2012/10/20

144E 浦和の石仏

埼玉県さいたま市浦和区に遠足拝観をしてきました。日本石仏協会編「石仏手帖埼玉篇」は24年前のガイドブックですが、今も立派に通用するようです。埼玉県は板碑文化圏なので、当地でも立派な板碑を拝見できました。
144E-1 さいたま市立浦和博物館(緑区三室・市立病院隣接)
いきなり博物館では興ざめかも知れませんが、市内の指定板碑の概要を知ることが出来るので便利です。また、文化財マップをいただけるので要領よく見学できるルートが見つかります。おまけに、5基の陳列板碑を写真に収めることもできますよ。
上段右から2列目に市内最古の図像板碑・延慶三年(1310)→拝観にGO!
文明17年・勢至菩薩を刻んだ板碑2基1組の右側片割
上の板碑の解説で、貴重な図像板碑だと分かります
144E-2 上野田東台墓地の延慶三年板石塔婆
いきなりガイドブックの番外ですが、博物館で所在を確認できたので拝観しました。市内最古の図像板石塔婆(以下板碑と略称)とかで身近に実見できるのは貴重です。
延慶三年(1310)飛雲に乗った阿弥陀と蓮台に乗った観音・勢至
陽刻の主尊と陰刻の脇侍は珍しいとの記載
東台墓地は狭くて細長い地区民のプライベート墓地のようです。板碑と共に宝暦七年宝篋印塔・文化七年三十四番札所塔・寛政七年地蔵塔なども祀られています。
左側に解説板と板碑・宝篋印塔などが並んでいます

144E-3 廓信寺(かくしんじ)の阿弥陀一尊種子板碑
JR北浦和駅東側の県道164号線を400m北上すると歩道橋があります。その下から廓信寺の参道が続いています。隣接の厚徳幼稚園が目印です。
本堂右手前にコンクリート造りの収納庫があってその中に、板碑と小泉蘭斎 という教育者の墓碑が安置されています。
ガラス反射で見辛いですが、阿弥陀種子キリークが大きく見えます
元享四年(1324)の阿弥陀一尊種子板碑です。内容は下の解説板をご覧ください。
この解説板の右半分は小泉蘭斎の教育者功績が載せてあります
浄土宗のお寺ですが、お庭に瓦で宗紋(=月影杏葉)をかたどった意匠が描かれています。
法然上人ブロンズ像と、手前に月影杏葉が見えています
144E-4  「御免 毎月二・七市場定杭」
廓信寺からJR浦和方向へ約2km南下すると、赤い鳥居とあっけらかんとした参道のある慈恵稲荷が見えています。この参道脇に囲いのある祠と、天正十九年(1591)「御免・・・市場定杭」が立っています。
囲いの中に市神祠と石杭が祀られています
 当所は「浦和市」と呼ばれ二・七のつく日に開催される六斎市でした。周辺では、一・六の蕨、三・八の鳩ヶ谷、四・九の与野、五・十の大宮などで市が設けられ、毎日どこかで市が開かれていたとその賑わいを解説板が語っています。
今なら産業遺構と表示されるのでしょう
 参道を進んだ慈恵稲荷社には、天保十三年の文字庚申塔がありました。
144E-5 玉蔵院の「守護侍不入の石杭」
市場定杭から500m南下し、三井住友銀行浦和支店の角を西に曲がり通ります。表通りの1本西側の道路を南に進めば平安時代創建といわれる古刹玉蔵院です。ガイドに記す「支配者の寺中の検断権を拒否する意」を表す「守護侍不入の石杭」はこの寺にあります。
守護侍は守護使の誤りだろうと解説板の記載、場所は正面右手事務所入り口脇
 当寺には正徳六年(1716)寒念仏地蔵塔、享和二年(1802)日本名山奉拝礼供養塔、宝暦五年(1755)大日如来などが点在しています。
正徳六年寒念仏供養塔
宝暦五年胎蔵界大日如来
 144E-6 調神社(つきじんじゃ)のウサギ像
さらに700m南下すれば調神社が左手にあります。調宮(つきのみや)即月宮殿に議せられ月待信仰の聖地らしいのです。
門柱にうさぎの像が祀られています。
台座にウサギですが、近くで見るとモルモットのごとく見えます
手水にも龍でなくて兎がいます
144E-7 醫王寺の大板碑
白幡2丁目の白幡中学校の南に真言宗豊山派醫王寺があります。本土前に現高2.4mの阿弥陀一尊種子板碑がたっています。
市指定文化財で完形なら4mはあろうかという大きさ
 延慶二年(1309)の阿弥陀一尊種子板碑です。
薬研彫りキリークの下に梵字光明真言
下部中央に延慶二年銘、右に「率都婆」表現
 詳しい解説は下の解説板をご覧ください。
当寺には仏足石や鐘楼門・薬師堂などもあって興味深く過ごせます。
144E-8 白幡観音の六地蔵
醫王寺の南方600mの歩道橋のかかる中山道沿いに白幡観音堂があります。むしろ墓地内のお堂という感じです。こちらに正保元年(1644)市内最古の六地蔵が祀ってあります。
右端は天明四年(1784)日本廻国塔です

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