125-1 東下ノ台共有墓地入口
墓地へあがる石段の手前法面に 8基の石仏がひっそりと佇んでいます。
左から昭和26年・昭和8年の文字馬頭観世音塔、3基目の背の高いのは昭和26年軍馬観世音塔 と刻まれています。次は昭和2年の文字馬頭観世音塔です。中央の欠損碑は寛政十一年(1799)馬頭観世音の像塔です。惜しい。
![]() |
馬頭観音像と思われる寛政十一年塔 |
石段を上がった共有墓地には 年不明六地蔵さんと昭和5年自然石型・種子カ「六地蔵の碑」が祀られていました。
![]() |
年不明(昭和5年?)座像の交じった六地蔵 |
第五中学校前を西進800mで熊野神社へ北上するT字路となります。曲がり角の目印は、明治19年石灯籠などの石造物が祀られている一画があるところです。
崩れかけた石祠は資料から、待道大権現石祠と思われます。他に小さな寛政四年(1792)道祖神石祠が祀られています。北上した正面に鬱蒼とした森が、熊野神社です。
熊野神社は当地の旧家山崎家の氏神で、平惟盛の末裔が高田原に住まい山崎姓を名乗って天正九年(1581)に熊野大権現を鎮守として祀った創建を伝えているそうです。(柏市史中世史編)
赤い手すりの石段左に、大正12年の自然石型文字馬頭観世音碑が祀られています。石段を上がると薄暗い森に覆われた境内中央に 、コンクリート製の立派な社殿が建っています。
境内の合祀記念碑が、北野・香取・日枝・六所・熊野の五社が明治に合祀された旨を伝えています。社殿の右側で合祀された神々が勢ぞろいです。
![]() | |
右から北野・香取・日枝・六所・月御前・不明石祠・菩薩?7基です |
尚 、境内左にも大杉神社のお堂もありました。
125-3 聖徳寺の石造動物園?
熊野神社から灯篭のある曲がり角まで戻り西進します。約300mで正徳寺の表示がある参道入口です。緩やかに上れば真言宗豊山派の聖徳寺の山門です。正面にはコンクリート造陸屋根の現代的な本堂があります。
本堂の屋根には宗紋の大きな輪違(わちがい)を掲げています。凡聖不二(ぼんしょうふに)の意で「仏様(悟っている者)も衆生(迷っている者)も本性において同一」という事を表しているんだそうです。
本堂前の石造物もにぎやかです。現代石造物にどんなものがあるか載せておきましょう。
![]() |
左の聖観音銅像の台座地面に居るのは河童 |
写真左へ行くと更にパワーアップします。
![]() |
写真上部中央奥に小さく見える丸彫聖観音は文化八年十九夜塔 |
というわけで、リストアップした庚申塔は大切にされていると思ったのですが。見栄えのよい石仏でないという訳でしょうか、残念ながら冷遇されていましたね。
上の写真の左が墓地への入口です。門柱の植え込み代わりに密植されておりました。残念。
![]() |
左奥は享保元年・右奥は年不明の青面金剛塔 |
![]() |
享保元年塔の手前は嘉永三年・六年の小さな青面金剛塔です |
![]() |
後列の左端から寛政九年・安政五年・弘化三年・天保十五年青面金剛塔 |
![]() |
寛文八年十九夜聖観音塔 |
![]() |
文化八年聖観音十九夜塔 |
賽の河原をWikipediaでお勉強しておきましょう。
125-4 小松翁稲荷
地図で見つけた気になるスポットです。分かりにくい場所に赤い鳥居が並んでいます。玉垣の上に小さなお堂のようにひっそりとたたずんでいました。名前からするとプライベート神社であるようです。
お社の左に文久元年(1861)翁三稲荷頓苑霊神石なるものが祀られています。
碑石左脇に「高田原のきつねをば、取るべからず。若し討ち取るものは難儀をいたす。以後、万民必ずとるべからず」旨を漢文表記してあるそうです。(柏市史金文Ⅰ)勉強不足で読めなかったですね。
125-5 うなぎ道と高田の水切り場江戸時代、活きたうなぎが運ばれた街道を載せておきましょう。馬に積み替える水切り場がこのあたりに あったということですね。解説板をご覧ください。
大きな地図で見る
より大きな地図で 125 北総石仏 柏の石仏 高田 を表示
0 件のコメント:
コメントを投稿