114-1少林寺の石仏
永禄元年(1558)に創建されたと伝えられる、臨済宗大徳寺派のお寺です。門前右に謂れを記した立派な石碑が立てられています。それによると、増尾の領主であった相馬重胤の首級が増尾に葬られ、その墓碑である一石五輪塔がこちらに祀られています。北原白秋の2番目の妻、江口章子の歌碑もあるとか。
相馬重胤公の墓碑・一石五輪塔 |
山門を入った右に広がる墓地の手前には地蔵塔が3基立っています。
左から宝永六年(1709)・紀年不明・文化十四年(1817)の延命地蔵です。時代が違うとデザインも違うので面白いですね。
114-2土中学校裏門の石仏
増尾1丁目23-1に柏市立中学校があります。この裏門へあがる坂道手前のコンクリート囲いの中に台石に三猿がついた明和三年(1766)帝釈天塔と赤いケープを掛けた地蔵塔が祀られています。
日蓮系の庚申塔は帝釈天王を主尊にしていましたね。増尾地区ではこれから廻る妙蓮寺が唯一の日蓮宗なので、その主導で祀られたのでしょう。ずっと子供の往き帰りの安全を見つめ続けてくれたのでしょう。
114-3妙蓮寺の吒枳尼天(だきにてん)
増尾駅入り口信号近くに、中山法華経寺の末寺である慶長山妙蓮寺があります。慶長七年(1602)創立といわれます。ガイドに角柱型鬼子母神供養塔があるとのことですが不明。
お寺に聞いてみましたが「よく聞かれるのですが分かりません」とのことでした。
荼吉尼天とも書かれます |
このそばには懐かしい文化十二年(1815)馬頭観音が祀られていますが、頭に馬印をのせたこの素朴形が私は大好きですねえ。
114-4土農協先の土村役場道標
土農協前に2基の青面金剛塔があるとのガイド表示ですが、さっぱり見つかりません。代わりといっては何ですが、大きな道標が倒れているのを見つけました。
傍らに紀年不明の山神碑もひっそりとたたずんでいます。柏・名戸ヶ谷方面との表示あるところを見ると、かってはこの雑木林右道が旧道として交通の要衝だったようですが、東武野田線の踏切廃止で廃道化したように思えます。意外なところに立派な石造物が歴史を静かに語っていたようです。
より大きな地図で 114北総石仏 柏の石仏 増尾Ⅱ を表示
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