115-1.名戸ヶ谷・香取神社の百庚申
赤い木製の両部鳥居が目に付きます。参道の正面の真新しい拝殿も気になりますね。
拝殿は平成22年3月竣工で木の香が匂うようです。神社の謂れは不明ですが、改築記念碑があるので見ておきましょう。
参道を進んだ境内を見ると、左右・周りは石仏のパレードになっていますね。これが百庚申です。
参道左側 |
参道右側 |
右側は安政二年(1855)から元治元年(1864)と幕末に建立されたようです。こちらも飛び飛びに文字塔と像塔が混じっていますが、文字塔は「青面金剛」と「庚申塔」が混じっています。そして嬉しいことに紀年不明ですがなんと猿田彦像塔まで祀られています。ちょっと嬉しい発見です。以下気になるものを載せておきましょう。みんな特徴があって面白いですね。
元治元年塔・三猿も面白い |
神道系の庚申塔=猿田彦大神 |
安政六年・合掌形と台石の庚申文字が面白い |
安政二年・ショケラ姿と頭部が面白い |
百庚申左列の奥には正徳五年(1715)十九夜念仏如意輪観音塔も並んでいます。ちょっと珍しいものを見つけました。享保九年(1724)の庚申燈篭です。
左竿部に「奉造立庚申講供養」 |
115-2法林寺
「土村誌」に慶安三年(1650)法印海珠が開いたという伝承のあるお寺です。
右の大銀杏は市指定文化財で市内最大と掲示板に載っています。そして脇にある四脚門は「苦抜門」と呼ばれる昔の代官所門ですが、仏道に通じるところからこれを譲り受けたと説明板がありました。
さて、石仏ですが本堂前を左に進めば7対の石仏と六地蔵が並んでいます。
左から延宝元年(1673)如意輪観音の庚申塔(台石に三猿付)・元禄十二年(1699)延命地蔵・正徳元年(1711)延命地蔵・元禄七年(1694)如意輪観音・寛政十二年(1800)如意輪観音十九夜塔・寛政十年(1798)金剛界大日如来・寛文十一年(1671)の墓碑となっています。六地蔵は寛保三年(1743)の造立です。いずれも江戸中期の村の発展に応じて造立されてきたのでしょう。気になる背物を載せておきましょう。
台石に三猿があるので如意輪観音庚申塔かな |
元禄十二年の延命地蔵、彫りがいいですね |
少し傷んでいますが十九夜講中と読めます |
左手の人差指を右手掌で握る智拳印の大日如来 |
115-3 浄光寺観音堂前の石仏
法林寺の西側に隣接した墓地の一角に、浄光寺観音堂跡(下総観音霊場第二十六番札所)の石標が建っています。
お堂の前に6基の石仏が置かれています。延宝四年(1676)六手青面金剛塔は二鶏三猿ですがサウスポーが面白いですね。ショケラを右手で持っています。石工が左利きだったのでしょうか?
右手にショケラ持は初見です |
県道51号に出て200mほど北上し、村中の住宅地へ分け入ります。
115-4池田庵(共同墓地)
Googleマップで池田庵(名戸ヶ谷818)と表示があるところが、高台にある共同墓地です。
写真左の大師堂の隣に、新しい聖観音と阿弥陀如来像(年不詳)が見えています。その裏側に旧の六地蔵が祀られていますが、年号は読み取れません。他に平成元年の新しい六地蔵も祀られています。
何体かの石仏は池田庵に入る道の傍に見えていますが、墓碑交じりなので見難いですね。
左端と右から2基目が石仏で後は墓碑 |
115-5名戸ヶ谷小学校近傍の勢至菩薩(名戸ヶ谷759)
名戸ヶ谷小学校南角の交差点近くの住宅脇に祀られています。小さな小屋がけのような所に文化六年(1809)二十三夜勢至菩薩塔です。割としっかり作られていて今も整ったお顔のままです。この場所から子供たちを見守り続けた功徳でしょうか。
ふくよかなお顔の勢至菩薩様 |
文末のGoogle Mapで位置表示をしておりますが、近辺が道路拡張で整備されており移設されたかもしれません。Google Earthのストリートビューでは見つかりませんでした。
115-6名戸ヶ谷 503の庚申塔
名戸ヶ谷小学校前の道路を50m北上し、右に曲がる角の道路わきに2基の庚申塔です。
左が寛延元年(1748)「奉納庚申青面金剛」塔、右が宝永六年(1709)「奉納庚申供養」塔2鶏3猿付きです。右の庚申塔は頭部にアーンク(胎蔵界大日)を刻み三猿板駒型で割りと古めの物ですね。
より大きな地図で 115北総石仏 柏の石仏 名戸ヶ谷 を表示
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