2012/11/15

146E 浦和の石仏Ⅲ

浦和も最終回です。備忘録のつもりがなかなか終わりに出来ず「怠慢」を反省反省。
146E-1 三室の庚申塔
川口市赤山の関東郡代伊奈氏陣屋敷からそれぞれの支配事業地まで延びていた道を赤山街道というそうですが、その赤山街道沿いの三室にある庚申塔です。住宅地の三室高砂自治会の表示の傍に整備されて立っています。
この塚は「さるまん塚」と呼ばれています
塔の高さ2.2mと市内最大級、ショケラ持・二童子・四夜叉・二鶏・三猿がついた豪華な青面金剛塔です。
寛保二年(1742)造立
 側面に「東ハ赤山道」「西ハ大宮道」と刻み道標を兼ねています。傍にある解説板では「東八赤山道」との表記ですが、書き手が間違ったのか原稿にそう載っていたのか気になるところです。
146E-2 清泰寺の三百五十庚申塔
清泰寺は旧赤山街道沿いにある天台宗の古刹です。見性院(武田信玄の娘で信州高遠城主保科正之の養母)のお墓で有名です。
平安初期の慈覚大師円仁(延暦寺三世座主)の開創とされる清泰寺
こちらは天明三年(1783)庚申五拾ケ度供養塔と万延元年(1860)三百庚申塔のあわせて三百五拾庚申塔が祀られています。唯、並んでいるのは敷地際の境界線に沿っていて、ちと分かりにくいところです。三百四十九基の文字庚申塔と一基の青面金剛塔から成っています。
左は元治元年(1864)甲子塔、右が三百庚申自然石塔(万延元年)

唯一の青面金剛塔が剪定植え込みの陰に隠れています
駐車場際の庚申塔は唯のブロック柵のように見えてしまいます
境内には他にも嘉永五年(1852)萬霊供養塔や安永六年(1777)日本廻国塔などが風情無く並んでいます。名刹であるのですが、環境が変わってしまいちょっと残念ですね。詳しい見所などは下の解説板を拡大してご覧ください。
 146E-3  中野田・重殿社そばの庚申塔
東北自動車道浦和料金所の傍に、曹洞宗明照寺と重殿社(じゅうどのしゃ)が隣り合っています。「隣の明照寺は観応三年の文書が残るがそれより古い」神社のようとネット記事に載っています。本殿と中西流算額が市指定文化財に登録されています。
扁額裏面に享保十一年(1726)銘あり築年代推定と解説板の表示
 重殿とは珍しい名前ですが、埼玉県全域で「殿」がつく蔵殿・通殿・頭殿・十殿などたくさんの地名が残っているようです。(参考資料:HP気まぐれ旅写真館・関東地方の川)
神社入り口に 4基の庚申塔が祀られています。
左右の文字庚申塔は弘化三年、青面金剛塔は□永三年?、左端は不明
変哲も無い庚申塔ですが、左右の文字塔の変わり猿が楽しそうです。

146E-4 明照寺の石仏
こちらには、貞和三年(1347)地蔵種子板石塔婆と康暦三年(1381)釈迦種子板石塔婆があるはずです。博物館資料に記載があるものの境内では見当たりません。人気も無くあきらめて退散です。
仁王門はありませんが露座でのお勤めです

ピカチュウやゴエモンも
東北自動車道の敷地買収補償の影響でしょうか、板碑の代わりに現代の石仏が所狭しと並んでいます。写真に載せませんが、大きな七福神の石仏までそろっています。石造物を並べるだけでは人の心は癒せませんが、さりとて無ければ無いでさびしいものです。以上、遠足終わり。


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