今回から、旧柏市域を回ります。柏市の旧沼南町域は第52回から第81回にかけて巡っているので、続編といえるでしょうか?これから回る元禄・天保年間の柏市域30村名を掲載しておきます。テキストは「柏市史近世編・柏の金石文Ⅰ・Ⅱ」「柏のむかし」「房総石造文化財研究会石仏データリスト」などを利用しています。
112-1 藤心・慈本寺の百羅漢
上の地図で右下の旧沼南町に隣接するのだ藤心(ふじごころ)です。 曹洞宗藤心山延命院と号し文明十二年(1480)の開山。山門を入った正面本堂(下の写真)に圧倒されます。
写真左には現代の聖観音を祀った石壇が見えています。よく見ると右に天灯鬼、左に竜灯鬼が立っています。又、手前に立つ延命地蔵は右が享保十二年(1727)建立、左の延命地蔵は祈念不明ですがあたらしいもののようです。
ところで石仏で天灯鬼・竜灯鬼は珍しくなかなかお目にかかれません。康弁等が作成した興福寺の天灯鬼・竜灯鬼立像(木造)は有名ですが、房総の石仏百選にも収載されているのでご参考に乗せておきましょう。
市川市地蔵山墓地・左の竜灯鬼は頭上灯篭を欠失 |
他には享和二年(1802)湯殿山三所大権現を刻んだ出羽三山石塔が見られる位でしたね。
112-2 慈本寺参道近くの道祖神
参道を出るT字路近くに小さな鳥居が見えます。鳥居の奥には下写真のような2基の雨除けのある石塔が祀ってあります。左は安永六年(1777)の道祖神、右は不明石祠ですがテキストによると道祖神の分類となっています。
左の道祖神にはわらじが奉納されています |
112-3宗寿寺参道分岐の成田道標
慈本寺を出て300m西進します。藤心ふるさと会館前の村道にでるT字路の角に石祠や不動道標が祀られています。
上の写真で正面の斜面に咲く水仙のそばにある小さな石柱は 大日如来碑の道標です。側面に「みなみ やハたみち きた 江戸道」の表示です。右正面の高台の雨除けの中にも、天保十三年(1842)不動明王の成田道標が見えます。台石正面には「左 江戸道 右 やわたみち」と出ています。台石の右側面には太い指差し絵で「此方 成田道」になっています。
この成田道標の更に奥にも雨除けの中に、不明な角柱と明治30年子安観音が祀られています。子安観音の向かって左足許には子供が縋りつく構図ですね。
この成田道標の更に奥にも雨除けの中に、不明な角柱と明治30年子安観音が祀られています。子安観音の向かって左足許には子供が縋りつく構図ですね。
112-4 宗寿寺の千庚申塔と青面金剛塔
成田道標のあるT字路を北上します。 100m足らずで宗寿寺です。
山門前左に2基の庚申塔が置かれています。
左は嘉永元年(1848)千庚申供養塔です。日輪・月輪とウーンを頭部にいただいた立派なものです。千庚申塔はあと2基を市内で見ることができるようですが、私にとっては貴重で初見ではないかとおもいます。よく見ると台石に可愛い三猿もついています。言わサル君は手に何を持っているのでしょうか?
隣にある青面金剛塔は正徳三年(1713)二邪鬼付で豪華なものです。曝頭(しゃれこうべの)首飾りをし、二童子ならぬ二邪鬼がそばに立っています。持ち物は右手に五鈷杵(ごこしょ)左手に金剛鈴という珍しい密教法具を持っているようです。日頃は合掌か剣人型でショケラ持ちばかりを見ているので非常に珍しく感じます。ヤッホー。
山門を入るとすぐ右手に宝暦十一年(1761)六地蔵が立っています。隣にならぶのは、十九夜塔如意輪観音です。
右から享和元年(1861)・元禄八年(1695)・正徳元年(1711)の造立となっていますが、石が荒れていてちょっと残念。境内には万治元年(1658)板駒型「開眼供養庚申待石塔」や文政十三年(1830)湯殿山主尊「三所大権現供養」塔といった珍しい石仏も残されています。
112-5八幡神社
宗寿寺を出て右に50mでT字路に突き当たりますが、そこが八幡神社です。
祭神は応神天皇、境内社は大杉神社・浅間神社・疱瘡神社と神社明細帳に記載あり、若宮八幡・菅原神社・粟島神社・駒形神社を合祀していると市史に記載があります。鳥居の左側には明和元年(1764)駒形石祠・明和二年(1765)粟島明神ば置かれています。拝殿右奥は下の写真のように文政三年(1820)山神石祠・平成5年天神宮・浅間大神があって石祠がぽこぽことおかれていたりします。
ひとまず藤心を終了といたします。
より大きな地図で 112 北総石仏 柏の石仏 藤心地区 を表示
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