流山は野田に隣接し舟運もあって昔からみりん醸造で有名とか、近藤勇の新撰組が幕末に終焉を迎えた本拠地とかで歴史に名が残った土地柄です。房総の石仏No.100台は
続房総の石仏No.下2桁に読み替えてください。
155-1 長崎路傍の三十番神(房総の石仏No.171=続房総の石仏No.71)
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中央の大きな甲子塔の左、右から4基目が三十番神塔 |
三十番神は日蓮宗系の本地垂迹説(神仏習合)守護神とガイドブックに解説があります。日蓮宗僧侶日像が京都布教をにらんで編み出した方便というのがリアルです。
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天保六年 |
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右上に熱田大明神・諏訪大明神と続きます |
155-2 光明院の大日如来(房総の石仏No.11)
金剛界大日如来は石仏鑑賞に欠かせない主役です。特に出羽三山湯殿山信仰が房総に流布し始めた江戸初期から、大日如来は登場回数は増えてきます。この像が珍しいのは「奉造立庚申供養并念仏供養・・」と刻字あり、庚申供養と念仏講中の合作で祀られています。
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寛文六年(1666)覆い屋がつきました |
光明寺墓地の南方片隅で六地蔵残欠などに交じり佇立されています。
155-3 赤城神社の浪切不動(房総の石仏No.45)
前記の大日如来像の場所から墓地を出るとすぐ、赤城神社の斜面に階段があります。 その階段脇に庚申塔などが並んでいます。背の高い石塔が「波切不動」様です。
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文化十五年(1818)船中繁盛とあります |
流山河岸の水運関係者に信仰厚いのが御不動様です。「空海が帰朝に際し不動明王を念じ、明王はその剣先をもって波を切り裂き無事帰着することができたことに由来し波切不動信仰が広まった」とガイドブックに解説があります。
赤城神社は大しめ縄神事で有名な所のようです。
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奥に赤城神社の参道が続きます |
155-4 松戸・鵜森神社の二手庚申塔((房総の石仏No.62)
同一作者の手になるローカルな合掌型二手青面金剛塔です。庚申懇話会「石仏研究ハンドブック」の中で石川氏が石仏研究事例「二手青面の系譜」として言及されている石仏ですね。
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元禄十六年(1703)憤怒相でなく頭巾・杣着・二手が特徴 |
同種の石仏は計15基とのガイドブック記載ですが、その半数は見ているようです。(データ未整理のため)
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正徳四年(1714)塚崎・無量院の二手青面金剛 |
同じ作者というのがよくわかりますが、後の青面金剛は把手型と分類されていました。でも、やはり二手・頭巾・杣着ですね。
155-5 松戸・紙敷 広龍寺の帝釈天
武蔵野線と北総鉄道が交わる東松戸駅の西方200mのところに広龍寺があります。参道右に8基、庚申塔などが並んでいます。
中ほどにポールガイドのついた
帝釈天の庚申塔が祀られています。
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嘉永五年(1852)幕末の混沌とした時代に建立されています |
「病即消滅 不老不死」と刻まれ帝釈天の立つ段下には二童子、台石に三猿を刻む豪華な日蓮宗系の庚申塔です。特に、帝釈天像を刻む石佛は貴重です。
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