2012/10/10

143 房総の二百仏 野田市の石仏

パソコンソフトの不具合でネットがつなげず不便に過ごしました。また、ウイルスに感染し、OSの再インストールに泣きました。暑く辛い日々でしたが、ようやく彼岸花が石仏に映える秋の気候になりました。気持ちよく過ごしたいものです。
◎房総石造文化財研究会編集の「房総の石仏 百選」「続房総の石仏 百選」(=略称二百仏)をテキストに利根川沿いに南下していく予定です。
「房総の石仏 百選」石仏ではNo.1~100、「続・・百選」石仏はNo.101~200の番号を付してご紹介します。
143-1 木間が瀬・水神社の浅間山噴火供養塔(続百仏 No.158)
石仏のジャンルに災害供養塔(碑)があります。主として天災(噴火・津波・飢饉など)が多いですが人災(永代橋溺死・水難など)もあってその時代世相の厳しさをよく記録しています。
「水死諸聖霊乃至諸畜類」供養塔
天明三年(1783)に始まる「天明の大飢饉」は、前年の長雨による不作と天明三年の冷夏そして 七月の浅間山大噴火とつづく異常気象が原因でした。浅間山噴火に伴う被災は、利根川沿いに無数の仏が流れ着いた状況が偲ばれこの寛政元年(1789)浅間山噴火供養塔に「・・螺蛻出数万人之水死不知其数哀哉・・」と石碑側面に記されています。
神社は三方を畑に囲まれ背後は利根川堤防です

この石仏は利根川堤防の下に位置する野田市木間が瀬の水神社に祀られています。
右から4基目が噴火供養塔で隣の背高塔は昭和8年8月事故の水難追悼碑
上の写真のように石仏が並んでいます。写真左の方もに庚申塔や石祠が並んでいます。
右の角は延享四年(1747)、その左は天明八年(1788)の青面金剛塔
 宝暦六年大乗妙典塔・天明三年山神宮・享和三年天満宮石祠など村の信仰の歴史が静かに遺されていました。
近くに豊穣の神様大黒天があるので見ておきましょう。
143-2 野田市下根・勢至堂の大黒天(百仏 No.53)
 水神社の南西1.5Kmの下根に地図上で勢至堂の表示がある集会所があります。(ガイド地図の薬師堂位置は誤記)こちらの敷地南側境界に甲子待主尊の大黒天像が祀られています。
左端は文化七年子待供養塔・角柱は天保六年大乗妙典塔・自然石明治26年二十三夜塔
 大黒天はヒンドゥ教のシバァ神の化身と言われ豊穣の神様です。民間信仰での大黒天は子宝の神様とも言われます。
享和三年(1803)の大黒天は両俵に乗る典型像塔です
北総の上限部は北関東の甲子待信仰が盛んでこのような像塔がよく見られますが、南下した成田や八街などでは数少なくなってきます。唯、福神としての単独の大黒天信仰は恵比寿・大黒として幕末期以降流行して祀られたということのようですね。(日本石仏事典第二版P72)
福神の典型は下の写真のように現世利益があらたかな大黒天でしょうか。
143-3ご参考 東京谷中・善性寺の大黒天
東京谷中・善性寺の大黒天、背中に小槌・両手で大判振る舞い?
 JR日暮里駅そばの長享元年(1487) 開創と伝えられる善性寺(東日暮里5-41-14)には、伝安土桃山時代の大黒天がおられます。 対比の妙でこちらの大黒天こそ江戸文化の象徴のように思えますが。ちなみに、善性寺は昭和の名横綱双葉山と石橋湛山のお墓があるお寺です。

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