2009/03/03

27E.多摩石仏 保谷から西武柳沢Ⅰ

突然ですがちょっと足を伸ばして遠足シリーズです。今回は1993年多摩石仏の会発行「新多摩石仏散歩」をテキストに東京都下の西部地区(西武池袋線保谷駅~西武新宿線柳沢駅)を歩いてみます。魚藍観音や岩船地藏など北総には珍しい石仏にお会い出来ます。私=石仏信人はお隣の練馬区内に勤務したこともあって、今では西東京市と呼ばれるこの辺りの地理にもちょっぴり思い入れがあります。 
27E-1.福泉寺の魚藍観音 
西武池袋線保谷駅を降りてみると幅広い福泉寺通りが寺前まで通じています。福泉寺は塀のない開放的な門前です。お寺の方に声をかけてから拝観させていただきました。このお寺には三十番紳が疎開しておられます。この神様は元々、次の訪れる天神社におられたのですが明治元年の神仏分離令で疎開された経緯にあるようです。詳しくはこの解説と天神社での解説をご覧ください。横道に逸れましたが、門前写真左手の明治14年題目塔の真裏=門を入ってすぐ左手に彫のよい明治35年三面馬頭観音があります。参道左手には正面に妙見大菩薩・右側面「大梵天王」・左側面「帝釈天王」と刻まれた元文元年(1736)題目塔があります。如何にも日蓮宗というオリジナリティあふれる石塔です。本堂左手前には帝釈天堂の小堂内に合掌六臂青面金剛がおられます。大正6年の新しい石仏です。日蓮宗主導を裏付ける「南無帝釈天王」の銘が右下に見えます。小堂脇にはブック型の説明もありますが、郵便関係の故か写真後ろに赤いポストも見えますね。さていよいよ魚藍観音にご挨拶です。帝釈天堂の前を通って墓地を壁際まで直進し、左折して少しで右手の小潅木の陰にひっそりと佇んでおられます。彫のよいものですがお歳は不明です。「唐の憲宗の時代に魚を商う美女が伴侶を法華経普門品・金剛経・法華経七巻等を良く読誦出来る者に決め馬氏と結婚したが、実はその美女が観音の化身であったという中国の故事から信仰された観音である」・・・日本石仏事典から引用 ぼちぼちお暇して次の天神社に向かいます。 
27E-2北町天神社の道祖神と石造物
福泉寺の北側の道を西に向かい突き当たりを右へ道なりに進むと北町6丁目の角に天神社があります。敷地の角には柵に囲まれて文化十三年(1816)南無道祖神・「左 田無道」と道標をかねた日蓮宗影響の強い地区らしい道祖神があります。石鳥居をくぐると右手に西東京市指定文化財である髭題目塔2基があります。自然石の髭題目は珍しいですね。先ほどの福泉寺へ疎開(別当寺)した三十番紳の件が書かれた解説板もお読みください。こちらでは石造物の狛犬と石造法灯の華麗さに惹かれました。明治28年の狛犬は躍動感あふれれています。格狭間の刻像はどのような縁起でしょうか。元関村石工田中さんと志木村彫工伊藤さんのコラボで腕が冴えた作品です。法灯も石祠型屋根を載せた特異なものです。格狭間に翁と媼・鶴と亀の縁起物です。こちらも同じ手になるものです。27E-3.北町ショッピングセンター前の題目塔 
天神社を出て来た道をさらに進むとショッピングセンターがあります。道路沿いにブロックと柵に囲まれて享保八年(1723)「南無妙法蓮華経奉唱満壹千部成就處」塔があります。 更に西進すると信号のある大きな五叉路道路に出会います。北町交差点角地の畑にも正面が剥離し側面に「南無妙法蓮華経」と刻まれた石塔があります。直進せず斜め左方向へ保谷第一小学校を目指します。 
27E-4坊ケ谷戸墓地の日蓮上人坐像 
保谷第一小学校の向かいの鉄扉が閉まっている墓地に入ります。正面に天保二年(1831)題目塔とその右に寛文七年(1667)日蓮上人坐像があります。坊ケ谷戸墓地の丁度西裏側にあたる處に大象坊跡墓地があります。 
27E-5大象坊跡墓地の釈迦如来丸彫坐像 
墓地の丁度中央部に釈迦如来丸彫り坐像がおわします。北総でも丸彫りはなかなかお目にかかれません。平成19年に台座を修復して新しい座所におられます。日蓮宗の影響強い地区ですが石像などが結構残されていることに感心します。「奉唱満首題一千部成就施主題目之衆・寛文四年甲辰七月・・」と台座にあります。寛文四年は1664年です。江戸市中も落ち着き多摩にも石仏建立の風が吹き始めたのでしょうか。 墓地を後に西武池袋線踏み切りまで南下します。テキストに記載された「踏み切り近くの二十三夜塔」「経塚の妙見大菩薩」などは区画整理のためか影も形もありません。踏み切りを渡って保谷高校方面へ西進します。 
27E-6保谷高校先の五差路覆屋・庚申塔 
保谷高校を通り過ぎると泉町4/5/6丁目・住吉5/6丁目が出会う変則五差路の左角に、写真のような柵に囲まれた庚申塔あります。宝永四年(1707)の笠付六臂青面金剛です。平凡ながら地域の人に大切にされてきたのが良く分かります。この五差路を北上します。地蔵通りの名がついているようです。 
27E-7又六地蔵
信号のある五差路が又六地蔵交差点です。信号の脇に写真のような地蔵堂があります。六面地藏石幢を真中に左に庚申塔2基右に地蔵2体がおられます。六面石幢は安永五年(1776)です。2基の庚申塔ですが左は寛政十年(1798)六臂合掌型青面金剛塔で、右が区内最古の元禄十年(1697)の六臂合掌型青面金剛塔です。確かに元禄のものは墓碑に良く見られる板碑形式をしています。地藏は何れも明治30年造立ですがもとは六地蔵だったメンバーではないでしょうか。 解説板をお読みください。木柵に遮られ写真写りが良くないですが、素朴な味わいのある石仏さまでした。 地蔵堂の前の道(都道36号保谷志木線)を700m程南下し福祉会館入口信号を右折します。 
27E-8東禅寺の仏足石 
しばらく進むと右手に東禅寺の参道があります。参道にある灯篭の重量感に圧倒されます。境内にあって全部で6基全て正徳六年(1716)に寄進されています。笠の先端が反り返る部分を蕨手といいますが分厚くて立派。上野寛永寺にある寛永六年(1629)の上の写真と比べても遜色ないでしょう。 本堂手前の左に7体で構成される万延元年(1860)六地蔵があります。主尊の台座には三界萬霊と刻まれています。儀軌にしたがって正確に表現されているそうで、なかなか彫のよいものでした。解説板も読んでおきましょう。本堂前の右手に現代的な十三重の石塔があります。以下、日本石仏事典を参考に学習です。これは石造物で層塔という分類に入ります。屋根(笠)は三重~十三重まで無限に広がる意味を持つ奇数刻みで造られています。塔身に主尊を意味する四方仏を種子を現代風に刻んでいます。パズルのような感覚で読んでみましたが?左がキリークで西方・阿弥陀如来、右がバクで南方・釈迦如来を表しています。こちらは左がバイで東方・薬師如来、右がユ・弥勒菩薩と思われます。 そして本堂前に房総ではなかなか見られない現代風の仏足石があります。これだけはっきりと良く分かる仏足石を身近に拝めるのは嬉しいですね。日本石仏事典に記載されている転法輪・三宝章・金剛杵・双魚・宝剣・卍文はどれでしょうかね? 
27E-9宝晃院の水子地藏 
来た道を更に西へ進むと宝晃院があります。 明和八年(1771)の水子地藏ですが、赤子がまとわりつくような珍しく絵画的と評されている地藏尊です。解説板もどうぞお読みください。 今回はこれでひとまず休憩としましょう。

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