2009/11/20

58北総 柏・旧沼南町の石仏Ⅳ(柳戸)

手賀の集落から県道印西・柏線に戻ります。信号のあるY字路から西へ行けば柳戸(やなど)地区となります。200mほど進むと東武バスの一ツ井戸バス停があります。一ツ井戸は県道から南下へ降りたところのT字路傍に東屋風に保存されています。崖上の下柳戸集落では男子が朝野良仕事に出るときは天秤棒に水桶を提げて一ツ井戸において置き、昼食時・帰宅時に水を運び上げた辛い歴史のある所だそうです。「下柳戸には婿にやるな」という俚諺もあったとか。(沼南町教育委員会・沼南の歴史をあるく から参照引用)
柳戸には昔、手賀沼の渡し場があって”柳渡”と称したとか。柳のたくさんあった岸辺なのか、柳のように細長い水路が通っていたのか「柳の渡」≒「柳戸」に転化したと考えられていると「沼南風土記」に書かれています。

58-1下柳戸の花見堂地蔵
バス停の石段を上れば高台となって下柳戸の集落です。この石段の左側に寛延四年(1751)花見堂地蔵尊と刻まれたかわいいお地蔵様がおられます。花見堂地蔵については房総石造文化財研究会の会報60号で沖本会長が「房総石仏ノート・・花見堂地蔵のこと」と寄稿されています。唯、この石仏は11月吉日建立で三月で無いのが不思議。
少し離れたところに「大師道四国八十八ケ所 南蔵院四丁六間 (弘)誓院六丁四間」と刻まれた明治11年の道標がおかれています。

58-2六所神社
石段をあがって村道を100m進めば六所神社の参道となります。写真のように参道手前に昭和36年石灯籠、右が万延元年(1860)・左文化十五年(1818)の庚申講中で造立です。トタン葺の質素な社です。右手前にみえる木祠には天明五年(1785)天満宮石祠が祀られています。社の左に注連縄の張られた区画に年不詳の大杉大明神石祠が祭られていました。信仰が活きているなあと感じた次第です。沼南町史金石文Ⅰのテキストに記載がある宝暦八年(1758)成神大明神(雷神)石祠は写真を撮り洩れたようです。(残念)

58-3阿弥陀堂の十九夜塔
六所神社の西隣が阿弥陀堂です。今は集会所があってその奥に墓地が広がっています。集会所の裏の一角に女人講中の台石にのった子安塔などが数基集められています。写真の前列子安塔は左が昭和7年、右が明治16年の造立です。後列は5基の石塔ですが写真中央に見える文字塔は墓塔なので除外してのこり4基を左から載せておきましょう。延宝五年(1677)塔が古くてつくりはしっかりしていますが、私の好みでは宝暦十三年(1763)塔の清楚な感じがいいですね。
宝暦十三年十九夜
元禄元年如意輪
年不明十九夜塔
延宝五年如意輪
ちょっと余計ですが、平成八年に54名が参加した観音霊場巡拝供養塔が立てられています。会津・那須・中国・下総・津軽となっていて結構盛んなんだと関心しましたね。普門品講中の主導ですかね。

58-4街道脇(柏5方面6分団消防小屋前)の庚申塔
県道までもどります。一ツ井戸バス停から250mほど西進すると薄暗い木立の中に北側高台道路沿いに9基の石塔群です。写真の左奥木の陰に隠れて分かりにくいですが、向かって左から大正3年出羽三山塔・小さな安政五年(1858)第六天石祠・缶ビールが供えられた明治16年三猿付文字庚申塔・木の右側に文化八年(1811)三猿付文字青面金剛塔・正面が寛政七年(1795)大青面金剛塔・白い板碑型享保十三年(1728)文字二十三夜塔・昭和7年三猿付文字庚申塔・写真からはみ出た宝暦九年(1759)三猿付アーモンド型ショケラ持青面金剛像塔となります。そして少し離れて金属製の赤い鳥居を前に置いていますが実は馬頭観音と思われる石塔が祀られています。後ろの白い建物が消防小屋となっています。ここが村境だったようですね。

58-5弘誓院(ぐぜいいん)の御手水石(みたらし)
第33番下総観音霊場で「柳戸の観音さま」と呼ばれる真言宗豊山派のお寺です。手賀の丘公園の信号から200mほど西進し右に集落へ下る道をとります。熊野神社の前を通り大銀杏のある広場が弘誓院です。大同年間(806~10)行基の開創、本堂は寺伝で寛永四年(1627)造営の立派なもので、振り返れば石段高く鐘楼があります。行基自刻の秘仏本尊・聖観音像は60年に一度の開帳で前回は昭和46年(1971)だったので次回は2031年となるようですが、信人は拝めるかなあ。ガイドブックには伝・伝教大師作の延命地蔵(本堂の普請費用を集めるため陀羅柄杓を担って檀信徒を廻り夢枕に立たれた有難い地蔵さんです)、屋根裏から出てきた500年前の法華経版木、弘化四年(1847)の間引き絵馬など石仏どころではない気もしますが、とにかく観てみましょう。
この寺前では昔から朝市が盛んでその関わりでしょうか、明和二年(1765)商人講中と刻まれた御手水石(みたらし)があります。珍しいですね。並びに足先まで綺麗に刻まれた丸彫りの如意輪観音像が置かれています。写真の後方に赤い太鼓橋が見えますが、そこは弁天池になっていて橋を渡った所に平成元年の弁財天が祀られています。
大師堂と地蔵堂の間に不動明王像が2基、左が明治26年で右が正徳二年(1712)で明治12年改刻となっています。本堂前におびんずる様というのでしょうか、田舎の和尚さんのような木像が置かれていました。
道路を挟んだ墓地の一角に4基の石塔があります。貞享四年(1687)十九夜念仏塔、明和七年(1770)十九夜塔、天保八年(1837)二十三夜塔(1837)、年不詳文字馬頭観音塔が道路沿いに並んでいます。境内のあちこちに四国巡礼供養塔・百観音巡拝供養塔・文化十年(1813)札所石新四国31・33番などが潜んでいます。高い石段を上って鐘楼の鐘を見学し境内を見下ろすのも気持ちがいいものです。帰り道に柳戸の鎮守である熊野神社にお参りして行きましょう。伊勢内宮と同じ柱に転びの無いシンプルな大正3年神明鳥居の奥に質素な拝殿ですね。柱の陰に文政二年(1819)石灯籠・文久元年(1861)常夜灯が隠れています。
これにて柳戸はおしまいですが、手賀中学校に昭和12年二宮尊徳像(薪を背負い読書像)があるのを知ったのでいつか写真をゲットしたいですね。

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