2011/08/30

116北総石仏 柏の石仏 名戸ヶ谷Ⅱ・戸張

先日、ラジオで名のある医者が心の健康を保つには、「責めず・比べず・想いださず」と喝破していました。Going My Wayと通じていてほぼ同義と、勝手に解釈してみました。「石仏の道」も相通ずるものがあるようです。
柏市名戸ヶ谷地区の続きから掲載します。
116-1 第八小学校脇の庚申塔
住居表示は柏市永楽台2丁目8番となります。柏第八小学校の南東隅の角地に、庚申塔などがブロック塀に守られて立っています。六基のうち右から4基が庚申塔で、剥離した石塔と白幡明神石祠が並んでいます。

右から文政四年(1821)ショケラ持六臂青面金剛塔、宝暦十二年(1762)文字青面金剛塔、宝暦八年(1756)ショケラ持六臂青面金剛塔(アーモンド型)、寛政十一年(1799)文字青面金剛塔の4基が並んでいます。右端は嘉永六年(1853)白幡大明神石祠ですが隣は剥利した不明石塔です。
テキスト「柏の金石文Ⅰ」によれば文政十一年(1828)「奉修二十三夜供養」と刻まれた写真を載せていますが今では見るかげもありません。
文政四年青面金剛塔
宝暦八年塔はアーモンドヘッド型青面金剛です
 116-2 南増尾の百庚申
前回115-1で名戸ヶ谷・香取神社の百庚申を掲載しましたが、続いて旧市内6箇所あるうちのひとつである南増尾(旧字は増尾新田)にある百庚申です。
県道51号線の道路沿いにある大衆割烹「岩亀」の敷地沿いに並んでいます。うっかりすると見過ごしてしまいそうです。
写真左端の天保七年(1836)ショケラ持青面金剛塔から並んでいますが、ほとんどが文字青面金剛塔です。先頭の庚申塔には「百躰庚申大願成就」と左側面に刻まれています。
天保七年・天保十二年(1841)が混じっていますが、昭和十二年に21基を部落一同協議して再建したとの銘文のある青面金剛塔も建っています。
このあたりは「庚申塚」という小字名を持つそうですね。解説版をご覧ください。

116-3 戸張の香取神社
国道16号の戸張入り口交差点から北西に向かうと500mで長い参道の香取神社があります。神社明細帳に古老伝「寛永三年創設開闢」との記載があると市史に載っています。
写真左手前の覆い屋根のある長屋は十基余の庚申塔などが並んでいます。境内奥の左方にも同じような覆屋があり、そちらは合祀された弁天社や山神宮など諸神のお立ち台です。
手前の方から見ていきましょう。

左3基は剥離した不明石塔です。4基目から安永二年(1773)合掌青面金剛塔、文化五年(1808)文字青面金剛塔、文政三年(1863)笠付二十三夜塔、寛政十年(1798)馬頭観音塔(下半身は別石?)、年不明庚申塔、元禄八年(1695)合掌青面金剛塔、宝暦三年(1753)ショケラ持青面金剛塔(アーモンドヘッド)、安永九年(1780)湯殿山三山大権現塔、元禄十一年(1698)庚申供養三猿塔、不明石塔となっています。特に目新しいものはありませんが、少し写真を載せておきましょう。
宝暦三年アーモンドヘッド
元禄八年青面金剛
元禄八年
二十三夜塔は勢至菩薩です

 境内に入るとやはり同じような覆屋があります。こちらは八幡神社・山神塔・文化七年(1810)道祖神・菅原神社・大杉大明神・弁天社など諸神の集まりですが、あちこちの神様が寄り集まってきたのでしょうか?
12基の諸神がお立ち台に並んでいます
中央にある明治32年天神社は自然石型
他に参道右手に小さな観音堂があります。中に祀られているのは紀年不明で千手観世音菩薩と准胝観世音菩薩の二銘を持つ石仏がおられました。 聖観音の雰囲気なんですが。

116-4 正光寺の石仏
戸張1084と住居表示はありますが、村中の結構分かり辛いお寺です。近年整備されたのでしょうコンクリート平屋陸屋根の現代的なお寺です。こちらも真言宗豊山派のお寺です。市史をみると旧柏市域の寺院27院のうち17院が豊山派のお寺です。次に多い曹洞宗でも5寺しかありません。真言宗豊山派は幕府の庇護を受けたので、柏市のように幕府直轄地の多いところは自然とこうなったのでしょうか。ついでに豊山派のお勉強もしておきましょう。ちなみに筆者は高野山真言宗(古義真言宗)であります。
 
左の建物が本堂ですね
写真のとおり境内は整地のままですがこういうキリスト教的雰囲気(と自分で感じるのですが・・)もあっていいなと感じます。
さて、石仏ですが 上の写真の石碑などを正面から見ると下の写真のように並んでいます。
右から元禄四年(1691)延命地蔵、後ろに文政十一年(1828)百観音巡拝塔、延宝四年(1676)如意輪観音、中央は平成19年大師塔、昭和42年改修記念碑、安永六年(1777)大日供養塔、宝暦九年?石灯篭 、お堂内に文化八年(1811)子安塔がありました。
手前が元禄四年延命地蔵ですが荒れています
本堂を見下ろすような高台にある墓地に向かいます。明和四年(1767)六地蔵などを集めた石仏衆の一角があります。この中に(墓碑を除いて)市内最古である寛文四年(1664)阿弥陀如来が来迎印を結んでおられます。「各礼佛足對座一面」の碑文がありますがなんでしょうねえ?


より大きな地図で 116北総石仏 柏の石仏 名戸ヶ谷Ⅱ・戸張 を表示

2011/08/20

115北総石仏 柏の石仏 名戸ヶ谷


増尾の北が名戸ヶ谷になります。ニッカウヰスキー工場前の道路を北上します。県道51号線の手前で右に分かれると香取神社に出ます。
115-1.名戸ヶ谷・香取神社の百庚申
赤い木製の両部鳥居が目に付きます。参道の正面の真新しい拝殿も気になりますね。
拝殿は平成22年3月竣工で木の香が匂うようです。神社の謂れは不明ですが、改築記念碑があるので見ておきましょう。
参道を進んだ境内を見ると、左右・周りは石仏のパレードになっていますね。これが百庚申です。
参道左側
参道右側
正面左側の約50基は天保六年(1835)から弘化三年(1846)の紀年を持ち、文字青面金剛塔と青面金剛像塔が交じり合って並んでいます。・・・・不明な石塔もあって確定できません。
右側は安政二年(1855)から元治元年(1864)と幕末に建立されたようです。こちらも飛び飛びに文字塔と像塔が混じっていますが、文字塔は「青面金剛」と「庚申塔」が混じっています。そして嬉しいことに紀年不明ですがなんと猿田彦像塔まで祀られています。ちょっと嬉しい発見です。以下気になるものを載せておきましょう。みんな特徴があって面白いですね。
元治元年塔・三猿も面白い

神道系の庚申塔=猿田彦大神

安政六年・合掌形と台石の庚申文字が面白い

安政二年・ショケラ姿と頭部が面白い
 旧柏市域では当所を含め計6箇所の百庚申の存在が知られています。はたして全てが記録できるか宿題に残しておきましょう。
百庚申左列の奥には正徳五年(1715)十九夜念仏如意輪観音塔も並んでいます。ちょっと珍しいものを見つけました。享保九年(1724)の庚申燈篭です。

左竿部に「奉造立庚申講供養」
社殿左奥にも明治14年聖徳太子塔・天保八年(1837)二十三夜供養塔・文化五年(1808)太子講碑などがあり、当社は隠れた石仏ワールドですね。
115-2法林寺
「土村誌」に慶安三年(1650)法印海珠が開いたという伝承のあるお寺です。
右の大銀杏は市指定文化財で市内最大と掲示板に載っています。そして脇にある四脚門は「苦抜門」と呼ばれる昔の代官所門ですが、仏道に通じるところからこれを譲り受けたと説明板がありました。
さて、石仏ですが本堂前を左に進めば7対の石仏と六地蔵が並んでいます。
 
左から延宝元年(1673)如意輪観音の庚申塔(台石に三猿付)・元禄十二年(1699)延命地蔵・正徳元年(1711)延命地蔵・元禄七年(1694)如意輪観音・寛政十二年(1800)如意輪観音十九夜塔・寛政十年(1798)金剛界大日如来・寛文十一年(1671)の墓碑となっています。六地蔵は寛保三年(1743)の造立です。いずれも江戸中期の村の発展に応じて造立されてきたのでしょう。気になる背物を載せておきましょう。
台石に三猿があるので如意輪観音庚申塔かな

元禄十二年の延命地蔵、彫りがいいですね
少し傷んでいますが十九夜講中と読めます

左手の人差指を右手掌で握る智拳印の大日如来
 本堂の左脇にも立派な元文四年(1739)六十六部納経塔・文化二年(1805)出羽三山塔や天保十四年(1843)大日如来(頭部に陽刻)などいろんな石仏に出会えました。
115-3 浄光寺観音堂前の石仏
法林寺の西側に隣接した墓地の一角に、浄光寺観音堂跡(下総観音霊場第二十六番札所)の石標が建っています。
 
お堂の前に6基の石仏が置かれています。延宝四年(1676)六手青面金剛塔は二鶏三猿ですがサウスポーが面白いですね。ショケラを右手で持っています。石工が左利きだったのでしょうか?
右手にショケラ持は初見です
 他には 天和二年(1682)延命地蔵と寛政九年(1797)・文化五年(1808)・嘉永六年(1853)・慶応二年(1866)文字馬頭観世音が祀られていました。
県道51号に出て200mほど北上し、村中の住宅地へ分け入ります。
115-4池田庵(共同墓地)
Googleマップで池田庵(名戸ヶ谷818)と表示があるところが、高台にある共同墓地です。
写真左の大師堂の隣に、新しい聖観音と阿弥陀如来像(年不詳)が見えています。その裏側に旧の六地蔵が祀られていますが、年号は読み取れません。他に平成元年の新しい六地蔵も祀られています。
何体かの石仏は池田庵に入る道の傍に見えていますが、墓碑交じりなので見難いですね。
左端と右から2基目が石仏で後は墓碑
 上の写真、右から2基目は天明元年(1781)菩薩塔です。写真左端は寛政十二年(1800)宝性地蔵でいずれも講中で造立しています。
115-5名戸ヶ谷小学校近傍の勢至菩薩(名戸ヶ谷759)
名戸ヶ谷小学校南角の交差点近くの住宅脇に祀られています。小さな小屋がけのような所に文化六年(1809)二十三夜勢至菩薩塔です。割としっかり作られていて今も整ったお顔のままです。この場所から子供たちを見守り続けた功徳でしょうか。
ふくよかなお顔の勢至菩薩様

文末のGoogle Mapで位置表示をしておりますが、近辺が道路拡張で整備されており移設されたかもしれません。Google Earthのストリートビューでは見つかりませんでした。
115-6名戸ヶ谷 503の庚申塔
名戸ヶ谷小学校前の道路を50m北上し、右に曲がる角の道路わきに2基の庚申塔です。
左が寛延元年(1748)「奉納庚申青面金剛」塔、右が宝永六年(1709)「奉納庚申供養」塔2鶏3猿付きです。右の庚申塔は頭部にアーンク(胎蔵界大日)を刻み三猿板駒型で割りと古めの物ですね。

より大きな地図で 115北総石仏 柏の石仏 名戸ヶ谷 を表示

2011/08/12

114北総石仏 柏の石仏 増尾Ⅱ

暑さで気力が萎えていますが引き続いての増尾です。県道51号線にある土小学校を200m北上すると増尾山少林寺があります。
114-1少林寺の石仏
永禄元年(1558)に創建されたと伝えられる、臨済宗大徳寺派のお寺です。門前右に謂れを記した立派な石碑が立てられています。それによると、増尾の領主であった相馬重胤の首級が増尾に葬られ、その墓碑である一石五輪塔がこちらに祀られています。北原白秋の2番目の妻、江口章子の歌碑もあるとか。
相馬重胤公の墓碑・一石五輪塔
山門右に上掲石碑と並んで、正徳元年(1711)の庚申塔が立っています。
山門を入った右に広がる墓地の手前には地蔵塔が3基立っています。
左から宝永六年(1709)・紀年不明・文化十四年(1817)の延命地蔵です。時代が違うとデザインも違うので面白いですね。
114-2土中学校裏門の石仏
増尾1丁目23-1に柏市立中学校があります。この裏門へあがる坂道手前のコンクリート囲いの中に台石に三猿がついた明和三年(1766)帝釈天塔と赤いケープを掛けた地蔵塔が祀られています。
日蓮系の庚申塔は帝釈天王を主尊にしていましたね。増尾地区ではこれから廻る妙蓮寺が唯一の日蓮宗なので、その主導で祀られたのでしょう。ずっと子供の往き帰りの安全を見つめ続けてくれたのでしょう。
114-3妙蓮寺の吒枳尼天(だきにてん)
増尾駅入り口信号近くに、中山法華経寺の末寺である慶長山妙蓮寺があります。慶長七年(1602)創立といわれます。ガイドに角柱型鬼子母神供養塔があるとのことですが不明。
お寺に聞いてみましたが「よく聞かれるのですが分かりません」とのことでした。
荼吉尼天とも書かれます
 その代わりといっては何ですが、大木の下にある無縁墓地の一角に珍しい石仏が置かれていました。日輪月輪を頂き左右に瓔珞を記した吒枳尼天(だきにてん)石碑です。紀年不明ですが比較的新しく明治以降でしょうか?Wikipediaでお勉強しておきましょう。白狐に乗る天女姿で現されていますが初見ですね。インドのダキーニーがジャッカルに乗っているので、日本版は狐で代用し稲荷と習合していったとの解説に納得。只、下部の梵字三尊らしきものがよく分かりません。
このそばには懐かしい文化十二年(1815)馬頭観音が祀られていますが、頭に馬印をのせたこの素朴形が私は大好きですねえ。

114-4土農協先の土村役場道標
土農協前に2基の青面金剛塔があるとのガイド表示ですが、さっぱり見つかりません。代わりといっては何ですが、大きな道標が倒れているのを見つけました。
傍らに紀年不明の山神碑もひっそりとたたずんでいます。柏・名戸ヶ谷方面との表示あるところを見ると、かってはこの雑木林右道が旧道として交通の要衝だったようですが、東武野田線の踏切廃止で廃道化したように思えます。意外なところに立派な石造物が歴史を静かに語っていたようです。


より大きな地図で 114北総石仏 柏の石仏 増尾Ⅱ を表示