2009/10/22

54E.日光の石仏 庚申塔を中心にⅠ

突然ですが、秋空に誘われて日光へ遠足をしてきましたので忘れないうちにアップしておきましょう。テキストは「全国、石仏を歩く」と「石仏の旅東日本編」で、日光の見学コース執筆は庚申懇話会のS先生です。日光は石仏関係者ではいわずと知れた日光型(下野型)庚申塔の本拠地です。したがって拝観する石仏も圧倒的に庚申塔が多くなりました。テキストによると日光に260基余の庚申塔があるそうですが、今回はそのうち90基余りを見ることができ堪能してきました。テキストで述べられている日光型庚申塔の主な特徴を挙げておきます。(簡約記載)
1浮き彫りの日月がついている
2
向かい合った二猿で主に上部に刻造
3
鶏はほとんど見られず
4
青面金剛像塔が極少ない
5
基部に蓮華を大きく刻む
すべてがこれらの特徴を備えているわけではないですが、よく見られる特徴ということですね。今回も90基余の庚申塔を見ましたが、青面金剛像は1基だけでそれも庚申文言もなく極めて特異といった印象を受けました。

54E-1花石神社
日光駅からのバスは蓮花町バス停で下車します。西へ100mほどで花石町信号T字路交差点です。道路北側に石垣上に右「花石神社」石柱と左に十八王子常夜灯が立っています。石段を上り50mほど参道をすすめば明神鳥居のある花石神社境内です。鳥居の左前に若山牧水の歌碑と解説が建っています。又、鳥居をくぐれば名馬・焼加羅(たきがら)の碑がたっています。(ちょっと大袈裟すぎないかな?)
鳥居前の花石神社解説板で十八王子の内容もチェックしておきましょう。境内をみると下の写真、右の赤いお社が本社で左の鳥居奥は稲荷社ですね。写真中央下に浮き出ているのが享保六年(1721)二猿庚申塔です。拡大写真を載せますが、これはお猿さんが下に配置されています。先ほどの特徴的なものがほとんど当てはまっていますね。境内左側には文字庚申塔が5基(梵字庚申塔年代不明・嘉永五年・弘化五年・文政十三年・文化十四年)と「得大勢至菩薩」塔が並んでいます。又、稲荷社の参道にも先ほどの二猿庚申塔や天明五年(1785)と年不明梵字庚申塔・寛文九年(1669)文字庚申塔で計4基が存在します。本社右に昭和55年の庚申塔もあって、花石神社だけで10基の庚申塔を見ることができました。弘化五年梵字塔と古い寛文九年塔を載せておきます。
こちらには弁財天石塔もありましたが、わからなかったのは下の写真の明治15年石塔です。梵字塔みたいですが、さて何でしょう??正解は巳待塔(みまちとう、己巳塔=きしとう)です。梵字に該当なく己がシンボリックに書かれているのでしょうか?後の八幡神社で文字塔が出てくるので確認してください。日本石仏事典によると「己巳の日、またはその前日戊辰の日や巳の日などに、講中または個人で遅くまで起きていて精進供養(祭祀)をする行事を巳待という。本尊は弁財天・・・巳待塔の分布は・・青森では所々・・岩手では各地点在・・「金華山」・・秋田・・宮城は県北に120基・・山形は32基・・福島は点在・・栃木は県中央部一帯に分布・・寛延以降22基・・文字塔と弁財天・蛇の刻像塔がある」と詳しく載っています。

54E-2.蓮華石
花石神社の向かいに蓮華石史跡があります。観光がてら説明板と一緒に載せておきます。

54E-3八幡神社
花石神社から下ること300m、日光田母沢御用邸記念公園の向かいに八幡神社があります。通りに面して入り口脇に文化元年(1804)常夜灯が建っています。八幡神社の開創や寛永年間に社となった事などは解説板をお読みください。ちなみにここの二の鳥居は寛文八年((1668)の明神鳥居で結構古いものです。
ところで鳥居の貫と呼ばれる横木(石)の上に置かれている小石は一体なんでしょうね。
さて、境内の様子ですがまず一の鳥居をくぐった左手に石仏が散在しています。その奥の並びでも側溝を挟んで石仏石塔が2列で行列です。
左の写真では5基の文化・寛政年間の文字庚申塔・享和元年(1801)巳待塔・文政五年(1822)弁財天碑・年不明不動明王?碑が散在しています。左奥の常夜灯は寛政元年(1789)の建立です。手水石の奥に横たわる敷石状のものも庚申塔でした。そして奥に進むと右の写真で側溝を挟んで前後に石仏石塔が並んでいますが奥の2基は年不明の二猿庚申塔です。前列右が元文三年(1738)巳待塔です。上の写真で花石神社で見つけたシンボルをつけているのがわかります。
参道を挟んで反対側は12基の石仏です。文化元年(1804)摩利支尊天塔・元文三年(1738)反手如意輪観音塔・7基の二猿庚申塔・3基の文字庚申塔が並んでいます。摩利支天塔は修那羅峠の三面騎馬像塔(下の写真)が有名です。ちょっとピンボケ気味ですが猪に乗った三面六臂像です。一方、文字塔も比較的少なく日本石仏事典ではこの神社の石塔が採集されていました。
こうやって見ると二猿の位置が上と下で半々くらいですね。こちらでは都合17基の庚申塔を見ることができました。

54E-4釈迦堂
隣接するのが県指定文化財で天海僧正像が祀ってある釈迦堂です。山門左脇に萬治三年(1660)名号塔が屹立しています。
境内左に歴代住職の墓碑(無縫塔・地蔵塔)群とその奥に殉死家臣5基と譜代家臣19基計24基の墓塔が並んでいます。ちょっと怖い感じですねえ。
54E-5延命地蔵
釈迦堂の参道入り口右手に犬牽(いぬひき)地蔵尊なる延命地蔵さんが祀られています。謂れは解説板をご覧ください。延命地蔵大士と刻んだ石碑が印象的でした。
延命地蔵の道を隔てた向かいが田母沢の御用邸記念公園です。この中はトイレや茶店・床机もあって休憩に丁度いいですね。

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