2012/06/24

136 北総石仏 柏の石仏 船戸Ⅱ

船戸地区の残りをすこし拾っておきましょう。
136-1 船戸の金刀比羅宮
前回の薬師堂本坊から西へ300mで金刀比羅宮です。 潅木に囲まれた感じで寂れた雰囲気ですが、鳥居と灯篭は平成12年の建立です。

発祥などは解説がありませんが、舟運水運の神様なので利根川近在の縁があるのでしょう。狭義の石仏はありません。明治36年の大山阿夫利神社参拝碑と不明石祠が残っていました。
この神社の道路を隔てた向かいの三叉路敷地に、文政四年(1821)大黒天(甲子)塔がぽつんと佇んでいます。独身で寂しそうでした。

136-2 医王寺入口の庚申塔
金刀比羅宮からの道路が県道7号線に出る手前に、コンクリート基壇上に大きな庚申塔と十九夜塔が祀られています。県道7号線には「医王寺入口」の看板があるので、そのタイトルで表示しておきましょう。
天保七年(1836)文字庚申塔です。脇にあるのは寛政十二年(1800)十九夜念仏塔です。如意輪観音の浮き彫りを頭部に頂いています。両石塔とも往時は往来目印になった石塔達だろうと思うのです。
136-3 船戸2036前の庚申塔
医王寺の西方300mの県道7号沿いのところに庚申塔と富士登山記念碑が建っています。大きな木の下で分かり辛いのですが、ちょっと面白い庚申塔です。
左:昭和9年富士登山碑、右:天保六年 文字庚申塔
 正面台石に船戸堂面という小字の記載があります。右に「下 布施・成田みち」、左に「下 三ツ堀中里道」と浅く彫られて道標を兼ねています。文字庚申塔碑の右側面は天保六年(1835)の記載です。左側面は「御鹿狩之節此處江常州河内郡村々人足一千除人詰処?也」と記載があるようです。(柏の金石文Ⅰ)裏面に「明治二十一年改正作借地引移也」との記載もあるので、引越時に新調されたのでしょうか。
此の地は江戸時代に小金五牧のうちの高田台牧があったところです。 五牧の地図はこちらをご覧ください。幕府直轄の野馬牧場ですが、将軍の鹿狩りも4回実施されています。鹿狩りでは近在の村々から追勢子人足が徴用され、二三日かけて鹿を中野牧の将軍の御立場のある狩場へ追い込んでいきました。常州(茨城県)河内町(利根川左岸の集落)から人足が此の地まで駆り出されてきたというわけです。ものの本によると鹿狩り行事は必ずしも苦役というばかりでなく、農民のレクリエーションも兼ており、物売りや茶店などそれなりのイベントとして賑わっていたと書かれています。此の庚申塔はそんな時代を語っているのでしょう。但し、将軍の鹿狩り第三回は寛政七年(1795)で第四回は嘉永二年(1849)となっていて、此の碑の天保六年(1835)との整合性が気になるところです。尚、古本屋で松浦静山甲子夜話に鹿狩りの記録を見かけ、思わず買ってしまいました。

136-4 船戸山高野(やまごうや)の山神宮
柏市立高等学校の南に、朱塗りで木造四脚鳥居がある山神宮があります。ひなびた雰囲気の境内壁際に、石祠が並びます。
お社右の壁際に石祠が並びます
お社右側面に石祠が並びます。
右端は大正15年浅間神社碑です
上の写真は見辛いですが、左から明治29年雷神社・安永五年大杦大明神・寛政十年稲荷大明神・文化三年疱瘡神・嘉永六年二十三夜月讀尊・宝暦四年水神宮となっています。なんか寄せ集めの感じがしますが、往時は如何だったのでしょうか?
136-5 市立柏高校前の庚申塔(船戸山高野57-6前)
高校の西方の角地生垣に庚申塔が6基祀られています。
生垣に沿った歩道沿いに庚申塔が並びます
上の写真、左から文政二年文字青面金剛塔・享保二年六臂合掌青面金剛塔・延享三年六臂ショケラ持青面金剛・寛政二年文字青面金剛塔・文化七年文字青面金剛塔・天保七年水天宮が並びます。遊歩道に取り込んでゆったりと並べられていますが、惜しむらくは人通りが全く無いのが残念です。状態のいい、庚申塔を載せておきます。
延享三年正面金剛塔
文化七年・文字青面金剛塔の台石三猿も三猿三様の向きで佇んでいます。
136-6 船戸山高野の薬師堂
市立柏高校と北部市民プールの間に薬師堂があります。墓地を整備し集会場とプレハブのお堂が建っています。運河大師の札所にもなっているのか、道路沿いにお堂が並びます。
右端プレハブの薬師堂前には寛延三年(1750)西国移観音三十三箇所碑あり
プレハブの中に厨子が納められ、ガラス越しに参拝できる仕組みです。
プレハブ内に祀られるのは薬師如来?とお大師様

集会所入口道路角に石仏が集積されています。

前列左は明和九年(1772)六地蔵
左半分の石仏を見てみましょう。

手前左は明和九年(1772)六地蔵、後ろの文字庚申塔は天保十一年です。後列中央よりの像塔は寛保三年(1743)ショケラ持青面金剛塔です。前列丸彫り坐像は貞享二年(1685)釈迦如来像で善定印を結んでいます。
台石に如来念佛と刻印、市内最古の釈迦如来像
像容は荒れていますが市内最古の如来石仏です。後ろは寛政四年(1792)「庚申青面金剛」の文字塔です。右に眼を移せば像塔が5基。前列右端は天保十四年(1843)正観世音塔、続く2基は崩れ方が激しく像容不明です。

後列左は元禄七年(1694)十九夜如意輪塔、元禄十四年(1701)延命地蔵、宝永四年(1707)十九夜如意輪観音塔となっています。

左に回りこんだ道路沿いは、成田月参講参拝碑と紀年不明の不動明王像塔が並びます。
不動明王は足下に二童子
環境が整備されたせいか、石仏はいかにも寄せ集められたという感じがしてちょっと残念。
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