160-1 本行徳・徳願寺の永代橋溺死者供養塔(続房総の石仏No.60)
浄土宗徳願寺(Wikipediaご参照)は徳川家康の帰依による「徳」と親寺・勝願寺の「願」をとった寺名を有し、経蔵や山門が市川市の有形文化財の保有で有名なお寺です。
また、石仏ファンには「永代橋落橋による溺死者供養塔」でも知られるお寺です。文化四年八月十九日深川八幡宮祭礼で押し寄せた人並みに永代橋が落橋し、犠牲者440人~1500名とも言われた事件はあまりに有名で歌舞伎や落語でも残っています。江戸東京博物館デジタルミュージアムの資料No.97200023「文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図 」でその模様がごらんになれます。
太田蜀山人は「 永代のかけたる橋は落ちにけり、きょうは祭礼あすは葬礼」と狂歌に詠みました。
その供養塔が山門入口右手に高い石柱で建てられています。
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左正面=薦文化四・・永代橋・・、右側面=其仏・・偈文が刻まれています。 |
正面に「薦文化四丁・・永代橋溺死・・・也」と刻み、右側面に「経曰 其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」と仏説無量寿経下巻往覲偈(おうごんげ)の経文を刻んでいます。
この経文は通常納棺のときに唱え、皆が仏の身と定まるようにとの祈りの言葉だそうですね。
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台石の日本橋講中には伊勢屋・三河屋・大黒屋などの屋号を持つ商人達の名が刻まれます |
この石塔が建てられた経緯は分かっていませんが、同様の供養塔は目黒区黄檗宗海福寺にも建立されています。
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左の宝篋印塔が供養塔。手前の角柱石塔が「永代橋沈溺横死諸亡霊塚」 |
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こちらは深川寺町所在のお寺なので建立経緯は理解し易いのですが |
ガイドブックによると「江戸初期から中期・・浄土宗独特・・千日回向とは僧侶が千日・二千日と・・阿弥陀仏を唱える専修念仏・・成就の後造塔と盛大な法要・・・利根川流域では・・参加者一万人・・・規模の大きな仏事・・」と記されています。
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左側面は地獄面で「奉造立石塔為一千日称名勧修御回向成就也」と刻まれています |
160-3 法伝寺の別時念仏塔(続房総の石仏No.29)
日本石仏事典の別時念仏塔の項に「特定の時日、期間を限って行なう念仏行事・・大無量寿経に説く四十八願にちなみ四十八日が多い・・近世では・・明暦二年群馬宗近寺の千日念仏・・願主は浄土宗僧侶・・結衆は近在念仏講・・」と記されています。
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寛文十一年(1671)の定印阿弥陀 |
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踏まれた邪鬼は褌を締めています。その結び目が気に入りましたね。 |
石仏ファンならネット上のブログで見かけることが多い善照寺の五智如来です。金剛界と胎蔵界におられます。こちらは種子はバンで金剛界ですが印は胎蔵界如来の法界定印を結んでおられます。胎蔵界五智如来もご参考までに。
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ちとずれましたが、中央の仏は宝冠をかぶり大日如来とわかります |
160-5 源心寺の六地蔵(房総の石仏No.34)
慶長十六年(1611)創建で地元狩野新右衛門(法名浄天)が開基した浄土宗のお寺です。浄天の娘が大きな六地蔵を奉納しました。
六地蔵は地獄の辻にあって迷える人々を救済する信仰に基づきます。(地蔵菩薩信仰)
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左から天賀・放光王・金剛幢・金剛悲・金剛寶・金剛願地蔵が並んでいるらしいです |
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金剛杵をもっているので制吒(多)迦童子でしょうか |
徳本上人石塔や閻魔様がぽつんと立っていたりと、閑散な石仏ワールドのイメージでしたがどうなったでしょうか?
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徳本上人は文化元年に亡くなっているので没後文化十二年(1815)の造立ですね |
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享保三年に女性供養で建立された閻魔像のようです |
通称鯖大師のお寺は徳島県海陽町の八坂寺らしいのですが、その伝説はWikipediaでご覧ください。ガイドぶっくには我孫子市柴崎の例で、鯖大師信仰が馬の腹痛封じの呪文につながる歌を載せています。
もとの加持御法は「大阪や八坂さかなが鯖ひとつ大師にくれで馬の腹痛、久連て馬の腹痛止」とか。
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昭和41年の新しい像ですが風格なのがイマイチ印象が薄い・・気がします |
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右隅の石仏が??? |
より大きな地図で 160 房総の石仏二百選 市川市編下 を表示
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