2012/07/12

139 北総石仏 柏の石仏 大青田

柏の最北部まですすんだので、ここから反転して南下します。船戸山高野に隣り合うのが大青田地区です。中央部を北西から南東にかけて国道16号線が横切っています。村を二分してしまったようです。江戸時代の村名=大青田村(おうだむら)と千葉県地名資料にふりがながうってありました。
139-1 妙見神社
柏市の北限に利根運河が流れています。国道16号線が利根運河を渡る200m手前に妙見神社が目立たないでひっそりと佇んでいます。通常の神社のごとく参道らしきものが見出せないのは、国道16号線が境内を横切り区画整理されたからでしょうか?資料によると明治9年妙見神社を仮校舎にして大青田小学校が開設されたとか。次に訪れる円福寺に筆子碑もあるそうです。
平成11年鳥居の両脇に、左4基右3基の庚申塔
 祭神は天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)。Wikipediaにも書かれていますが、古事記・日本書紀にも登場する最初に出現した神様らしいです。仏教の妙見信仰と習合し妙見神社は千葉県で盛行したとの記述が見られます。
左から延享五年・寛政十年・天保四年・安永二年の造立
 鳥居傍の大木の陰にも3基の石仏です。
左から宝暦三年・天保九年・嘉永七年
 それほど目新しいものはありませんが、台石の三猿に変形ポーズがあって楽しめます。
剥離した庚申塔の台石三猿ですが仕草が可愛いですね
 139-2 円福寺の石仏
妙見神社の南に真言宗円福寺があります。天正元年(1573)創立のようですがそれ以前の可能性ありと柏市史に載っています。
本堂が歴史ある小学校の校舎のように見えます
門前が舗装された広い駐車場になっていますが、道路に面した壁際に6基の石仏が並んでいます。
碑面が荒れていて判別するのも大変です
左端はどこかの講中が建立した供養塔で右端は地蔵塔ですが、紀年不明。
左から2基目が延宝二年(1674)十九夜如意輪塔、弘化四年(1847)頭部如意輪浮き彫り十九夜塔、明和八年(1771)文字馬頭観音、宝永五年(1708)六臂合掌青面金剛塔となります。
青面金剛ですが、見るだけでも痛々しく感じます
山門を入った右手に寛政十年(1798)岩見大権現・天保十二年(1841)雷神の石祠が置かれています。イチョウの大木の下はゲートボール場・ベンチが置かれ村人の憩いの場となっているようです。
門前から村道にでて南下します。途中、お堂の中に文政七年道祖神(道六神)が祀られているようです。足腰の病気にご利益を祈願してわらじが奉納されていました。
コンクリの土台がやけに高いお堂です
139-3 大青田交差点近傍の常夜燈と大黒天
国道16号線の大青田交差点西南角にセブンイレブンがあります。その向かいのお宅の角に立派な常夜燈が置かれています。
明治13年設置常夜燈
柏市史の第五編第一章612P図4主要道路と渡し場・明治30年代には、略図ですが船戸の渡しから大青田を通る主要道路が記載されています。常夜燈明かりに照らされながら通り色々な物資が江戸川を渡っていった様子が思い浮かびます。この常夜燈はそんな歴史をではないでしょうか?
この常夜燈の写真右後側に下の写真のような石仏が置かれています。
左は力石で「四拾二メ」と彫られています。右の大黒天は紀年不明ですが、力石を兼ねており「十五メ」(約56kg)との記載があります。道理で丸く小ぶりに作られている訳ですが、私には持てませんねえ。
139-4 大青田598前の馬頭観音
常夜燈から200m南下します。県道の東側道路沿いに、様々に供物に囲まれた馬頭観音が2基祀られています。犬の置物・馬型園芸ポットや缶ジュース・缶ビール、フラフープまであるのはどういうことでしょう。こちらは文政二年(1819)と昭和21年の馬頭観音です。信仰が厚いというかパワースポットじみているのか良く分かりません。
右にあるのは馬型園芸ポットと後ろは懐かしのフラフープ

139-5 香取神社
反転して北上します。国道16号線大青田交差点の西方200mに香取神社があります。敷地内に大青田ふれあいセンター が同居しています。
石鳥居の両柱の陰に庚申塔

平成12年製の石鳥居をくぐると参道の左右に4基ずつ庚申塔が並んでいます。
参道右側の庚申塔

参道右手の庚申塔は左手前から寛保三年(1743)ショケラ持青面金剛塔・寛政十一年(1799)・文化九年(1812)・嘉永元年文字青面金剛塔となっています。
参道左側の庚申塔。右端享保塔は道標も兼ね、側面に「右正連寺柏、左花野井アビコ」
 左から文化三年(1806)・寛政四年(1792)・天明六年(1786)文字青面金剛塔、享保十二年(1727)ショケラ持青面金剛塔の4基です。
境内には文政二年の文字青面金剛塔・安永三年香取大明神石祠・明和三年大杉大明神・安政二年待道大権現石祠などが点在しています。

明治40年の 天神社・大杉社・稲荷社・疱瘡社が合祀の履歴を物語っています。
忘れるところでしたが、参道両脇の庚申塔の後ろには板碑が埋め込まれているのでちょっと覗いておきましょう。
庚申塔の台座後ろに挿して並べています
この種子は梵字手帖・梵字必携にも見当たりません




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