2011/05/25

108 北総石仏 我孫子の石仏 根戸・台田

この地区は柏市と境を接し、市制施行時に境界が再三変更された経緯があるそうです。国道6号線水戸街道の北に位置しています。文政七年根戸村明細帳には、東陽寺と市内唯一の日蓮宗妙蓮寺の二ケ寺が記載されています。
108-1 東陽寺墓地の石仏
東陽寺は真言宗豊山派のお寺で開基開山不詳ですが、宝篋印塔や写本から17世紀には相応の寺院であったとか。当寺は妙見社(後出の北星神社)・牛頭天王(八坂神社)、白山大権現などの別当であったと文政七年根戸村明細帳に記されているそうです。

さて、石仏は東陽寺と道を隔てた墓地の入口通路沿いに祀られています。合計11基並んでいますが右端が墓搭なので都合10基の石仏です。奥のほうにも丸彫地蔵が見えています。
左から2基は延宝八年(1680)・延宝三年(1675)の十九夜念仏如意輪搭です。次の3基は庚申塔が並んでいます。安永八年(1779)青面金剛尊搭、元禄二年(1689)三猿庚申供養搭、延宝七年(1679)笠付三猿庚申供養搭です。正面の大きな百観音巡拝搭は大正8年の造立です。その両脇が大正十一年・昭和26年馬頭観世音搭でさらに寛政十二年(1800)馬頭観音・万延元年(1860)普門品搭となっています。
延宝八年十九夜塔は返手如意輪観音

奥に見えるのは錫丈を無くした享保元年(1716)地蔵趺座像です。庚申講・地蔵講・念仏講の寄進で建立されました。下の写真をご覧ください。
六地蔵・大師搭や墓搭が並びます
墓地に進むと無縁塚に石仏が合祀されています。寛文十年(1670)阿弥陀如来搭と塚頂に宝暦六年(1756)地蔵種子搭が載っています。
寛文十年(1670)阿弥陀如来搭
右正面は地蔵種子カの下に梵字真言
108-2東陽寺前白山さま
東陽寺の墓地に隣接する雑木林が白山社があった所。道路からの石段がなければ、それと気づきません。朽ちた社の周りに石仏が散在しています。
手水石・湯殿山大日如来・愛宕山大権現・三猿庚申塔
見かけない石仏や珍しいものがあるので紹介しておきましょう。下の写真は木造の葬頭河婆像です。白山さまにあった堂宇の壁に祀ってあったようですが、今はこの有様です。一般に脱衣婆(だつえば)ともいわれ、閻魔大王の妻とも俗説されるお方ですが、見る影もなく哀れ。
葬頭河(そうずか)で亡者の衣服を剥ぎ取る姥
宝暦五年(1755)金剛界大日・湯殿山三度登山(供養)碑とは珍しい文言です。
安永二年(1773)愛宕山大権現は地蔵像を刻んでいて珍しいものです。
地面に横たわっているのは文政六年(1823)聖徳太子孝養像・文化十年(1813)馬頭観音・ 明治10年黒駒稲荷大明神です。黒駒?稲荷?
108-3 妙蓮寺
白山さまから100m東進すれば我孫子市内唯一の日蓮宗寺院・妙蓮寺です。

参道左に熱心な日蓮宗徒・加藤清正を祀った文政七年頃の創建・清正公堂があります。又、入口塀際に「妙法 馬頭観世音」「妙法 弁財天」「三十番神宮稲荷大明神」の石碑・石祠があって日蓮宗の主張が顕著です。
左:三十番神稲荷大明神 右:馬頭観音・弁財天石塔
このお寺には京の名工=仁阿弥道八作の陶製仁王像・三十番神像などもあって南北朝期建武年間創立といわれる由緒が偲ばれます。
108-4 北星神社
国道6号をはさんで妙蓮寺の南西200mのところに北星神社があります。相馬根戸城主が妙見菩薩を勧請したことに始まりますが、明治の神仏分離令で天御中主命を祀って北星神社に改称しました。昭和58年の鉄筋コンクリートの社殿に、天保四年刻銘の石積基壇に立つ旧来の木造社殿を収めているそうです。
国道6号に面した歩道に、 いずれも自然石型の安政四年(1857)庚申塚と嘉永四年(1851)庚申塔がで立っています。写真のお堂内石祠は不明です。
 境内に入ると亀趺が4基も置かれています。天保十三年(1842)一対と昭和59年改築時の一対です。
天保十三年の亀趺
本殿左の際に長屋式で10基の石祠石神が祀られています。
左から香取・八坂・・と続き右端は不在
 左から明治41年香取神社・明治37年八坂神社・嘉永六年「魔王第陸天」・文政四年吾妻大明神・明治41年天神社・三峰神社・明治37年金比羅神社・明治23年不動明王・明治41年稲荷神社・文政十三年待道大権現となっています。
魔王第六天搭

天神は石像を存置

明治23年搭・矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)付
本殿の右側は十九夜塔・二十三夜搭・山神宮・庚申塔・馬頭観音・疱瘡神・筑波山雨宮供養搭・伊勢講碑などがずらっと並んでいます。
文化・文政期以降の比較的新しいものばかりですが、物量で圧倒されてしまいますね。


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