2011/04/09

104E 茨城の石仏(南西部) 鼻の大きな大日様Ⅰ

日常の閉塞感を忘れたくて近県にちょっと遠足です。ガソリンの補給も大丈夫、コンビニにも食料はあるだろうと利根川を渡ってお出かけです。テキストは筑波書林「常総・寛永期の大日石仏」で佐藤不二也氏が紹介されています。通称”鼻の大きな大日様”がメインの石仏紀行ですが、都合上テキストとは逆の道順です。
104E-1つくば市谷田部・普賢院の大日様
寛永二年(1625)創立といわれる真言宗の普賢院は、県道143号線(谷田部牛久線)沿いの羽成(はなれ)68にあります。
山門を入り突き当たりを右に曲がると、平成12年11月竣工の本堂が見えます。石仏は参道を右に曲がるところにある大師堂の並びに十九夜塔など4基が祀られています。写真の6基のうち両脇を除いた4基が私流の石仏4基ということになります。
まず、明治6年十九夜文字塔の大きさにびっくりしますね。このあたりの流儀でしょうか、平板な自然石を加工していて、北総のこじんまりした十九夜像塔を多く見慣れた眼には文字塔といえ新鮮でした。隣がメインテーマの寛永七年(1630)胎蔵界大日如来浮彫像塔です。
ガイドには普賢院先の大日塚にあったそうですが、かの地は荒れていてこちらに引越しをしてきたようです。大切にされていて良かった。右となりは念不明と昭和40年の馬頭観世音塔となっています。これら一連の石仏は大日塚近辺からまとめてお引越しをされたかも知れません。
さて、「鼻のおおきな大日さま」についてですが、上の写真のように大きな鼻と角ばった肩・面長の顔貌・印を結ぶ手の形など極めて印象的です。これらは本来大日塚に祀られているのですが、その大日塚を祀る大日信仰を研究する大日信仰研究会が、全容を解明しようと活動されている様子がガイドブックに載っています。不勉強で分かりませんが今から20年近く以前のことになるでしょうか?「寛永の20年間に茨城県南西部に160基にのぼる大日石造仏が造立され、その前後を通じて数百の大日塚が築造・・この時期大日信仰は爆発的に一帯を席巻した」と同書に書かれています。
さて、他にはさして石仏は見当たりませんが東日本大震災の被害はここにも及んでいて、上の写真は痛々しい写真ですがお分かりでしょうか?本来、弘法大師のお遍路姿があったはずですが草鞋の両足が残るだけでした。
104E-2羽成観音堂の石仏
道標に従って普賢院から南西300mにある羽成観音堂へ畑中の道を進みます。観音堂はうっそうとした木立の中に建っています。
文禄元年(1592)牛久城主由良国繁が戦乱の霊を弔うために建立したそうですが、近隣では馬頭観音として信仰されているお堂です。映画やテレビの撮影場所に使われるだけあって雰囲気のあるいい所です。境内は広く苔のある所も多くつくばフイルムコミッションが宣伝しているのも頷けます。近在の農民が馬を曳いて参詣し草競馬も盛んだったとガイドに載っています。上の写真右の木下には安政四年(1857)馬頭観音(道標付)や残欠がおかれています。
周りの木の根元にはひっそりと文政八年(1825)金比羅大権現石祠(右縁は大杉大明神・左縁は稲荷大明神と彫られ一祠に合祀?)があったりします。上の写真は笠が落ちた状態ですが。
他にも文久四年(1864?多分改元不識)道標付文字馬頭観音塔なども目に付きます。
立派な石神が2体と5名の名を刻んだ如意輪観音塔を見つけました。石神は天保十一年(1840)万人講の奉納でした。男神と女神をそっと寄り添わせたのは、きっと豊穣を祈った心根からでしょう。テキストでは観音堂裏手に、表面に「引導三有及法界」・背面に梵字アと梵字光明真言を刻んだ碑と年不明馬頭観音塔を紹介しています。「引導三有及法界」は一切精霊回向文の一句として江戸時代の仏書(浄土諸回向宝鑑第二巻第二十二)に出てくる偈文だそうです・・・加藤政久編著石仏偈頌辞典。写真を載せたいところですがもっと面白いものを見つけてのでそちらをどうぞ。
写真は境内にある小ぶりなお社(鹿嶋神社?)の飾り板蟇又です。お社は質素な(薄い)板造りでいまやあちこちは剥げかかってていますが、ちょっとしたところに当時の職人の遊び心と腕の見せ所を残していました。あと3面も弁財天の琵琶弾き姿などの板蟇又でなかなかの出来だと思います。
104E-3若栗研修センターの石仏
普賢院から県道143号線を1.1Kmほど南下すると消防機材庫と奥に旧公民館である若栗研修センター敷地に着きます。石仏は大師堂と器具庫に挟まれたトタン屋根の覆い屋にまとまって置かれています。
左側には五輪塔残欠や不明な石塔置かれ、中央部から右側へ石仏が並べられています。判っているものでは天保十二年(1841)馬頭観音塔が三面八臂でしたが、八臂は初見ですね。
文政七年(1824)文字青面金剛塔・寛文十三年(1673)十九夜如意輪塔・天保五年(1834)・年不明五輪塔・無縫塔計3基・胎蔵界大日像塔・寛政十二年(1800)子安地蔵塔・愛宕大権現石祠の順に並んでいます。
上の写真はガイドブックで逆智拳印の金剛界大日といわれているものでしょう。紀念不明でした。
104E-4若栗・念向寺の十六夜塔
創建大同元年(806)と伝えられ、奈良時代作蓮糸織出六字名号や伝室町時代の菅原道真公像画を有する古刹です。つくば牡丹園の南に隣接し筑波茎崎霊園内に位置しています。
霊園入口の新しい六地蔵のそばに寛文十年(1670)十六夜地蔵塔がおられます。3基目となる十六夜塔の「奉造立十六夜念仏供養」の刻字が嬉しいですね。
104E-5高崎の八坂神社
県道143号線を4Kmほど南下すると茎崎第一小学校がある高崎十字路に至りますが、脇の参道が八坂神社に続いています。
天正二年(1574)山城國愛宕郡の八坂神社を勧請したと伝えられる旧村社。江戸時代は牛頭天王と呼ばれていたとか。鳥居をくぐった左手に狛犬・年不明道祖神石祠・文政三年(1820)三面六臂馬頭観音坐像が並んでいます。
ガイドブックには、この馬頭観音像塔が見えなくなって心配して探したところ、本殿後ろの猿田彦神社(庚申様)祠に移祀されていたのを見つけ正してもらったエピソードが載っています。本殿周りは他に愛宕・天満宮・日枝・神明・八幡神などの木祠で囲まれていました。この神社では、第95回天皇賞優勝馬ミホシンザン号馬主寄進の石灯籠なども良く知られています。
メインテーマの大日様めぐりと驚愕の石仏ワールドは次回のお楽しみにしておきましょう。

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