2011/01/07

95北総石仏 我孫子の石仏 中峠(なかびょう)

新年もよろしくお願いします。古い記録の整理になっていると反省してますが。
国道356号線はJR成田線湖北駅の北を東西に走っています。湖北駅入口の信号の一つ東の信号交差点角に中峠不動尊があります。敷地内入り口に中峠下公民館がありその奥が中峠不動尊で旧照妙院跡地となっています。
95-1中峠不動尊(なかびょうと読みます)
「湖北村史」記載の伝承で「延暦二十三年(804)空海僧正遣唐使に随い入唐の船中にて、一刀参礼の作と称せられし不動尊の像なりしが・・・・(故あって)・・・現在地へ移転せるものなり 」とのべられています。我孫子の石造物所在地リストではこの地で石造物が57件もリストアップされ、我孫子石仏の博物館ともいえる存在となっています。境内は下の写真のようになっています。
昭和59年修築の不動堂が正面に見えています。不動堂の後に天明四年(1784)の石尊大権現石碑が(富士塚状で)祀られているのはちょっと不思議ですね。
石仏は写真左手でトラック状の通路の手摺に沿って並べられています。手前のブロックは庚申塔・山岳信仰碑・十九夜塔などが中心です。
その先は庚申塔・二十六夜塔・馬頭観世音塔などが行儀良く並べられています。
じっくりみていくと元禄十六年(1703)~寛政七年(1795)まで7基の庚申塔が確認できました。正徳二年(1712)~文政十三年(1830)で3基の十九夜塔も確認できます。文政十二年(1829)二十三夜塔は1基だけですが、愛染明王をいただく二十六夜塔は3基も存在しています。馬頭観世音塔は宝暦三年(1753)~昭和十七年で9基が並んでいます。いやあ、勉強になりますが混乱してきますね。
そんな訳で、気になる石仏を少々載せておきます。上のほうの写真左端は寛保元年(1741)塔でショケラ持ちの2童子付です。
踏みつけられた邪鬼が正面向グー拳なので、こういうのがお好きな同好の士がおられるかもしれません。
その隣も2童子付ですが、磐座の下で童子が向き合う形も珍しく左の童子が杖状のものを持つ姿も変わっています。下のほうの集合写真の左から2基めは、この中で最古の元禄十六年(1703)青面金剛塔は「奉彫刻 庚申尊影一基・・」と刻んでいる珍しい表現の石仏です。又、この地区では二十六夜待信仰も盛んだったようで愛染明王・二十六夜塔が3基も並んでいます。Wikiで愛染明王を確認しておきましょう。
分かり易い写真を撮れないのは残念ですが、つい先入観で藍染の壷に座っているわなあと思い込んでしまいます。下の方の集合写真で右端は文字馬頭観世音塔の団体です。江戸後期・明治・大正・昭和と時代は変わっても律儀に祀られているのはそれだけ縁が深かったからと思えます。
境内には別途、天神社と愛宕神社の小堂が あります。
中には文化八年(1811)勝軍地蔵像と大正四年天神像が祀られています。紀年名は所在地リストからの引用で未確認ですが、この地区では珍しく出来のよい像容なので拝見しておきましょう。
95-2龍泉寺
開山開基不明ながら、湖北村史に最古の草創伝承を載せている古刹です。度重なる羅災で古記録などが消失しています。立派な寛永六年(1629)寶篋印塔を除けば、石仏も寺の入口脇の大師堂側に寂しく残されているだけです。
正徳元年(1711)大杉大明神石祠と地蔵か馬頭観音と思われるものしか目にすることが出来ませんでした。
95-3宝照院
開山・開基不明ですが、安永四年(1775)新四国八十八箇所の第二十八番土州大日寺写しの霊場になっています。我孫子市史には法照院で記載がありますが、地図上は宝照院で表示されています。大師堂の手前に四連の長屋形お堂が建っています。
左から待道権現・天満宮・石神社・阿弥陀如来の額がかけてあります。石神社には立派な金精様=陽石や木製が何基が祀られていて実にご利益が分かり易いようになっています。
お堂の右手前にはやや荒れた延享三年(1746)愛染明王の二十六夜待塔が置かれています。
95-4中里の庚申堂
国道356号の湖北駅入口信号を南下します。1本東の筋の四つ角に庚申堂が建っています。
堂内に正徳元年の青面金剛像塔が祀られています。
お堂左には昭和17年・明治35年の文字庚申塔が立っています。奥にある昭和58年庚申塚再建記念碑が住民の信仰の篤さを表しています。又、お堂右にも小さな大正元年猿田彦塔が置かれていて昔は庚申塚として存在していたようです。尚、写真に見える小さな石覆屋には大師坐像に地蔵の首を継いで祀っています。違和感があり過ぎて???
95-5中峠後作の一石七観音
テキストは後作=旧字名の表示ですが地番は中峠1118先となっています。T字路の角にある覆い屋に墓石とならんで祀られています。我孫子で唯一の七観音ですが、無名の場所にこのように祀られているのは不思議ですね。並んでいる墓石などから見て、昔は庵があったのでしょう。元禄十三年(1700)に「道心三箇年願望相當今月庚申年正月二拾三夜以前所願成就奉安置」されたものです。
下段右=四臂・千手観音?、下段中=未敷蓮華持聖観音、 下段左=合掌馬頭観音、中段右=十一面観音?、中段中=花瓶持准胝観音?、中段左=如意輪観音、上段=合掌観音となっています。通常、六観音に不空羂索観音を加えて七観音とするそうです。六観音は六道に迷う人間を救済する思想で、地獄道-聖観音、餓鬼道-千手観音、畜生道-馬頭観音、修羅道-十一面観音、人道-准胝観音、天道-如意輪観音という組み合わせになっていますが、さて、七観音となるとどうなるのでしょうか?

95-6中峠・下根古屋足尾神社
国道356号線湖北駅入口交差点の西50mで北上する道路を800m程辿れば、カーブミラーのところで足尾山神社に向かう細道が右に別れて神社へと導いてくれます。もと今井四郎兵衛家氏神で今井家が管理しているそうです。
広場状の境内に、ポツリポツリと石造物が置かれています。大正12年蚕影山神社、文化拾年(1813)足尾山大権現石祠・天保三年(1832)水天宮石祠等等。十九目と三十四目の力石も置かれています。
足尾山の連想から足の病に霊験ありといわれ、わらじ奉納や病気回復のお礼が上の写真のようになっています。
ところで神社入口のカーブミラー側に昭和12年町村道路改修の紀念碑が建っています。何気なく見ていると「中峠渡船場第一号線・道路延長1220m・・」と表示されています。
どうやら前の道路は利根川渡船場に通ずる道路のようで、往時は結構な人通りで栄えた事が思い浮かばれます。

より大きな地図で 95北総石仏 我孫子の石仏 中峠(なかびょう) を表示

0 件のコメント: