2023/02/24

1.とりあえず走って見ます北総の石仏 小林Ⅰ

私は房総石造文化財研究会という由緒正しい会の会員になりました。好奇心は旺盛ですが研究心はホンの少々の私が出来る学習は見て歩く(走る?)ことくらいです。11月の秋空に北総台地にある印西市小林地区の石仏をめぐってきました。お手本は印西の教育委員会平成四年刊の「石との語らい」と昭和56年刊石造物小林地区調査報告書です。 1.彦地山御嶽神社

地図では彦地山と載っています。竹林を横目にあぜ道を進むとこのような石祠が祭ってあります。 この神社の謂れは次のように書かれています。ほかにも東海神とか雷神宮とか聞きなれない碑があります。 東海神と書いてあります。 こちらは雷神宮です。どこにあるのかなあ。 2.東大寺の石仏 天台宗東大寺です。道場前踏切から約400mの坂道右手にあります。門柱に載っているのは仁王像です。かわいい? 門前右手に5碑があります。 5碑の左は弘化五年(1848年)の子安観音。次が明治四年(1871年)の子安観音です。 真ん中は明和十一年(1774年)の日本廻國塔です。(下の写真) その右が昭和10年(1935年)の三界萬霊塔です。 門前左手奥に四体の碑があります。 左から馬頭観音、庚申塔、二十三夜塔、青面金剛塔です。 この庚申塔は安政三年(1856年)です。 右端は寛政十二年(1800年)青面金剛です。下に西竹袋村と入っています。 立派な二十三夜塔です。 3.馬場集会所十九夜塔 小林駅から行くと小林鳥見神社の手前を左に入っていくと馬場集会所や墓地が右手に見えてきます。荒地の印象ですが十九夜塔が無造作に散らばっています。思わず「大変だよねえ」と語りかけたくなります。

雑木林の下に十九夜塔等が七基置かれていました。左から寛延四年(1751年)、その右は享保七年((1722年)の二十三夜塔です。その右は天明四年(1784年)の十九夜塔のようです。 次は左から文化六年(1809年)、元文四年(1739年)、元禄十三年(1701年)の十九夜塔です。この図見ていると観音様方が「こんなことでいいのかなあ」と落ち込んでいるように見えてしまうのは信心の足りない私だけでしょうか? 尚、右端は明和四年(1767年)の地蔵菩薩がほんの少し傾いてたたずんでおられます。 それと向かいあうように享和(1801年)の六地蔵がおられます。不安定なたたずまいに思わず「ご苦労様です」。テキストによると十九夜講中が像立のようです。 道路沿いの木を掻き分けると弘化三年(1846年)の読誦塔が出てきました。 石仏と言うより石造文化財の見学と言う滑りだしです。それにしても300年もこの地方・日本の移り変わりをごらんになっておられる石仏を見ると人の世の儚さを感じてしまいます。

とりあえず地図を添付しておきます。▲印が3か所見えるまでマウスのホイールで倍率を下げてください。幅不足は研究課題です。

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