内社殿の後ろに石仏が窮屈に固まっています。後列中央に銚子最古の延宝八年(1680)庚申塔と、奥州仙台石巻の船乗りが明和三年に寄進した庚申塔が祀られています。
左は延宝八年で右は明和三年・仙台石巻春日新艘十五人乗舩中で寄進
豪華に二童子・四夜叉付きの庚申塔は明和九年(1772)造立です。
台石下の三猿も変わっています
庚申塔に交じって珍しい八幡大神の石像があります。紀年不明ですが、「房総の石仏百選」にも選ばれた希少品です。
八幡大神、馬乗り馬頭観音と間違えそうです
137E-5 威徳寺の子安観音
銚子駅南100mに広い境内の威徳寺があります。
 墓地に向かって子安塔と庚申塔のグループが並んでいます。

天明二年の二童子四夜叉付青面金剛庚申塔と、元禄十一年十九夜塔は未確認です。ちょっと密植しすぎで後列の石仏が写真に写せません。

137E-6 持宝院の六面石幢
利根水郷ライン国道356号線沿いに市立第五中学校があります。国道を越えて北東方向200mのところに真言宗智山派・青光山院持宝院があります。平安後期の木造薬師如来が銚子市の有形文化財に指定されています。入口そばの十九夜塔の団体がお出迎えです。
覆い屋の左半分の十九夜塔群

覆い屋の右半分

脇にある二十三夜様馬頭観音など
 女人講中に圧倒されて、肝心の弘治二年(1556)の地蔵六面石幢は見逃しました。残念!!

137E-7 海上(うなかみ)八幡宮の庚申塔
国道を1.5km西進すると柴崎町交差点のY字路にでます。すこし先の分岐から200mの参道が海上八幡宮まで続きます。
正面本堂は千葉県指定文化財です
本社の由来と天和三年建立の豪華な本堂の解説
二重虹梁・本蟇股・脇障子・擬宝朱高欄・唐獅子木鼻彫刻で豪華
肝心の庚申塔は本堂の左方の木立の中にまとめられています。
連なるのは万延元年(1860)百庚申
明和元年から万延元年・昭和55年までの庚申塔10基です。地震で倒れたものもあって惜しいですね。
お猿さんが楽しいので載せておきます。
日光型に似た左右猿が手を伸ばす形

左右猿が踊っているのでしょうか?
左右猿は後ろ向き

右猿だけが後ろ向き
左猿は振り返っています
最初の日光型に近いですが、みんな聞か猿にみえますね
重くなると大変なので、ここらで一区切りとしましょう。


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