2010/04/02

70北総石仏 柏・旧沼南町の石仏ⅩⅣ(藤ケ谷1)

藤ケ谷地区はNo.62金山地区の南に位置します。南部は海上自衛隊下総航空基地が大きく広がり、北部は国道16号が斜めに横切り地区を分断しています。近年変貌の著しい地区ですが特色ある石仏など期待できる回って面白い地区ですね。

70-1香取神社の板碑
国道16号の藤ケ谷交差点の表示がある北側に、香取神社の元拝殿跡に建てられた藤ケ谷公民館があります。その敷地に隣接するのが今やこじんまりとした鎮守香取神社です。主神経津主神(ふつぬしのかみ)の他に鹿嶋・諏訪・天神・大杉の神を合祀しているとガイド「沼南の歴史を歩く」に載っています。境内は石造文化財のオンパレードです。明治15年の石鳥居は南側国道16号と西側の2箇所にあります。国道16号すぐ傍に沿って出羽三山塔が大正6年・昭和18・27・36年、伊勢講碑昭和16年、富士登山記念碑大正13年が並んでいます。本殿脇の参道にも昭和49・53年出羽三山塔が建てられています。
此の参道の圧巻は庚申塔が10基以上集められていることや文化拾年猿田彦塔・萬延元年二十三夜塔・明治22年馬頭観音塔・明和二年疱瘡神・宝暦拾年弁財天・牛頭天王石祠・文化十年山神祠などなどが一覧できることでしょう。気がついた石造物を載せておきましょう。寛延三年(1750)の青面金剛塔はアーモンドヘッドのいつか見た像塔ですね。駒形寛文十三年(1673)三猿庚申塔は此の中で最古となるものです。
寛延三年青面金剛塔
寛延四年(1751)
寛延十三年・享保三年塔
嘉永七年・文政八年庚申
寛延四年青面金剛塔
文化四年文字青面金剛塔
明治27年(1894)二十三夜塔は正面に「二十三夜塔藤ケ谷講中向道」右側面「此方佐津間・松戸・東京道」、左側面「此方旧軽井澤・鎌ケ谷・船橋・千葉道」と立派な道標となっています。さて、香取神社の一番の見ものは板碑です。外部からも見ることが出来るように本殿脇で鉄柵に収納された武蔵型板碑3枚を見ることが出来ます。左から永禄四年(1561)弥陀来迎板碑、天文年間(1532~55)二十一仏板碑、年不詳十三仏板碑となっています。じっくりと見られるのが嬉しいですね。

70-2持法院の鯖大師
香取神社を出て約500m北上すると天台宗の登慶山如意輪寺持宝院があります。山門手前に急な石段がありその前の広場にいろいろな石仏が並んでいます。正面石段左に下の写真のように鋳造・石造の延命地蔵が並立し大正2年子安観音塔なども並んでいます。地蔵石仏は背中に「二世安楽祈所」と祈願文を背負って います。その左際は下写真のように手前から墓碑・寛政五年(1793)智拳印金剛界大日塔・自然石型明治38年薬師如来塔・無縫塔・大正12年坂東三社参拝 碑・明和九年((1772)二十三夜塔が並んでいます。素朴な味わいの像塔を載せておきましょう。
寛政五年大日塔
明和九年二十三夜塔
此の石仏に向かい合うように4基の石塔が並んでいます。左端の天保十一年(1840)回国塔は「回国行者百余人施宿供養」と刻まれていて珍しいですね。次が元治元年(1864)出羽三山・百観音供養塔、真新しい平成17年聖徳太子塔です。写真には載ってませんが右に大正六年光明真言塔となっています。
さて石段を上る前に右手のお堂を拝んでいきましょう。中には可愛い?大正二年鯖大師様が祀られています。眉もりりしい小さな巨人という感じでしょうか。参考に「房総の石仏百選」収載の鯖大師もご覧ください。謂れは 四国にある鯖大師本坊のHPをご覧頂くことにしましょう。
持法院大正2年
浦安善福寺昭和41年
では石段を上っていきますが、途中で踊り場がある石段です。「下の階段42段は男の厄歳・上の33段は女の厄歳を現しこれを上ると厄除けになるよ」とお参りに来た人が仰ってましたが、さて・・・・・。
石段中腹の両サイドに青面金剛塔が祀られています。
宝暦七年(1757)
宝永五年(1708)
石段を上りきると後に墓地を控えた観音堂が建っています。案内板で運慶の弟子登慶が遷座した如意輪観音が祀られていることが分かります。
観音堂前の六地蔵は元禄十七年(1704)の比較的古いものです。向かい合う小ぶりの金剛界大日塔は六十六部沙門とあるところから回国僧の碑でしょうか?気になる種子はテキストとちょっと違って、中尊はアク(大日如来)右はキリーク(阿弥陀如来)左はバク(釈迦如来)と読んでみました。テキストでは左をボロン(一字金論)と読んでいますが、無理なように思います。
観音堂の左から降りて聞くと持宝院本堂です。境内には大師塔や現代の不動明王などもありますが石仏は見当たりませんでした。

70-3藤ケ谷の富士塚
持宝院から西に高台の下を回りこむように200m進みます。舗装された農道に合流する所にある民家手前の狭い坂道を上ります。台地に登りつく前の右手落ち葉の踏み跡をたどると其処に富士塚の標柱があります。
落葉の踏み跡程の入口
上方に庚申塔と富士塚
文政拾年(1827)
文政拾年(1827)
上の写真の烏帽子岩は富士山七合5勺目にある岩で富士信仰中心人物身禄行者の入定の地だそうです。他にも明和四年(1767)六臂合掌青面金剛塔・文政六年(1823)金神・金比羅大権現塔・大天狗・小天狗塔も点在しています。往時は立派な富士塚で信仰が篤かったことがうかがえます。富士塚の極めつけは写真のとおり富士山型をした文政十年浅間塔です。「参明藤開山・・・」と富士講独自の異体字で刻まれていますが、テキストを見ても勉強不足で読めませんねえ。次回は国道16号の南側を回ります。

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