2011/01/14

96北総石仏 我孫子の石仏 中峠(なかびょう)Ⅱ

中峠は交通の要所だったのでしょう。一里塚や旧道に立派な庚申塚が残っていたりします。国道356号線の湖北駅入口交差点の西にある次の交差点に長光院があります。
96-1長光院墓地の十七夜塔
長光院は当地の北500mにある法岩院の末寺で、元文五年(1740)の中峠村田畑社地不残大概書に表示があることから17世紀に遡っての存在と解されています。信号のある道路側入口を入った右手の塀沿いに石仏が並んでいます。
右から順に寛文八年(1668)天蓋付如意輪観音・元禄七年(1694)如意輪観音・延宝七年(1679)反手如意輪観音十九夜塔・元禄十年(1697)聖観音・貞享二年(1685)如意輪観音十九夜塔・延宝九年(1681)六臂合掌青面金剛塔・元禄十六年(1703)勢至菩薩二十三夜塔となっています。気になる石仏を載せておきましょう。
寛文八年天蓋付で豪華
延宝七年反手の如意輪観音
 
延宝九年青面金剛、ちょいメタボ

元禄十六年勢至菩薩
この続きに安永二年(1773)地蔵塔があります。
ちょっと見難いのですが台石を覗き込んで、これが十七夜講中で建てた十七夜塔であることが分かります。
このブログでは2009年1月4日付16.印西船穂Ⅱに16-1多聞院で十七夜塔を初見しています。北総石仏ではこれでやっと2度目になる珍しい石仏です。良かった。
96-2中峠の庚申塚
長光院の西側のT字路を北上して法岩院へ向かいます。突き当たった路地を左にとってすぐの三叉路右手に庚申塔が並んでいます。
写真で分かるように真中に2基の六臂合掌青面金剛像塔です。左が享保十四年(1729)右が元文三年(1738)の造立です。右から3基目文字「青面金剛」塔は寛政十二年(1800)の庚申年の造立、左端2基は天保九年(1838)・天保三年(1832)の文字庚申塔です。尚、右から3基目は剥落して分かりませんが嘉永三年(1850)の文字庚申塔として我孫子市史金石編に辛うじて写真収載されています。右端は家根屋講中(職人ギルド)で聖徳太子孝養像を享和三年(1803)に造立しています。
その隣は文化九年(1811)光明真言十万返塔ですが、二十三夜待大勢至ササ(菩薩)と異体字で併記されているのが実見できて嬉しいですね。
可笑しな三猿も載せておきましょう。
左から2基目の台石に刻まれていますが、恥ずかしがっているのかな。
96-3法岩院の百堂念仏塔
庚申塚を北へゆるく下って300mほどで祝融山 法岩院です。天文十一年(1542)創立・開山正覚禅師・開基は千葉氏末裔芝原城主河村出羽守と市史に記載されています。ところで開山・開基の違いが良く分からないのでWikipediaで確認しておきましょう。境内参道に沿って四間一棟の長屋型堂と大師堂があります。更に進むと左手に切り通し状の道が竹林に続いています。無数の石仏を見つけて顔がほころびますが、墓塔の集団である事が分かってちょっとガッカリします。中に1基・元禄十五年(1702)二十三夜本地勢至菩薩がおられます。
左から3基目が元禄十五年二十三夜塔
こちらには立派な石仏が並び崖上にも種々おられますがほとんどが墓塔です。
お目当ての百堂念仏塔は本堂横の斜面に2体の石仏がならぶ右側の仏です。貞享元年(1684)「刻彫観音聖像一体身成百堂念仏供養」と記された聖観音像です。
百堂供養塔とは「・・百ヶ所のお堂を念仏を唱えて巡礼して歩く信仰があり百堂めぐりが結願した折に供養塔を造立・・・阿弥陀堂・大日堂・観音堂・・区別無く信仰対象とし・・分布地域は関東東南部に偏り・・栃木・茨城・千葉・埼玉に散在。・・初発は寛永二十一年(1644)から文化十四年(1817)におよび・・元禄までが大部分で・・総基数は90基におよぶ・・」と日本石仏図典に解説されています。結構珍しいんですよ。
左の石仏も元禄三年(1690)「奉供養為十六夜念仏二世安楽」地蔵塔です。
08/11/28付第8回印西大森Ⅰ・8-8六軒コミュニケーションセンターの天保三年十六夜塔以来やっと2度目ということになります。他にも正徳年間・文化七年の二十三夜塔なども散在しているので時間をかけて見ると新しい発見があるかもしれません。
96-4 水神社
法岩院の前の信号を北へ古利根沼に向かえば200m程で水神社下に着きます。石段が竹林の高台に一直線に伸びています。
石段下に明治16年舩仲間講中が奉納した小さな手水石が置かれています。当地には寛文二年(1662)に芝原河岸がおかれていたので舟運安全祈願の水神信仰が行われていたと我孫子市史民俗・文化財編に述べられています。石段を上った所の写真に見える荒んだお堂に元禄九年(1696)水神が祀られています。又、文政八年(1825)水神や石段下に(文政)十三年(1830)待道大権現石祠なども置かれています。
96-5芝原城址(中峠城)の庚申塔
水神社前からすぐ左折して細い道を西に向かって300mほどで雑木林の古利根公園となります。この辺りが芝原城跡といわれています。解説板をご覧ください。
雑木林に引き込まれる三叉路の所、踏み込んだ林の中に宝永四年(1707)六臂合掌青面金剛塔がひっそり?と佇んでいます。
しかし、分かりにくい所にあって探すのに大変苦労した思い出がありますねえ。


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