2010/03/04

67E江戸石仏 練馬石神井の石仏Ⅱ

日本石仏協会編石仏地図手帖東京編をテキストに石神井地区の特徴ある石仏を巡ってみます。前回の天祖神社から西へ道なりに300m進むと曲がり角の人家の一角に庚申塔が立っています。

67E-1路傍の丸彫り青面金剛塔
享保十二年(1727)の丸彫り青面金剛です。二鶏が台石下部に三猿ととも彫られています。腕が破損しているのでしょうか、顔付きもお猿さんチックでひょうきんなお顔に見えます。唐草模様?の風呂敷?状の涎掛け?がご愛嬌です。「練馬区有形登録文化財」のピカピカ表示板がなんともそぐわない感じです。

67E-2御嶽神社の造化三神
南北に走る県道444号へ出て400m南下、石神井消防署交差点の次の角を左折すればこじんまりとした御嶽神社です。お社が二社あります。中央は御嶽神社で立て札に祭神は「国常立命=くにとこたちのみこと・大己貴命=おおなむちのみこと・少彦名命=すくなひこのみこと」と表示があります。神社左隣にも小ぶりの社があってこちらは一山神社と表示されています。お目当ての石神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かみむすひのかみ)のことでグループ名は造化三神というらしいですね。一山神社の後方に回り込み、富士塚を登ったところに三体が祀られています。日本神話の出発点となる神々です。中央が天之御中主神でしょう。あとは右左の順に祀られているようです。
狭い境内に明治30年御嶽大神碑・一山霊神碑など山岳信仰系遺物が建立されています。ガイドでは明治38年神前型燈籠の竿部の龍の彫り物が立派と褒めています。
次は郷土資料館にある申待板碑を見る予定でしたが、資料館を新しく建設中のため前庭の展示石塔を含め見学は出来ませんでした。石神井小学校前交差点には特産の甘藍(かんらん=キャベツ)の碑があるので紹介しておきましょう。
67E-3道場寺の馬頭観音石神井図書館に隣接して道場寺があります。三重塔があるそばに無縁仏供養塔があります。裏に回りこんだ角に長命寺の次に古い元禄六年(1693)馬頭観音が佇んでいます。像容は聖観音にみえて碑面右の「奉造立馬頭観音」が無ければ見分けがつかないと思われます。

67E-4三宝寺の石仏群
道場寺に隣接する三宝寺は真言宗のお寺で天正十九年(1591)10石を与えられた御朱印寺(徳川家より代々寄進を受けた寺)です。勝海舟邸から移設した長屋門が右手に張り出しています。長屋門前に元禄十三年(1700)六臂青面金剛塔がおかれています。山門は御成門と呼ばれ庶民は通さなかったと解説板に載っています。三宝寺は仏教施設の展示場みたいなので、広い境内を駆け回る前に案内図で見所をチェックしておきましょう。案内図7番大黒堂下が地蔵堂で、ガイドによると文明四年(1472)来迎弥陀夜念仏供養画像板碑など51点が展示されていると出ています。訪問日は厳重に戸締りされていました。20年前のガイド本なので現在も拝観が可能か否か分かりませんが、私は先を急ぐのでパス。6番本堂前にも元禄九年(1696)青面金剛塔があります。巡って楽しい?のは3番お砂踏み霊場めぐりですね。八十八箇所の霊場ご本尊碑が場内に乱立?していてジャングル状態ですね。面白ろ~い。前回の長命寺で見た十二日講は三宝寺ではお遍路姿で立っていました。4番平和観音は十一面観音と思われますが、写真右の白い幟が「如意輪観世音菩薩」と読めるので本当?と突っ込みたくなりましたね。

67E-5禅定院の切支丹灯篭
三宝寺前の旧早稲田通りを東へ500m進むと豊島橋三叉路の信号で、こちらが禅定院です。門前の解説板に板碑・大寶篋印塔・いぼ取り地蔵・織部燈籠の文言を見出して思わず頬が緩みます。本堂前の植え込みの中、左から寛文十三年(1673)切支丹灯篭竿部・年不明六地蔵石幢・板碑5基が置かれています。板碑は応安(1368~1375)至徳(1384~1387)の年号を持つようですが彫りが浅くて読めません。萱葺きの鐘楼は珍しいですね。墓地入り口で元禄三年(1690)青面金剛庚申塔の片割れと其の後に十九夜塔を見つけました。

67E-6笠松墓地の血盆経刻字塔
禅定院前から石神井公園へ向かって北上し石神井公園交差点の先、石神井池が切れるところで右折し道なりにゆるい左カーブ坂道途中に笠松墓地があります。小さな鉄門扉を開けて石段を上れば赤松林のがらんとした墓地となります。正面に5基の石仏です。右は昭和38年の阿弥陀・観世音の名号塔というのでしょうか?次が弥陀三尊種子を頭部に刻んだ宝永五年(1708)百所巡拝塔です。左側面に「奉納血盆経萬人志也」と刻まれています。血盆経という用語になじみの無い方もおられると思うので、千葉県我孫子市正泉寺の解説板を載せておきます。北総石仏・我孫子市編で用意しておいたものです。北総地区では民俗資料として時々見かける用語ですが、石神井の地でも信仰されていた証をみてちょっと感動しますね。次の延命地蔵は紀年銘ないですね。隣は元禄七年(1694)笠付青面金剛塔ですが、六臂中左第一手は蛇持ちのようですね。小さいのは明治15年の文字庚申塔です。

67E-7地蔵堂の庚申塔
富士街道のドラッグストア・ウェルシア練馬石神井店の交差点向いに地蔵堂があります。正面に元文二年(1737)延命地蔵が祀られています。参道左の小屋根の中に元禄十一年(1698)六臂青面金剛塔があって、武州豊嶋郡中武蔵下石神井村と読めますね。隣は寛政八年(1796)聖観音らしいのですが、頭が小ぶりで後補?の感じがする異様な観音ですねえ。「浅草観世音参篭一千日」だそうです。

より大きな地図で 67E江戸石仏 練馬石神井の石仏Ⅱ を表示

0 件のコメント: