日本石仏協会編「江戸・東京石仏ウォーキング」をガイドにして、日光街道第一の宿場・千住宿を歩いてきました。要領よい解説文がついているので、雰囲気が分かる程度の記録にになりますが興味のある範囲で記しておきましょう。
97E-1長円寺の大日如来
北千住駅西口から北方300mほどのところに 長円寺があります。由来や盛り沢山の文化財は解説板をお読みください。
山門左に「めやみ地蔵」が祀られ、眼病の平癒を祈り独特の絵馬が奉納されています。
山門を入ると右手に三基の石仏が並んでいます。
写真左から貞享三年(1686)六臂合掌青面金剛塔・寛永四年(1627)金剛界大日如来塔・寛文四年(1664)来迎印阿弥陀如来像となっています。
中央の大日如来は獅子乗りで珍しいとガイドに解説がありますが、獅子舞の獅子頭のイメージですね。その後は享保十七年(1732)の寶篋印塔を取り囲むように「八十八箇所毛彫り石碣」が並んでいます。
魚籃観音(ぎょらんかんのん)もあって見所一杯のお寺です。
次に行く途中に伝馬屋敷の面影を残す横山家(屋号松屋)があるので、解説板を読みながら江戸時代の名残を感じるのも楽しいですね。
97E-2安養院の三尸銘文庚申塔
安養院の閉じられた山門は寺域西側の細い道路側にあります。
その傍らに3基の庚申塔が並んでいます。
左から貞享三年(1686)建立明治六年再刻・六臂ショケラ持青面金剛塔、寛文四年(1664)延命地蔵庚申塔・元禄十五年(1702)六臂合掌青面金剛塔となっています。貞享三年塔は右側面に再刻経緯の記載があり、中央地蔵塔は台座に三猿を刻んでいます。
右端の元禄塔は側面に「奉送三巳之毒虫二世願満孕」を刻んでいて、北総ではなかなかお目にかかれないものです。
安養院の南側道路から車の入る通路に、 「仲直し地蔵」赤い幟が立つ3基の地蔵がおられます。
移りが悪い写真ですが、左から元禄十二年(1699)かんかん地蔵、中央が寛文四年(1664)、右が寛文十年(1670)の地蔵です。寛文十年塔は「庚申供養」文言が刻んであります。
97E-3金蔵寺の飢餓供養塔
北千住駅西口に戻り、駅前で一番手前の辻を南下すること100mで金蔵寺です。
山門からの写真左手に石仏が立っています。
詳しい解説板をご覧ください。
参道左に並ぶ石仏写真で、右端の無縁塔が天保八年(1837)大飢饉餓死者828人の供養塔です。中央は台座に三猿をもつ阿弥陀如来庚申塔で、左端に南無阿弥陀仏の角柱が遊女の供養塔です。この供養塔は明治14年再建ですが、側面に「三界萬霊六親眷属七世父母大乗妙典六十六部・・・」と記され台座には旅籠屋と遊女の戒名が刻まれています。
戒名にも「信女」と「童女」が交じっており下働きの少女等の幼い犠牲者もいたことが推察されます。合掌。
次の不動院へ行く途中、足立都税事務所の脇を通ります。こちらに鴎外旧居・橘井堂森医院跡の表示と詳しい解説板があるので読んでおきましょう。
97E-4不動院の石橋供養銘庚申塔
「不動院の本尊は不動明王です」という解説板に思わすそうだったのかと頷いてしいました。参道左に3基の庚申塔です。
左から安永六年(1777)庚申供養塔、元禄十五年(1702)六臂合掌青面金剛塔、文化十一年(1814)文字庚申塔となっています。左端の安永塔と右端文化塔が石碑側面や裏面に「石橋供養」の文言を記しています。参道右手にある戊辰戦争芸州潘戦死者供養塔には石碑側面に「芸州」と大書されています。
又、この碑の向かいにあるのは、萬延元年(1860)・無縁塔と表示された遊女の供養塔です。台石に「富士本屋見世・和泉屋同・・」などと旅籠(楼閣)名が出ています。宿場の影の部分で無残ですね。
97E-5慈眼寺(じげんじ)
不動院の隣が慈眼寺です。将軍が日光東照宮社参の折、休憩所としたところから葵紋を賜った謂れあるお寺です。解説板をどうぞ。
山門を入った右手先の墓地への通路沿いに墓塔と3基の石仏が並んでいます。
右から万治三年(1660)・寛文七年(1667)の地蔵庚申塔です。万治塔には台石に三猿が彫られています。左の角柱塔は嘉永元年(1848)法?界萬霊塔というのでしょうか?勉強しておきます。この写真左奥にガイドに載っている宝暦五年(1755)「八日講中・女中・・・」寄進の寶篋印塔があります。このお寺でもっと面白いのは、奥にすすんで本堂左前の南北消防記念碑の一画です。
子組纏や石造碑などで賑わっています。いわれは千住町消防組解説板をお読みください。
97E-6 氷川神社の弁財天庚申塔
東京芸千住手キャンパス前のミリオン通りを南下して氷川神社に出ます。本殿右の池の奥に元禄二年(1689)弁才天庚申塔が祀られています。
都下で唯一という貴重な庚申塔です。台石に三猿が見えています。
97E-7源長寺の阿弥陀如来庚申塔
氷川神社から南下し墨堤通りの千手仲町交差点へ向かいます。その角が源長寺で冬場は門前の雪釣りが見事です。ガイドブックには境内4基の庚申塔と表示があります。
写真のように竹林の植え込みに置かれています。右から元禄九年(1696)六臂合掌青面金剛塔、寛文四年(1664)笠付阿弥陀庚申塔、年不明六臂青面金剛塔となっていて3基しかありません。左端は享保十年の地蔵・墓塔で庚申塔ではありません。享保十年塔が庚申塔であるとの記載はガイドブックの誤記と思います(加除修正があったかもしれませんが)。面白いのは笠付の寛文塔です。
正面の阿弥陀像の足許に聞か猿、右側面手前に見猿、左側面に言は猿の三猿構成デザインになっています。
千手仲町の信号を南進します。途中、足立卸売市場近くになると昭和5年千住市場問屋配置図などの掲示があって楽しめます。又、松尾芭蕉は元禄二年旧暦三月に深川から千住に上陸し、ここから見送られて奥州へと旅立ちました。
千手大橋のたもとは芭蕉・奥の細道矢立初の碑がある公園になっています。
97E-8誓願寺の青面金剛
千住大橋を渡って100mで西側に誓願寺の細い参道があります。
左手植栽に石仏や墓塔が点々と置かれています。
手前には寛延四年(1751)丸彫り聖観音塔、墓塔はパスして延宝四年(1676)二童子付合掌青面金剛塔、自然石型年不明文字青面金剛塔と続きます。可笑しいのは「狸獣墓」なるものもあって何でだろう?と思いました。
97E-9素戔雄神社の庚申塔
誓願寺から150m南下すれば素戔雄神社です。由緒は解説板をご覧ください。
もっと詳しいスサノオについてはWikipediaをご覧ください。境内南側石柵に沿って3基の庚申塔が並んでいます。
庚申塔は左から延宝六年・寛文十三年・文化八年となっています。板碑型如意輪観音三猿庚申塔・聖観音庚申塔・文字青面金剛塔と時代の移り変わりにあった推移が見て取れます。
庚申塔の詳しい解説板をご覧ください。境内は他にも瑞光石(ずこうせき)・蘇民将来子孫来などの解説があってお勉強もできちゃうパワースポットとなっています。
97E-10円通寺の庚申燈籠
ガイドブックにない番外ですが、充実した石造物スポット発見だったので載せておきます。
素戔雄神社から500m南下すると、広い参道と現代的建築に金ピカ仏像を頂く曹洞宗円通寺があります。入口に大きな由緒書の看板が立っています。
簡潔な解説なので読んでおきましょう。参道をすすむと右手に六地蔵がおられます。その並びに、優しいお姿の「馬頭観世音 良馬春来號」と刻まれた石仏です。
宝馬もなく聖観音のような像容ですが、馬頭観音?でしょうね。先に進むと左手は金網の柵に囲まれた彰義隊士の墓となっています。
新門辰五郎の碑というのもあったのでWikipediaで確認しておきましょう。
参道を挟んで反対側も柵に囲まれた富士塚状の塚上に七重石塔・板碑・48基首塚(石)・左右の石燈籠などが置かれています。上の写真のとおり傍らの表示板にその内容が書かれています。
左の燈籠は正徳三年(1713)造立で竿部に合掌地蔵像と大乗妙典六十六部の表示があります。
又、右の燈籠は年不明(読みきれません)ですが基部に三猿があるので庚申灯篭となっています。思わぬ見つけ物でラッキーでした。
より大きな地図で 97E 北千住の石仏 を表示
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