多摩石仏の会が1993年に発行した「新多摩石仏散歩」を、日本石仏協会の総会場で購入しました。読書だけでは勿体ないので、これをガイドブックにして七福神巡りのグループの間をぬって見仏してきました。空襲や宅地開発の影響カも知れませんが、総じて市街地の石仏は荒れていて北総と違う雰囲気を感じました。
98E-1竹の鼻・永福稲荷の梵字真言庚申塔
神社前の道が旧甲州街道で竹の鼻は八王子宿の入口に当たるそうです。謂れなどは解説板でご覧ください。
八王子出身の力士八光山権五郎の発願で勧請された神社です。狭い境内にどっしりとした力士像が立っています。
梵字真言庚申塔は本殿東奥に建つ2基の石塔のうち左に建っています。享保八年(1723)造立で「ウーンオンデイバヤキシャバンダバンダカカカカソワカ」の青面金剛心呪が刻まれているそうです。
98E-2大義寺の庚申塔
永福稲荷の西方500m八王子警察署の南方に大義寺があります。門扉の蔭に現代の武骨な不動明王がおられました?が、参道正面に立派な相輪を持った本堂へ進みます。手前で右折し事務所・庫裏前の植え込みに庚申塔が置かれています。
左が宝暦十一年(1761)の六臂青面金剛像ですが蜘蛛のような六臂造形です。残り2基は年不明の三猿主尊の庚申塔です。笠持ちだったような頭部をしていますが、詳細不明です。ガイドには八王子では三猿主尊は数少ないと載っています。
98E-3妙薬寺の秋葉権現
大義寺を北にでてバイパスを西に向かいます。八王子警察から西200m歩道橋のあるところが妙薬寺です。ここはちょっとした見所があります。本堂を左に回り込めば庫裏の庭先の木陰に秋葉権現が祀られています。寺の人に断ってから生垣の門戸に入り拝見させていただきましょう。
かなり磨耗が進んでいますが烏天狗の嘴や羽の形状は良く分かります。多摩でも数少ない貴重な像塔です。本堂へ戻り西方にある墓地へ向かいます。墓地中央の大きな銀杏の切り株傍に小さな仁王像があります。
個人の墓地に置かれていますが、ひょうきんそうで楽しませてくれます。
続いて墓地の東の塀際に横山塔の表示があります。門戸をあけて庫裏うらの庭へ進みます。横山党は武蔵七党の一つで多摩郡横山庄(現在の八王子付近)を中心とした武士団です。その横山氏の墓の伝承をもつのが永禄三年(1560)建立の寶篋印塔・横山塔です。
周りには宝暦七年(1757)六臂青面金剛塔・寛政十二年(1800)大乗妙典日本回国塔・文化五年(1808)光明真言塔などがあります。
98E-4宝樹寺の石仏
妙薬寺から西へ500mで大横町交差点です。16号を100北上すれば西方に広い境内・駐車場の宝樹寺です。敷地左から小さな笠森稲荷の小祠・声阿弥稲荷神社・その脇に4基の石仏・地蔵堂の日限り地蔵等・宝樹寺本堂と続き敷地北方に閻魔堂(十王堂)があります。
石仏は向かって左から天保十四年(1843)二十三夜塔・慶応三年(1867)猿田彦大神塔・文久二年(1862)■申塔・文久元年(1861)庚申塔となっています。ユーモラスな三猿は猿田彦塔の台石についていますがどんなもんでしょう?
ガイドに十王堂と表示がありますが、現地には閻魔堂の扁額です。高遠の石仏見学で良く見知ったものですが、当地では木造の立派なものにお目にかかれました。
右手前は奪衣婆で左のほうには人頭杖もあって立派なものです。十王はWikipediaで復習しておきましょう。
98E-5極楽寺の歯吹如来常念仏塔
宝樹寺を北上して浅川橋手前東に浄土宗極楽寺があります。本尊は秘仏歯吹如来・鼻取如来ともいわれていますが、由来については解説写真をご覧ください。
参道右に明治11年歯吹如来常念仏塔や明和・宝暦頃の地蔵塔、変わった形の常夜燈など立てられています。
歯吹如来実物写真はむりですが、同じ名前の石仏は北総でもお目にかかれます。筆者が所属している房総石造物文化財研究会は「房総の石仏百選」を出版していますが、その中で「歯吹如来」石仏が取り上げられています。
鎌ケ谷市粟野神社の歯吹如来(上総國長柄郡千田村の称念寺写し)で、綿貫氏が「歓喜微笑の面貌」と述べられています。ご参考に上に載せておきましょう。この寺には初期八王子の建設に貢献した長田作左衛門の墓や、天正から文政年間243年に亘る八王子千人同心中心に桑都日記を著した塩野適斎の墓があります。八王子千人同心については2009/10/30 55E-1日光・浄光寺でその活躍を述べています。Wikipediaでも見ておきましょう。
98E-6善龍寺
秋川街道元本郷交番前の善龍寺は八王子七福神の走大黒で有名なので、訪問時は大混雑でした。日蓮宗のお寺に多い浄行菩薩(法華経従地涌出品[じゅうじゆじゅっぽん]に説かれる)がタワシが用意されたお堂におられたので、膝・足・腰をさすってお祈りしてきました。
98E-7信松院
秋川街道を700m南下すると武田信玄の四女で織田信忠(信長長男)の婚約者松姫尼公の縁があるお寺です。八王子七福神の布袋尊が本堂階下にあり、立派なお腹をさすってご利益を祈ってきました。
石仏ではガイドにある墓地入口の天明四年(1784)如意輪観音像は見当たらず、首の無い地蔵が残っていたりと無残な様相でした。木造布袋さんの写真掲載は本意ではないのですが。
98E-8御所水弁才天入口
信松院から500m南下して市民球場の脇をすすめば、ローソンのある信号交差点に出ます。角に新しいお堂とその脇の坂道に御所水弁才天の案内柱があります。脇の坂を下っていけば低地に御所水弁天を祀ったごく簡素な神社に突き当たります。面白いのは、この表示柱です。頭部をご覧ください。
弁天さんにちなんで巳(へび)の彫刻が施してあります。鼻の穴もしっかり彫られ楽しいですね。
お堂の中は紀年不明2基の延命地蔵さんが大切に祀られていました。
後半は次回にまわしましょう。
より大きな地図で 98E 八王子の石仏 前編 を表示
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