2012/01/10

128 北総石仏 柏の石仏 布施Ⅲ

布施地区は思ったよりも石仏の集積が多くて整理に手間取ってしまいました。先をいそぎましょう。
128-1 土谷の圓性寺
布施弁天東海寺から南東1kmのところに飛龍山圓性寺があります。流山の西円寺の末寺といわれています。境内東方に土谷津町会ふるさと会館が建っています。
 境内左手には相馬霊場85番札所でもある大師堂が建っています。
その左に石仏がまとまって祀られています。
左に石仏群で右は宝暦二年(1752)宝篋印塔

順に見ていきましょう。
前列左から文政十三年(1830)青面金剛文字塔、享保四年(1719)二童子付六臂数珠持青面金剛塔、文化十三年(1816)青面金剛塔、明治19年弘法大師一千五十年遠忌塔です。後列には左から正徳五年(1715)「・・光明真言持斎供養・・」地蔵塔、文化三年青面金剛文字塔、文化元年(1804)自然石型青面金剛文字塔、文久三年(1863)文字庚申塔が並んでいます。
首無し地蔵ですが斎供養は久々です

自然石型の庚申塔は信州で見て以降ですこれも久々
3列目は宝暦五年(1755)・昭和元年文字庚申塔・元禄八年(1696)三猿庚申塔・宝暦四年(1754)庚申塔が並びます。大きな自然石型石碑は普門品十万巻供養碑、享保四年(1719)天蓋付きの護讃(ガイドに記載?)地蔵も並んでいます。
天蓋の付いた地蔵
次は本堂の左手を進むと、1.5mほどの盛り土のところに妙見社の小祠が祀られています。前回に見た古谷の妙見社と同じく、元文二年(1737)の「布施村除地改書出帳」に記載があるところから、結構古くから信仰されているものです。
妙見菩薩は千葉氏相馬氏の守護神です
 石段左手前みえるのは馬頭観音の整列です。天明二年(1782)から昭和34年までの文字馬頭塔が並んでいます。二馬頭の並列だったり馬印を頭部に頂いたりしますが、いずれも文字塔ばかりです。

妙見堂の中を拝見すると、毘沙門天のような石仏が祀られていました。天保三年(1832)八肱の坐像です。左右の手に槍や杓棒のような持物・合掌手・蓮持ち手・宝珠持ちの計八手です。柏市史に清水観音塔と記し聖観音の像容と記載があります。蓮持だけどホントかなあ。
先ほどの85番大師堂の裏にも 、大師坐像など6基ばかりの石仏が並んでいるので載せておきましょう。
後列右から三日月不動尊で二番目が鳥猟供養塔

前列右端は明治24年延命地蔵・後列に明治24年二十三夜塔と並んで明治11年~29年鳥猟繁栄供養塔が祀られています。その隣は明治29年三日月不動尊が建立されています。各地にも三日月にちなんで三日月不動尊があるようですが、当地では委細不明のようですね。
128-2 土谷の日枝神社
圓性寺の北100mのところが日枝神社です。草原の敷地に木祠が点在しています。こちらには社が七つもあるので土谷津の七社様とも呼ばれているとか。
左から香取神社・日枝神社・今村大杉大明神・天満宮
 林の隅に大正2年馬刀神石像が置かれています。馬頭観音の意味でしょうか?
 
日本石仏事典第二版の241Pに「馬力神は蒼前神(馬の守護神)の別称か馬頭観音の異称か分からないが・・茨城県では県北に馬力神が明治以降になって多く・・」との記載があります。力も刀も石仏ではよく混同が起きるので馬力神と同じでしょうが、ちょっと見かけないですね。
祠の広場の脇の竹林を進むと、仲良く文化?年間「内神」と陽形の「石上大明神」がペアで祀られていました。もっと脚光を浴びてもいいのにと思うのは、教育のこと考えないオジサンの発想でしょうかねえ?
内神は事典類に記載なく、ウチガミならば屋敷神と日本石仏図典392P
128-3 土谷津共同墓地(旧加納坊?)
圓性寺の南西200mの畑地の中に124-6で見た南龍寺の新しい阿弥陀堂があります。阿弥陀堂に隣接した共同墓地に六地蔵と十九夜塔が祀られています。
像容が荒れていて読めませんが、六地蔵は安永五年(1776)で十九夜塔は寛政七年(1795)と思われます。
128-4 土谷津外蘭塔場(鴻ノ巣共同墓地)
阿弥陀堂前の道路を真っ直ぐ50m南下すると、右手段差上に共同墓地が現れます。土谷津外蘭塔場の石柱が建っています。この道路沿いに馬頭観音が整列されています。明治大正昭和平成に掛けての文字馬頭観音塔が並んでいます。
左の大きくて新しいのが平成九年の馬頭観音塔です
 右奥のほうの馬頭さんは2頭仕立ての馬印が面白いですね。
牝馬(ひんば)?牡馬(ぼば)?
 128-5 布施第四公園の石仏
蘭塔場から南東200mの分かりにくいところにこの布施第四公園があります。
左の木陰に石仏が整列しています
 入口を入ったところ左側に5基の石仏が並んでいます。
左端は台石に三猿を刻んでいますが、上に乗っている石柱は不明ですね。あとは庚申塔が4基と分かります。左から文政十三年(1830)青面金剛文字塔・文化十四年(1817)異体字青面金剛塔・正徳五年(1715)六臂合掌青面金剛塔・年不明青面金剛文字塔が並んでいます。いずれも古谷入口から移設されたもの。広場の片隅にぽつねんと立っている姿は庚申塔と思えず寂しそうに見えますね。
布施はこれまでとしますが、七里の渡し跡にある水神・稲荷石祠は未見。機会あれば採集しておきます。
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