2010/06/17

79北総石仏 柏・旧沼南町の石仏(大津ヶ丘)

こちらは昭和53年大井・大島田・塚崎の地区にまたがって造成された大津ヶ丘団地にちなむ地名です。造成に伴い集約された石仏は二つの公園に集められました。造成で消え行く字名を区域内の公園名につけて歴史的な地名も残した経緯がありますとガイドブックに載っています。今回訪れる前原公園・中谷津公園もそんな小字があったことを秘かに物語っています。

79-1前原公園の庚申塔
国道16号線の大津ヶ丘交差点を中心に大津ヶ丘団地が広がっています。大津ヶ丘交差点から南西400mの信号角=大津ヶ丘3丁目バス停前付近が前原公園です。大津ヶ丘団地造成前のこのあたり一帯には縄文以降平安時代にかけて集落跡が発見されていたそうで、古墳もいくつか確認されています。そのうちの一つ権現古墳が、前原公園の中に土盛状で残されています。斜面に横一列で石塔が並んで一目瞭然で探す手間が省けます。あっけなくて物足りない気もしますが楽チン楽チンです。
左から明治31年馬頭観音文字塔、天保四年(1833)山神祠、天保三年(1832)六臂青面金剛塔は崩壊して像塔をしのばせるものはありません。文政六年(1823)猿田彦大神塔は三猿神楽舞が楽しいですね。


隣はこの中で最古の貞享五年(1688)庚申文字塔で「妙法奉修庚供養」と刻まれているそうですが私には読めませんでした。
享保十年(1725)六臂青面金剛塔には碑面に「庚申本地青面金剛」 という珍しい文言が刻まれています。
享和四年(1804)青面金剛文字塔は台石の三猿・聞か猿が首を傾げています。
天保十年(1839)六臂青面金剛塔、天保六年(1835)尾鑿大権現塔、寛政四年(1792)駒形大明神祠、安永八年(1779)文字二十三夜塔の11基が並んでいます。尾鑿大権現塔は石仏事典第二版にも載っていませんが、栃木県鹿沼市にある石裂山(おざくさん)にある加蘇山神社・賀蘇山神社の供養塔として千葉県北部に建立されています。石裂山へは20年ほど前にハイキングコースで登ったことがあります。奥深い山里の神社から修験道の行者が歩いた道をたどる静かな山旅でした。

79-2中谷津公園の庚申塔
前原公園角の信号から東南方向へ300mで大津ヶ丘第二小学校となります。その道路を隔てた北側が中谷津公園です。
薄暗い公園の中央部の大木の下に6基の庚申塔が立っています。
左から年不詳六臂ショケラ持青面金剛塔、文化六年(1809)青面金剛王塔、天保九年(1838)六臂ショケラ持青面金剛塔、嘉永元年(1848)・天保十四年(1843)文字青面金剛塔、安政四年(1857)自然石型文字庚申塔となっています。特記するほどのものはありませんが、像塔と三猿を載せておきましょう。嘉永元年塔の三猿は桃持ちで筆者には初見のようです。
年不詳・アーモンド型かも?
天保九年
嘉永元年左猿は桃持ち
天保十四年扇持ち三猿
安政四年塔の三猿
安政四年塔自然石型
大津ヶ丘はこれにておしまいです。

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