2011/07/25

113北総石仏 柏の石仏 増尾Ⅰ

今回は藤心の北に位置する増尾地区を巡ります。この地区の真中あたりに「日本果汁株式会社」から発足したニッカウヰスキーの柏工場があります。今はアサヒビール傘下ですね。
113-1 ニッカウヰスキー工場前の成田道標
工場正門から前の道路を100m北上すると、X字上に道路が交差する南西角に成田道標です。年不明の不動明王が新しい雨除けの中に鎮座しています。
台石三方に道標がついています。正面は「西すはみち 北かしは道」 右側面 「南松戸道 江戸道」 左側面 「東ふじごこ路道(前回の藤心) ふなバし道」となっていて立派な道標です。木の香も新しく大切にされているのが嬉しいですね。
113-2 宮根地区内の路傍石仏
成田道標の四つ角を東北方向の広幡八幡宮方向へ向かいます。村中の路傍に石仏が見られます。最初の四つ角に、注連縄を張った弘化四年(1847)道祖神が木の根にたたずんでおられます。更に50m北上すると変則四差路となって、車は西進方向へ村落を抜ける場所があります。道路をくぼめたてブロックに守られた場所に、角柱の弘化二年(1845)二十三夜塔が祀られています。その反対側の四差路角にも、明治27年「征清軍馬紀念碑」が山王権現石祠とツーショットで祀られています。
馬頭観音にしなかったのは何故と余計なお世話を考えたりしましたね。
113-3広幡八幡宮の石仏
先ほどの道を更に200m北上すると道が二股に分かれた所から広幡八幡宮の長い参道に入ります。
長い参道を振り返る
土村誌に元和年間徳川家光から朱印地十石寄進を受けたとの記載があると市史に載っている由緒あるお社です。御鎮座八百年記念事業の碑に謂れが書いてあります。
境内に富士塚があって大正年間の小御岳神社碑・富士登山記念碑などが立っています。更に進むと本殿右に雨除けの中に6座の石祠が祀られています。
 左から宝暦七年(1757)「奉勧請勢至道閑守護攸」の勢至菩薩塔、同年の不明石祠、文化四年(1807)疱瘡神、文化六年(1809)待道権現、文化十四年1817)不明石祠、昭和9年大塚大権現となっています。大塚大権現は「柏市大塚町に祀られその後柏神社に合併されたが、病人が出るなど災いが続いたため地元からの願いがあり元の所にたてた社に遷座された」と市史に載っています。 広幡八幡にも分祀されていたようですね。
本殿右にも宝暦七年の石鳥居があって、 鹿嶋神宮、天神社、三峯社が立派に祀られていました。
113-4妙見宮跡
美里ゴルフ練習場に出る村道の傍らに、平成14年建立の妙見宮跡碑が立っています。
石碑の左には明治42年と大正11年の百観音など巡拝塔です。右手前の小さな石祠は年不明金比羅石祠です。妙見宮跡碑の裏面に切実な社会事情などを述べてあるのは興味深いですね。
113-5 万福寺の石仏
天保八年(1837)の「寺柄書上」で滅罪(葬式法事を依頼)の檀家60軒・祈願檀家30軒と記され当時の農村一般的状況が分かる平均的なお寺だったようですが、今では敷地の広い大きなお寺です。門前に「土小学校の始まり」という消えかかった柏市文化財めぐりの掲示板が置かれています。学校が併設されていたようですが、はていつの頃やら読み取れません。
写真右手に天和三年(1683)の結構古い六地蔵さまが並んでいます。 その手前は削られたのか無残な姿の石仏3基が置かれています。左から天保七年(1836)子安観音?・慶応三年(1867)地蔵菩薩・文化十三年(1816)庚申塔(三猿付)らしいのですが、如何でしょう?
先に進むと9基の石仏が祀られています。
右から4基までが日待月待塔、左端が昭和46年馬頭観音で残りは墓碑ですね。右から延宝五年(1677)十九夜塔・元禄十五年(1702)同・寛延三年(1750)地蔵菩薩塔・安永八年(1779)十九夜塔と並びます。墓碑が続いて左端は角柱型の昭和4年馬頭観音となっています。
境内に入ると文化二年(1805)十九夜供養塔・紀年不明聖徳太子塔・ 明治14年光明真言塔などが立っています。又、四国八十八箇所めぐり遥拝の親切なお砂踏みもできますよ。
藁葺きの阿弥陀堂もあって、木造阿弥陀如来坐像が県指定文化財となっています。解説版をご覧ください。
 今回はここまでとしましょう。

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