2012/04/04

133 北総石仏 柏の石仏 大室Ⅱ

またもや、柏の大室地区を巡ります。前々回の仲坪公民館から村道を西進します。三叉路になると、左に大室香取神社参道が現れます。
133-1 大室香取神社の石仏
鳥居前の敷地境界に石仏が居並んで迎えてくれます。15基の石造物が勢ぞろいですが、残念ながらかなり荒れています。左2基が大黒様で、それに庚申塔が13基並びます。

香取神社入口広場に整列です
左:文政七年甲子供養塔 右:天保四年甲子待塔
陰陽五行説では甲は陽の木性・子も陽の水生で、甲子は干支の一番で吉日とか。子を鼠に結び付け、鼠を大黒天の使者とみなし甲子祭(大黒天祭)が行われるようになったそうです。「甲子待(かっしまち)と言って、子の刻(23時ごろ)まで起きて大豆・黒豆・二股大根を供え、大黒天を祀った」とWikipediaに載っています。埼玉県など北関東の農村でよく見かけます。
気になる像塔を載せておきましょう。
元文三年:頭部の三面に猿を刻んだ庚申供養塔

紀年無:青面金剛が邪気に座っています
 鳥居をくぐれば、左は戦後昭和28~44年の4基の伊勢講碑が並んでいます。さらに参道右手にも5基の庚申塔が並んでいます。
青面金剛像塔は宝暦十二年の紀年銘ですが磨耗甚大
参道は更に長く続いています。
八幡宮・大杉神社石祠や相馬霊場巡拝碑などあちこちに建っています。昭和43年の九州観光碑を見た時は、往時の高度成長・農協ツアーの様子が目に浮かぶ想いでしたね。
境内奥に昭和の房総三社・伊勢講・相模観音巡拝碑など
 上の写真左から2基目は、頭部に如意輪観音を浮き彫りにした明治19年十九夜塔です。
最後にこの神社で忘れてならないのは、寛文十一年(1671)胎蔵界大日如来の百堂念仏塔です。雨除けは掛かっていますが、皆に参られるような陽の当たるところに祀ってあげたいと思いました。
右側は「奉造立百堂念仏二世安楽」銘
鳥居のある参道入口に戻り、100mほど東進すると変則三叉路の先に塙坪公民館があります。
133-2 塙坪公民館
塙坪公民館の右手奥、木立の中に石仏が祀られています

市史の表示から推測すると、こちらは八反坊と呼ばれた坊があったようです。 簡易な公民館の敷地東隣境界に石仏が並んでいます。
いずれも地蔵ですが、左2基目は墓碑
左端は天保三年の子抱(子安)地蔵、墓碑、宝暦四年(1754)六地蔵、文化八年(1811)地蔵大菩薩(と台石刻字あり、首は後補)、元禄七年(1694)延命地蔵となっています。
吉祥院の主導により塙坪の地蔵講中で建立

手毬を抱いた赤児?




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