地番は高柳1396-1と表示されるようですが、みなみ高柳幼稚園前の道を西進した三叉路の中洲に庚申 塔が祀られています。
高柳地区高友会の赤い幟が目印になりますね。こちらには4基の青面金剛塔と傍らに道祖神が祀られています。
右から元禄十年(1697)・
宝永四年(1707)・
享保七年(1722)・
昭和61年の現代版庚申塔です。右端の元禄塔は横田甲一氏が東葛飾地方の「二手青面金剛塔」を発表されたリスト中の把手型・元禄十年・沼南町高柳三叉路と表示された1基です。頭巾姿の特徴ある石仏です。庚申塔の後ろは碑文を明示する標札が立っていてご先祖様の名前を確認し易くなっていて地元に根付いた信仰(民俗)を感じさせます。傍らの宝暦六年(1756)道祖神は「道路神」と刻まれていて変わっています。74-2第一分団貯水槽脇の勢至菩薩
この三角州の向かい道路際が貯水槽です。覆い屋の中におられるのが元禄八年(1695)合掌の勢至菩薩立像です。
頭部に種子サクを頂「奉造立大勢至菩薩一宇所願成弁之収攸」と刻まれています。「観無量寿経」の説くところでは宝冠に宝瓶を刻み合掌姿、「金剛恐怖集会観自在菩薩明王経」では蓮華をとる二臂像が示され、「陀羅尼集経」では持物なしの二臂像であると日本石仏事典に載っています。写真の像は「観無量寿経」の儀軌に基づくものでしょうか。
寄り添った文化元年((1804)廿三夜供養塔は極小型のわらじ形彫り込みで質素なものです。74-3サイクルショップ・RAMBLE信号脇の庚申塔(高柳1422番地先)
三角洲の分岐を右に100m行くとサイクルショップ・RAMBLEのある信号交差点です。この角に紅い幟の立つ庚申塔が祀られています。グーグル・ストリートビューでも見れますよ。
こちらには左から元禄四年(1691)六臂ショケラ持三面青面金剛塔、元禄十年(1697)二手合掌青面金剛塔、宝永三年(1706)延命地蔵塔が並んでいます。![]() | ![]() |
74-4高柳区民会館の六部塔
信号を西へ150mで墓地に隣接した区民会館があります。
道路沿いの一角に大師堂といくつかの石仏が置かれています。こちらに有名な六十六部の行脚姿を彫り込んだ回国塔が祀られています。
「大乗妙典を六十六部書写し全国の霊場を回国して納経供養した記念の納経塔である云々」と日本石仏図典・回国塔P56に記載あるのがこちらの正徳四年(1714)六部塔です。笈を負う像塔は珍しいですよ。他にも丸彫り地蔵は寛政十二年(1800)・文化十三年(1816)馬頭観音像などが並んでいます。74-5原堂墓地そば交差点近くの大日塔(高柳1661)
位置表示が難しいのですが、先ほどの区民会館の交差点を過ぎた右側(A家の地番高柳1661)に立派な覆い屋があります。
4基の石仏が道路に向かって並んでいます。左から明治14年山神塔です。
文字の表示はありませんが、まさかりを持った山の神立像は初見です。隣は文政十一年(1828)山神宮です。1mを超す大きな像は延宝三年(1675)智拳印を結んだ金剛界大日像です。
調べて判ったのですが、頭部の種子はバーンクでなくて胎蔵界大日のアーンクを刻んでいます。石工の手違いがあったようです。右端は年不明の可愛らしい神明霊神碑です。神明=天照大神、豊受大神を主祭神とする社を意味します。うろ覚えですが、修験道で行者が入定すると霊神碑を建てるとかなにかそんな解説を読んだ気がします。より大きな地図で 74北総石仏 柏・旧沼南町の石仏(高柳Ⅱ) を表示
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