藤ケ谷の北西に藤ケ谷新田があり、中央部を右下から左上に国道16号線が横切っています。
72-1熊野神社の石仏
地区中央部国道16号の藤ケ谷新田交差点を西方へ200m進むと道路右側に享保年間(1716~36)に創建された熊野・天神両社が鎮座しています。平成2年のコンクリート明神鳥居の先の参道に石造物のオンパレードです。右側に10基の石仏です。右から正徳二年(1712)駒形文字庚申塔、上部欠失の明治2年文字千手観音塔、不明石祠2基、文化二年(1805)馬頭観音塔、元禄十二年(1699)十九夜念仏塔は結構古いもの、享和二年(1802)文字青面金剛塔、不明塔、明治22年山神宮、享和三年(1803)三社大権現塔となっています。続きは覆屋に年不明の子安観音塔(ちょっと暗いですね)、文化八年(1811)疱瘡神石祠等々が整列です。参道左手は石祠が3基・3基に並びます。左から文政四年(1821)足尾山塔・嘉永四年(1851)神明宮・荒神宮で残りの3基切妻唐破風石祠は不明祠です。
隣の広場も境界沿いに文政六年(1823)・大正2年出羽三山塔や光明真言塔が並んでいます。右端は大東亜戦争戦没者慰霊塔です。村落の鎮守・菩提寺にある大きな石塔は大概戦没者紀念碑になっていて戦争の及ぼした被害の酷さを物語っています。この写真左手のブロック塀に馬頭観音塔がありいずれも明治6基・昭和2基と新しいものです。72-2藤ケ谷新田49番地・庚申道標と成田道標
国道16号藤ケ谷新田交差点から北方400mでガーデン藤ケ谷ゴルフレンジのある三叉路です。この三叉路の分岐に小さな2基の石塔があります。左が文政四年(1821)庚申講の表示がある石塔で、左側面「わか志らが いづみ 道」右側面「なりた かね山 道」と「道」がくずし字で書かれています。右の石塔は上部に不動明王像を頂いた「成田月参講中」の成田道標です。右側面は「奈里多道」となっています。以前は別々の場所にあったようですが、道路整備でツーショットとなったみたいですね。
72-3みよしろ(宮後)大仏
庚申道標の三叉路を左にとって200m進んだ藤ケ谷CCの交差点南西角地の雑木林に座高60cmばかりの丸彫石仏が祀られています。露座で傷みが激しく相貌もしかとは判りませんが、印相から定印を結んだ阿弥陀像であるようです。「みよしろ=宮後」は藤ケ谷新田の俗称で寛政二年(1790)地元荒木氏が建立した故人の供養塔であるとガイドブック「沼南の歴史をあるく」の記載されています。暗い雑木林に紅い前掛けと帽子が寂しそうでした。
より大きな地図で 72北総石仏 柏・旧沼南町の石仏ⅩⅤ(藤ケ谷新田) を表示
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