2011/04/15

105E 茨城県南西部の石仏 鼻の大きな大日様下

徳岡聡行編著「常総・寛永期の大日石仏」をガイドにして茨城県南西部の石仏をめぐります。メインテーマの大日如来はこの地では大日塚に祀られることが多いのですが、いまや塚の存在自体が認め難く変貌しています。
105E-1東狸穴公民館の大日様
JR常磐線ひたち野うしく駅の北西1.5Km、牛久市東狸穴町609に東狸穴町公民館があります。
入口正面に南天の叢から石仏が顔を出しています。火の見下にあった石仏を移してきたと隣家のご主人の話です。
頭部を一目見て馬頭観音と勘違いしたのですが、よく見ると台石に三猿を刻んだ寛保三年(1743)六臂合掌青面金剛塔です。それにしてもこのピエロ頭巾型頭部は北総では馬頭観音の御用達と思っていたのですが、所変われば品変わるものですねえ。
新築の公民館の写真に20基以上の石仏群が写っています。3列並ぶ後列中央にある五輪塔3基をはじめ、ほとんどが江戸時代の墓碑と思われます。中列右から3番目の宝暦五年(1755)聖観音像塔は光背に「供養西国坂東秩父巡禮」を刻む百観音巡礼塔です。又、上の写真にお堂が写っていますが、左は明治44年子安地蔵・右にはお大師様が祀られています。お堂のところを右に行き公民館の側面奥の石龕に鼻の大きな大日様がおられました。
寛永七年(1630)の銘を持ち天蓋の下、鼻の大きな石仏です。寛永期に爆発的にこの地に流行した湯殿山信仰にからむ、茨城県南西部に約50基を数える特徴的な石仏です。「常総・寛永期の大日石仏」に詳しい研究成果などが載っています。
105E-2大井農村センターの大日様
県道202号線でつくば市茎崎・大井農村集落センターを目指します。道路側に消防団第4分団の消防庫があるので、その裏手に回ってみます。
裏の叢林に石龕があって、中に寛永七年(1630)の鼻の大きな大日如来浮き彫りが祀られています。元はセンターのあったところに大きな塚があり、センター建築に際し石仏が移されてきたようです。
石龕のある塚の奥には元文五年(1740)痩せ気味小柄な青面金剛塔が祀られています。
105E-3菅間集荷所の大日様
県道143号線の高崎十字路は前回No104E-5高崎の八坂神社で紹介したところです。高崎十字路から直線距離で2Km北方に菅間集落があります。集落の中、黄色建物の菅間ふれあいセンター・菅間集荷所のあるところの一画に大日様が祀られています。
集荷所の脇の潅木・茂みの中は元大日塚だったのでしょう。雑木の根元に寛永八天(1631)鼻の大きな大日様(胎蔵界大日如来)が祀られていました。
竹筒を振り分けに掛けておられます。この地での祀り方でしょうか?こちらの敷地奥が日枝・熊野合祀社となっています。質素な社の裏にいくつかの石仏もおられます。寛政十年(1798)百観音巡礼塔、萬延元年(1860)文字庚申塔、アルミサッシで作った鳥居の奥に道祖神、明治9年愛宕大神碑などが散在していました。
105E-4稲荷原の本門戒壇院
県道143号線沿いにある日本農業研究所実験農場の辺りが稲荷原です。集落の奥、道路が川に突き当たるところに本門戒壇院があります。向かいの茂呂様が東京柴又からこの地に移祀されたとガイドブックに載っています。
意外なところに石仏ワールドがありました。昭和6年~昭和10年ごろに造立された仏様たちです。
日蓮上人を祀る中央基壇の周りを八大龍王が守護しています。Wikipediaからしっかり勉強しておきましょう。
正面右から時計回りで 1難陀龍王(眼病)  2跋難陀龍王(火難) 3婆迦羅龍王(水難) 4和修吉龍王(劔難) 5徳叉迦龍王(雨乞) 6阿那婆達多龍王(財盗除) 7摩那斯龍王(風害除) 8優鉢羅龍王(八方方災除) の順に並んでいます。各々の龍王の守護分野があって面白いものです。左の魚籃観音は法華経の守護神として祀られています。それでは石仏ワールドのフィナーレで一挙掲載して茨城南西部の石仏の締めくくりといたしましょう。
銀輪大王(?)
金輪大王(?)
2跋難陀龍王
1難陀龍王
4和修吉龍王
3婆迦羅龍王
5徳叉迦龍王
6阿那婆達多龍王

7摩那斯龍王

8優鉢羅龍王
阿弥陀如来
大日様?日蓮上人像脇













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